非暴力かつ文化的なナバテア人が造ったヨルダン ペトラ遺跡 / 謎の文明を解き明かす『ナバテア文明』 ウディ・レヴィ 著を読む

非暴力かつ文化的なナバテア人が造ったヨルダン ペトラ遺跡 / 謎の文明を解き明かす『ナバテア文明』 ウディ・レヴィ 著を読む

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中東への旅に一時期とてもハマり、その都度ヨルダンには立ち寄った。中でもナバテア文明(Nabataeans)の首都であったヨルダン南部のペトラ(Petra)の遺跡は印象的で、付近のワジラム/ワディラム砂漠と共に2度ほど訪問している。
このペトラ遺跡には、とても魅力ある遺跡群が砂漠のど真ん中に拡がっており、不思議かつ興味深いのだが、良きガイドブックになかなか出会えなかった。
それが近年急速にペトラの研究が進んだらしい。ご紹介する書籍 『ナバテア文明 』ではペトラ遺跡だけでなく、この遺跡群を建築したナバテア人の類いまれなる思考方法や技術力などを深く知ることができる。ペトラや同時代のクムラン/死海文書に興味がある方やヨルダン、イスラエルを旅する人には強くお勧めしたい一冊である。

書き込み多数の古書『ナバテア文明』 ウディ・レヴィ著との出会い
謎の多いナバテア文明の巧妙な戦略
ナバテア人の高い技術力
興味深いナバテア人の宗教観

● 書き込み多数の古書『ナバテア文明』 ウディ・レヴィ著との出会い

この本を見つけたのは、神田で年に1度行なわれる古本祭でのこと。『ナバテア文明』という珍しいタイトルが偶然目にとまった。そして、鉛筆の書き込みが多数あったことから値段も格安で、すぐ購入することにした。
ちなみに、書き込みのある古書は大歓迎。値段が安くなることもあるが、書き込みをした前の読者、そして著者との三つ巴の対話が楽しいこともある。書き込みを読みながら「お主はそこが琴線に触れたのね、私はここがよかったけど」とか、?がつけられた箇所等は「確かに、この翻訳は意味不明だねぇ」などの対話が楽しい。

この本の原著の刊行は1999年(翻訳は2012年)。なので1996年の自分のヨルダン訪問時とちょうどかぶっている。有名な遺跡にも関わらず、これまで取り上げた書籍が少ないのは、中東では紛争も絶えなかったのと、ナバテアの遺跡はヨルダンとイスラエルをまたにかけて広がっている故に、なかなか調査も進まなかったためらしい。訪問当時は充分な遺跡の解説がなかったのもうなずける。なにせ遺跡に訪れるにも、乗り合いバスは舗装道路までしか行かず、そこからのダート道はヒッチハイクをするしかなかった。そもそも、この地のベドウィン達も遺跡の存在を長く隠していたらしく、西洋の探検家たちからの発見も遅かった遺跡なのだ。
神田の古書店でこの書籍を手に取り、20年越しの旅の復習とあいなった。

● 謎の多いナバテア文明の巧妙な戦略

このペトラにあるナバテア人の遺跡は、映画『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』のクライマックスで遺跡のひとつのファザードだけが写り有名となった。しかし、これは広大な遺跡群のほんの一部であることは知られていない。また、ナバテア文明は碑文も多く、文字文化はあったのだが、自分の文化や歴史を書き残さず、800年頃のイスラムの侵入で忽然と姿を消してしまったことから謎の多い文明と言われている。

ナバテア人 ヨルダン ペトラ遺跡  謎の文明を解き明かす ナバテア文明 断崖絶壁の細いくねる道を歩いた先に見えるエル・ハズネ(岩窟墓) @ Petra
断崖絶壁の細いくねる道を歩いた先に見えるエル・ハズネ(岩窟墓) @ Petra

ナバテア人は元遊牧民族で、紀元前3世紀にころに突然現れた。ナバテアとは「水を掘る人」を意味するアラマイ語で、降雨量の少ない砂漠地帯にシスティーン(水槽)を作る技術を持っていたと言う。この技術が戦いで大いに役に立つ。平和を志向する彼らは相手軍勢を砂漠に誘い込み、困窮した相手に水の提供を申し出で引き分けに持ち込むのだ。

その様子をしたためたギリシャ時代の歴史書があり、ナバテア人の台詞がふるっている。
「何の望みと目的があって我々と戦うのか。我々は水も穀物もワインも、貴方に役に立つすべての他のものもない砂漠に住んでいる。我々は奴隷として生きることを望まないから、他の人々が重んじるあらゆるものが欠乏する国、砂漠で生きることを選んできた。だから、我々を害することなく立ち去ることと。我々が与える贈り物(水)の見返りとして、貴方の部隊を撤退させ。これからはナバテア人を友人として考えることを訴える。たとえ、あなたが望んでも、水も食料もなしに貴方はこの国に数日以上とどまることはできないし、我々に別の生活を強いることもできないからだ。」

● ナバテア人の高い技術力

そんな遊牧民の彼らも紀元前1世紀くらいから定住をし始め ペトラの首都建築が進む。長年砂漠の遊牧の民だったので扱うことのなかった石を、今度は上手に用いて独特の建造物を造る。割れやすく重く遊牧の民に不向きだった陶器をも製作しだす。そして驚くことに砂漠に花の咲き乱れる庭園をつくるなど農業も始めるし、ワインもふんだんに造った。

遊牧生活から定住化し農業化が進むにつれて、共にする家畜の変化も興味深い。最初はロバだったが荷物を多く運べるラクダへ、次はラクダから農業で役立つ馬へと変化したようだ。通商を生業とした彼らはラクダを多用し繁殖させていたが、農業をするようになってからは馬の飼育でも名を馳せたらしい。

その通商もダイナミックだった。3日に1度、水を与えればよかったラクダを数千頭引き連れ、広大な砂漠のあちこちに造った水槽の助けを借りながら、アラビア南端から地中海までの大きな交易網を、10週間かけて旅をしたとある。当時の造船技術では、紅海北部は強い風に対応する船が造れず、このような通商隊の陸路運送に頼るしかなかったらしい。

ナバテア人 ヨルダン ペトラ遺跡  謎の文明を解き明かす ナバテア文明 ペトラからアカバ(紅海)まで広がる砂岩の谷
ワジ・ラム/ワーディー・ラム(Wadi Rum)
ワジは「涸れ川」ラムは「高い」
ペトラからアカバ(紅海)まで広がる砂岩の谷
ワジ・ラム/ワーディー・ラム(Wadi Rum)
ワジは「涸れ川」ラムは「高い」

そんな通商の傍ら、ナバテアの国庫は大いに潤い、定住化によって農業でも彼らは成功する。ワイン造りの為の巨大な圧搾場の遺跡もあり、彼らの造るワインは各国で相当の評判になったらしい。
付近は大砂漠と荒野である。ただ、砂漠地帯だからと言って雨が降らない訳ではない。ナバテアのあったネゲブ砂漠近辺では、冬季に限られるが年間100ミリの雨は期待できたようで、ネゲブ砂漠では水の欠乏で渇いて死ぬよりも溺死する人のほうが多いとある。表面が硬い土壌では雨水が沁みこまず、一度雨が降ると洪水になりやすかったらしい。以前ペトラで観光客が洪水に見舞われたニュースがあったが、こういう訳だったのだ。

● 興味深いナバテア人の宗教観

定住化とナバテアへのキリスト教の浸透はちょうど時を同じくしたようで、この時代はキリストの生誕に前後する時代でもあった。本書ではナバテアと隣国のユダヤの国の比較が興味深い。

自由を重んじるナバテアは、多様で柔軟、隊商交易をおこなっていたので事業における文書のやりとりもあり、全体的に識字能力も高かったとある。そもそも遊牧の民なので首都は要しながらも実は土地への執着はない。宗教上の神も特定の場所に結びつけることがなかったという。つまり、神殿などをあまり造らなかった。

一方、立法の民でもあるユダヤ。ラビなど限定された人が文字を司り、次世代への伝承も彼らが担い、文字による伝承を重視した。また、宗教上の生け贄の儀式も神殿の中で一般に隠されて祭司の面前でだけおこなわれた。人の目にもつく郊外の高い山頂、野外の祭壇で生け贄の儀式をしたナバテアとは大違いである。

ナバテア人 ヨルダン ペトラ遺跡  謎の文明を解き明かす ナバテア文明 生け贄の儀式で使われた祭壇(High Place of Sacrifice)
生け贄の儀式で使われた祭壇(High Place of Sacrifice)

そして、ナバテアは元来のペルシャやヘレニズムの宗教とも共存しつつも平和裡にキリスト教もとりこみ、あげくローマの属国にも円滑に納まった。キリスト教ともローマとも大揉めに揉めたユダヤとの違いは顕著だ。

ナバテア人 ヨルダン ペトラ遺跡  謎の文明を解き明かす ナバテア文明 ペトラには円形劇場などローマの影響下の遺跡も多く残る
ペトラには円形劇場などローマの影響下の遺跡も多く残る

ナバテアは、伝統を変えずに維持することや伝統を伝承することに意味を認めない。伝統的なものは、つねに新しい発展のための出発点とし、開放的で可変的な文明だったとまとめているのが印象的だ。

以上、久方ぶりの旅の楽しい復習とあいなった。専門的な用語も多く、万人に勧められる本ではないが、ペトラや同時代のクムラン/死海文書に興味がある方、ヨルダン、イスラエルを旅する人は多くの興味深い視点を与えてくれる書籍であると思う。

尚、本書のあとがきに面白い記述がある。
ユダヤ教を研究する為に必要な言語:ヘブライ語、アラマイ語、ギリシャ語、アラビア語、イディッシュ語、ラディノ語、ユダヤアラビア語、それにツールランゲージとして英・独・仏語が加わる。ナバテア研究には上記ラディノ語の代わりにラテン語とペルシャ語となる。実際「古代への情熱」を記したシュリーマンなどは語学の達人だったとある。考古学者、恐るべしである。
難解な本で、時に退屈なところもあったが、こんな書籍を日本語の1択の私のような人間が読めることに感謝せねばならない。

ヨルダン / ペトラ、ワディラム

<詳細情報>
ペトラ (Petra)
Wadi Musa, Jordan

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