芳醇な都市ウィーンの文化を堪能する 1 / 楽友協会の大ホールとウィーンフィルの通し稽古が奏でた、生き物のような音

芳醇な都市ウィーンの文化を堪能する 1 / 楽友協会の大ホールとウィーンフィルの通し稽古が奏でた、生き物のような音

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以前、知人の計らいで運良くウィーン フィルハーモニー管弦楽団による非公開のゲネプロ(通し稽古)を見学することができた。ムジークフェライン/楽友協会の大ホール(Musikverein, Grosser Saal)でウィーン フィル(Wiener Philharmoniker)の定期演奏会を聴けるだけでも恵まれたことであるのに、なんと非公開のゲネプロまでもを、このホールで聴くことができる、と知人から聞いた時には、まさに天にも昇る思いであった。
また、ウィーン・フィルと楽友協会の関係はあまり知られていない。実は楽友協会(Wiener Musikverein)は独立した組織であり、ウィーンフィルは楽友協会から会場を都度間借りをしている。これらの経緯の詳細を記した書籍『ウィーン楽友協会 二〇〇年の輝き』がたいへん興味深く、あわせてご紹介したい。
楽友協会(Musikverein)の歴史とウィーンの音楽家たち
非公開のゲネプロ(通し稽古)で指揮者と団員のやりとりを見る醍醐味
超一流同士のやりとりから見えた、演奏に対する本気度

● 楽友協会(Musikverein)の歴史とウィーンの音楽家たち

素晴らしい響きのする黄金のホール、ウィーンのムジークフェライン(楽友協会)大ホールは、毎年放映されるニューイヤーコンサートのおかげで日本人にも知名度が高い。しかし、楽友協会とウィーンフィルハーモニー管弦楽団は全くの異なる歴史と経緯を持つ別組織である。

ウィーンフィルはウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーからなるオーケストラで、1842年に創設され国立歌劇場に属している。一方、ウィーン楽友協会はディレッタントと呼ばれていた音楽好きの者達によって1812年に設立された。楽友協会の目的は演奏会の開催や場の提供だけでなく、養成所や音楽教育機関の運営(音楽院)、資料の収集(資料館)であり、昔は独自の専属オーケストラも持っていた。

ちなみに当時のディレッタントの意味するところは単なるアマチュアではなく、プロの音楽家顔負けながら音楽を生業としない者たちを指していた。こうしたディレッタント達が演奏会を開き、音楽を学ぶ為にウィーンで設立されたのが楽友協会であった。発足当時の会員は500名ほどいたが、プロの音楽家はアントニオ・サリエリのみである。そして、楽友協会は建物を転々としながら活動は活発化し、1831年に初代会館を建てるまで成長する。

しかし、この建物もすぐに手狭になり、ヨーゼフ皇帝のウィーン改造の文化施設建設の際に新会館と楽友協会大ホール(Musikverein, Grosser Saal)を建設することになる。このウィーン改造で、市を囲んでいた城壁が撤去されてできたのがリング通りである。
リング通りからの騒音を避けるために新会館は、このリング通りから1本裏手の場所が選ばれた。そして、新会館は1870年に完成する。大ホールではシュトラウス3兄弟が、小ホールではクララ・シューマンがオープニングを飾り、当時からその音響は称賛の的だった。

楽友協会の大ホール @Musikverein Grosser Saal
楽友協会の大ホール @Musikverein Grosser Saal

また、当初の楽友協会の専属オーケストラは楽友協会のメンバーであるディレッタント達であった。このメンバー構成での活動が1859年まで続いた。そして、1900年になって、やっとプロの音楽家によるウィーン演奏協会管弦楽団(Wiener Concertverein Orchester)が設立され、楽友協会の専属オーケストラとして定期演奏会が始まる。のちのウィーン交響楽団(Wiener Symphonike)であり、これはウィーン・フィルとは別の団体である。ウィーン演奏協会管弦楽団では、作曲家ブラームスが1872年から演奏監督を務め、彼は団員の半分を宮廷歌劇場管弦楽団のメンバーとすることに成功し、レベルも飛躍的に向上した。

一方、ウィーンフィルはこの時は楽友協会で開かれる特別演奏会に出演はするが、本業は宮廷歌劇場管弦楽団であり、彼等の余暇内での活動であった。楽友協会大ホールで定期演奏会をおこなうようになるのは1871年になってからである。

これらの経緯については書籍『ウィーン楽友協会 二〇〇年の輝きオットー ビーバ著, イングリード フックス 著』に詳しい。

ちなみにこの本の中で面白かったのは、現代にも名を残している作曲家たちの小話であった。

1817年に楽友協会の音楽院が活動を開始し、その教師の中には作曲家ブルックナーも名を連ねていた。リンツのオルガニストだった彼はオルガン科の教授として音楽院から声がかかるが、自分にできるのか例によってウジウジと悩む。名誉ある宮廷礼拝堂オルガニストのポストを追加して提示してもらい、その合わせ技でやっと受諾したらしい。また、彼はオルガン演奏会で指揮者や他の奏者を置き去りにするような独善的な演奏をし、奏者としては敬遠されていたという彼らしい話も残っている。しかし、教師としては優秀だったようで、多くの有能なオルガニストを輩出した。

音楽院の生徒として問題児だったのは作曲家のマーラー。無試験で入学し、父が学費の支払を突如拒絶したために、学費は半額の特別待遇であった。おまけに勝手に自主退学するも復学を認められ、途中で専攻は変えるは、試験ではカンニングはするは、と大層な振る舞いだった。しかしながら、これらすべてに目をつぶってもらう。それほど彼は超優秀学生だったらしい。

ムジークフェライン(楽友協会)の会場はまさしく「黄金の間」。入口からチラ見するだけで胸が高鳴る
ムジークフェライン(楽友協会)の会場はまさしく「黄金の間」。入口からチラ見するだけで胸が高鳴る

楽友協会資料館にあるブラームスコレクションは、世界記憶遺産としてユネスコから認定を受けている。楽友協会と関わりの深かったブラームスは、主要曲の自筆譜なども収蔵されており充実している。更に珍しいところでは、スケッチ段階の自筆譜もそれらの収蔵品に含まれていること。ブラームスは創作過程を他人に見せなかったらしく、スケッチも破棄してしまっていた。しかし、ブラームスの家政婦がゴミ箱からスケッチを拾って保管していたらしい。それが巡り巡って、後に楽友協会資料館に寄贈された。

● 非公開のゲネプロ(通し稽古)で指揮者と団員のやりとりを見る醍醐味

さて、そのウィーン楽友協会であるが、その大ホール(Musikverein, Grosser Saal)の音響は今も健在で、素晴らしい響きを奏でている。建設当初からいくつか改装され、トレードマークの黄金色も塗り替えたりしているが、その音響と豊かな響きはずっと継承されている。シューボックス形式のホールは比較的簡単に良い響きが得られると言うが、それでもこのホールの音響は別格である。ホールを覆うような柔らかい響きであり、ウィーンフィルの各楽器とのマリアージュは唯一無二である。

そんな素晴らしいホールで、非公開のゲネプロ(通し稽古)に参加できた。客席には数名の関係者のみである。練習の場なので、平土間席の前方に着席するのはNGとのことで、平土間席の後方真ん中に座らせてもらった。たぶん音響的にホールの中で1番よい席であろう。客席に人がいないため、ホールに充満した音楽は響きすぎるほど豊かに身体に注がれてくる。

まばらな人影のゲネプロ時のムジークフェライン大ホール @Musikverein Wien
まばらな人影のゲネプロ時のムジークフェライン大ホール @Musikverein Wien

演目はブラームスの中でもお気に入りの3番目のシンフォニー。この曲の初演はウィーン・フィルであり、楽友協会との因縁の深いブラームスを聴けるとは、こんなところも運が良い。ゲネプロ開始の第一音が思いもよらず映画でも使われた第3楽章の冒頭から。メランコリックな旋律が、ウィーン・フィルの独特なアンサンブルでホールに響きだした瞬間、もう全身がしびれ、鳥肌が立ってしまった。

前日に聴いた小編成のコンサートで、とても豊かに音が鳴り響くホールだとわかってはいたものの、客席がガラガラな状態でフルオーケストラの演奏となると、それはもう驚くほどの響きだった。もちろん、うるさいなんてことは全くなく、響き渡る音によって強力に身体を抱きかかえられる感じと言えばよいだろうか。

ゲネプロは休憩をはさんで3時間続いた。どうも指揮者のガッティ氏が勘違いして30分ほどオーバーしてしまったようだ。その分、3番だけでなく後半プログラムの1番もほぼ通しで聴くことができた。このような形でウィーン フィルによるブラームスを味わい尽くすというのは筆舌に尽くしがたい体験であった。

● 超一流同士のやりとりから見えた、演奏に対する本気度

ゲネプロを聴いてよくわかったのは、ウィーン・フィルがムジークフェライン(楽友協会)のホールと一体になった時の凄みである。よく言われるシルクのような音など、音色の話ではない。団員同士の微細な意思疎通は当然だが、同じくホールとも対話をしているような、まさに音響が生き物のような音がするのだ。反射音というよりもホール自体が音楽を奏でているような気すらする。

そして、ゲネプロでは、なによりも指揮者とオケのやりとりを見るのも醍醐味である。後方席だったのでよく聞こえはしなかったものの、ガッティ氏は英語とドイツ語で団員に指示を出している様子。また、各団員からの質問もよく飛んできている。天下のウィーン・フィルであり、ブラームスを知り尽くしたオーケストラにもかかわらず、一流のプロ同士でこんなに細やかにやりとりをするのだと驚かされた。そして、超一流と超一流が真剣に取り組む姿勢から生まれる緊張感はこちらにも伝わってくる。

団員とやりとりする指揮者のガッティ氏 @Musikverein Wien
団員とやりとりする指揮者のガッティ氏 @Musikverein Wien

練習でもあり、聴衆は10人にも満たないのに、立ち昇ってくる音楽には熱気がむんむん。ゲネプロ後、ウィーン・フィル楽団員のヘーデンボルク直樹さん(チェリスト)に「ゲネプロでも、すごいテンションでしたね」と声をかけてみた。すると「ウィーン・フィルのみんなはブラームスが大好きだから。ブラームスを今回のツアーですべて(4曲とも)持っていきます。ツアーで演奏を重ねていくうちにどんどん音楽が開いていくんですよ。ますます面白くなる」とうれしそうに話してくれた。

それを聞いて、最後のツアー地であるニューヨークの聴衆は幸せ者だと感じた。なかにはしたり顔でオーケストラの海外公演は地元のようには本気を出さない、と言う人もいるが、真っ赤な嘘だと私は思う。ゲネプロを見ているかぎり、音楽への向き合い方は半端なく真剣そのもの。むしろ回を重ねて成熟していくのが本当のところだと思われる。

別の年のカーネギーホールでの公演、客席は総立ちであった @Carnegie Hall
別の年のカーネギーホールでの公演、客席は総立ちであった @Carnegie Hall

ゲネプロでは、音楽以外にも楽しみがたくさんあった。まず、普通は入れない楽屋口からの通路。この楽屋口から高価な楽器が置いてある楽団の方々の部屋を通って「黄金の間」の会場に入る、もうそれだけで新鮮である。

そして、楽団員の方々が目の前にいらっしゃること。ちょっと通路をふさいでいるような格好になっていたところ、後ろから「すみません(ちょっと道を空けて)」と日本語で言われたので振り返ると、コンマスのライナー・キュッヒル氏(奥様は日本人)だった。ソリストでも活躍されている著名な団員の方々があちこちにいて、めいめいが準備をしている様もチラリと横目に入った。

ウィーン フィルと言えば、ウィーン文化そのものである。そんなウィーン文化を間近で見ることができた宝物のような体験であった。

本番前のホールエントランス付近。寒い中でも皆さんワクワク顔
本番前のホールエントランス付近。寒い中でも皆さんワクワク顔

<楽友協会での各日の演目詳細>

・ルツェルン音楽祭弦楽合奏団

古楽器ヴァイオリンの名手であり、最近は指揮活動もされているオノフリさん、これを楽友協会のホールで聴けるのはタイミングよいなぁ、と勇んでチケットを手配した。

入場してみると客の入りは9割ちょいくらい、こちらでも人気はまずまずのよう。ハイドンの告別シンフォニーでは最終楽章で1人1人奏者がオーケストラから抜けていく。時の雇い主によってブラック企業ばりの労務環境だったので、さりげなく反旗を翻すために作ったという逸話がある曲。ヴァイオリニストでもあるオノフリさんが最後は第2ヴァイオリンの方から楽器を引き継いで、2人になるという粋な「告別」演出つき。楽団員も楽しそうで、雰囲気がとてもよいのである。

指揮者のオノフリさん、いくつかあった歌曲では、いつもニコニコ顔でソリストの譜面台を袖から運んで設置していた。歌曲が他の曲の間に挟まっているのものだから、毎回、譜面台をしまって、出しての繰り返し(笑)。譜面台を設置した後、袖に戻ってソリストといっしょに舞台に戻ってくるのもちょっとおかしい。指揮者がこういったことまでやるのを見たのは初めてで、のんびり和気藹々な感じがとてもよいのだ。
ソリストのNuria Rialさんは初めて聴いたがこういった古楽にあう、透明感のある素敵なお声。楽友協会の金のホールとあいまって、宮廷音楽会のような感じになる。楽団のほうは小編成、舞台を半分しか使っていない、でもこの編成でも十分な響きを与えるのが楽友協会のホールの素晴らしいところ。目にも楽しいし、自分のジャンルも拡がる。こういう演奏を学生時代にもっと聴きたかったなぁ、と思った。

Festival Strings Lucerne @Musikverein, Grosser Saal
Festival Strings Lucerne @Musikverein, Grosser Saal

Festival Strings Lucerne
Enrico Onofri, Dirigent
Nuria Rial, Sopran
・Joseph M. Kraus: Olympie, Bühnenmusik VB 33, Ouvertüre
・Joseph Haydn: Arie «Che imbroglio è questo», Arie der Sandrina aus L’Infedeltà delusa Hob. XXVIII:5 (1773)
・Joseph Haydn: Sinfonie Nr. 45 fis-Moll Hob I:45 «Abschiedssinfonie»
・Wolfgang A. Mozart: Adagio und Fuge KV 546
・Christoph W. Gluck: «Non sperar, non lusingarti» aus der Oper Le Cinesi Wq. 18 (1754)
・Christoph W. Gluck: «O del mio dolce ardor» aus der Oper Paride ed Elena Wq. 39
・Luigi Boccherini: «Deh, respirar lasciatemi», Aria Accademica Nr. 3 G-Dur G. 546
・Wolfgang A. Mozart: Sinfonie Nr. 29 A-Dur KV 201

・ダニエレ ガッティ / ウィーンフィル

ガッティさんはボストンでもブラームスを聴いたことがある。確か4番だったが非常に歌わせる見事な演奏であり、あのボストンの素晴らしいホールの音響とあいまって、とても感動をした記憶がある。
その時から10年ほどが経ち、あらためて彼のブラームスを聴くと、表現の深化もあるだろうし、相手がウィーン フィルということもあってか、更に素晴らしい演奏であった。今回もあいかわらず歌わせ上手なのであるが、更に響きがとても見事な印象を受けた。テンポを遅く取り、妙な緩急はつけず、朗々と旋律を歌わせる。響きの厚みが更に加わった感じがした。

ゲネプロでも、繰り返すほどに音の響きが熟していったが、本番では客席に人が入り音響面で適度な響きになったので、より重厚感かつ重層感の迫り来る様は明瞭にわかり、たいしたものであった。音がうねると言うよりも、ミルフィーユの様に層になって重なった低音が覆い被さってくるような感覚である。
このあたりもチームワークというか、オーケストラがもつ血というか、団員同士が互いに通じ合っているから、妙なズレがなく綺麗に音が折り重なった響きになる。その音は、けっして音が突き刺すように襲ってくることはなく、厚みのある音が身体を包んでくれるような感じになる。このホールでウィーン フィルの音を楽しみたくなる気持が今回の演奏会で初めてわかった。

Wiener Philharmoniker @Musikverein, Grosser Saal
Wiener Philharmoniker @Musikverein, Grosser Saal

Daniele Gatti, Dirigent
Wiener Philharmoniker
@Musikverein, Grosser Saal
Johannes Brahms Symphonie Nr. 3 F-Dur, op. 90
Johannes Brahms Symphonie Nr. 1 c-Moll, op. 68

オーストリア / ウィーン

<詳細情報>
ウィーン楽友協会(Musikverein Wien)
Musikvereinspl. 1, 1010 Wien
・書籍『ウィーン楽友協会 二〇〇年の輝き