『ガリツィアのユダヤ人』など、お薦めウクライナ関連書籍のまとめ / 旅を計画していたウクライナについて、これまで読んだ本

『ガリツィアのユダヤ人』など、お薦めウクライナ関連書籍のまとめ / 旅を計画していたウクライナについて、これまで読んだ本

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ウクライナは長らく行ってみたい国リストの筆頭にあった。その大きな理由はキエフ(キーウ)のオペラやバレエの観劇であったが、それにも増してウクライナの豊かな食材にも惹かれていた。このところ東欧諸国やバルカン半島の旅が続き、現地でのお肉の旨さに圧倒されてばかりであった。訪れた国はどちらも農業国であり、肉だけでなく野菜やキノコ類も香り高く美味しい。とりわけ穀物王国のウクライナは、さぞや美味しいのだろうと期待をしていた。
数年前ルーマニアの最北部の町 シゲトゥ・マルマツィエイを訪れた際、ウクライナとの国境が目と鼻の先にあった。ウクライナを一目見たく、日帰りでの越境だけでもと思い、かなり迷った。なにしろ目の前の橋を渡るだけで、彼岸にはウクライナの森が広がっている。ただ、国境を越えてもウクライナ側には小さな町がひとつあるだけで、あとは延々とトランシルヴァニア同様の森林地帯が続いているだけのようだった。
ウクライナ側にも木造教会が点在しているようだが、それならまずはルーマニア北部をしっかり巡ろうと、ウクライナ行きは断念してしまった。これが、今となってはちょっと悔やまれる。
その後も、ウクライナ関係本を古書店で見つける度に読んでいたが、こんな折なので読んだいくつかの書籍をまとめてみた。

ガリツィアのユダヤ人―ポーランド人とウクライナ人のはざまで 野村真理 著
ウクライナより愛をこめて オリガ・ホメンコ 著 
ウクライナ100の素顔 -もうひとつのガイドブック 東京農大ウクライナ100の素顔編集委員会(編集)
ポーランド・ウクライナ・バルト史(世界各国史)
物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 黒川祐次 著
ディナモ―ナチスに消されたフットボーラー アンディ・ドゥーガン著
ペンギンの憂鬱 アンドレイ・クルコフ 著
フランス組曲 イレーヌ・ネミロフスキー 著

ガリツィアのユダヤ人―ポーランド人とウクライナ人のはざまで 野村真理 著

ガリツィアと言われても日本に住む者にはピンと来ないが、ガリツィアとは現在のウクライナの西部でリヴィウ(リビウ、レンベルク)を中心とした一帯を指している。東欧(スラブ人、ルーシ人)の歴史を知るとき、ユダヤ人との歴史は切っても切れない。ウクライナ(とポーランド)は、それこそユダヤ人と共に歩んできており、ユダヤ人視点から眺めると、ウクライナの民族主義の高まりや共和国成立を経て、第2次世界大戦後のウクライナの歴史うねりが客観的によく理解できる。
そして、ウクライナ西側はかつてはポーランドに治められていたが、その時代より近代化の要となったのがユダヤ人たちの働きであり、ウクライナの民族主義もポーランドとユダヤ人との確執から醸成されてきたと言っても過言ではない。

さかのぼること1095年から始まる十字軍の時代。ムスリム達への十字軍討伐の正にとばっちりを受ける形で、欧州のユダヤ人たちは迫害される。そんな中で1264年のポーランドでは 「ユダヤ人の自由に関する一般教書」(カリッシュ法)が発布され、以降ポーランド王はユダヤ人を直接保護をすることになる。王の直接の支配下にユダヤ人をおいて、その才能を重用し、国家繁栄に生かそうとしたわけだ。その後も14世紀のペストの流行で迫害を受けたユダヤ人をもポーランドは受入れており、ポーランドには多くのユダヤ人が移住してくるようになった。

16世紀になるとバルト海貿易でポーランドの港町グダニスク(ダンツィヒ)はたいそう栄えた。そのバルト海貿易を支えたのは、ウクライナの豊かな土壌にあった。西ヨーロッパでは急増する人口故に穀物が大量に必要になり、それに応えるのがポーランドの土地と作物、続いてウクライナの土地と作物となったのである。

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そこで、ポーランドの貴族達がウクライナに進出し、未開であったウクライナの土地の開墾に着手し始める。その際に、ポーランド貴族の手下として農民の管理を含め、経済運営の一切合切を一手に引き受けたのがユダヤ人たちであった。その規模は「ユダヤ人を持たない貴族は半人前」と言われるほどで、両者の関係はとても密接。徴税や収穫した穀物の売買はもちろんユダヤ人たちの専売特許であったし、それ以外にもユダヤ人内で分業がなされており、貴族の館の管理まで任される便利屋ユダヤ人までいたと言う。
つまり、ポーランドの権力者たちは、西ヨーロッパへの穀物輸出という主要産業から身の回りの世話まですべてをユダヤ人に任せていたことになる。

一方、こうした汗をかかずに中間搾取を行なうユダヤ人を、ウクライナに住む農民たちが憎むことになったのは当然のことである。農民たちのほとんどはルーシ人、すなわちウクライナに古来から住むスラブ民族(現在のウクライナ人)である。彼等からしてみれば、ユダヤ人がポーランド人の手先となって、自分たちを農奴として扱い、収奪をするのだから、おもしろくないことこの上なかったろう。
この時のポーランドを示す有名な言葉「貴族の天国、ユダヤ人の楽園、農民の地獄」の始まりである。

ウクライナとの国境付近の街 ルーマニア シゲトゥ・マルマツィエイ Sighetu Marmaţiei
ウクライナとの国境付近の街 ルーマニア シゲトゥ・マルマツィエイ Sighetu Marmaţiei

更にその後の歴史の流れにおいて、穀物の輸出減がウクライナの人々に追い打ちをかける。17世紀半ばより西ヨーロッパは穀物を自給できるようになり、ポーランドからの輸出も激減する。この収入減の苦境からポーランド貴族は追い込まれ、更に農民に厳しく接し、鉛を吹き付けた棍棒で農民を痛めつけるなどして酷使したとある。

また、貴族たちは足りない収入を補う為に、貴族が独占権を持つ酒の製造と販売に手を染める。これによって農民は更に少ない所得を吸い上げられ、困窮度は増すばかりであった。
中でもウクライナ地域では、酒の製造が顕著におこなわれた。なぜならバルト海から遠く輸送コストがかさむウクライナでは、酒の製造販売によって穀物出荷の穴埋めをするしかなかったためである。その比率も3~7割と本業そっちのけで多かったらしい。更に悪いことに、この酒場の運営を貴族たちはユダヤ人に任せた。その際、ユダヤ人たちは農民への酒の販売だけでなく、農民への金貸しとしても活躍した。

そんな中で、1648年のコサックの反乱(フメリニツキーの乱)がおきる。軍事的共同体であるコサックたちに、農民達も加勢し、この反乱は大規模であった。この反乱によって、当時大国であったポーランド(ポーランド・リトアニア共和国)を衰退させ、ウクライナ独立(ヘーチマン国家)の契機となる。そして、この反乱時にユダヤ人は10万人以上が殺され、この地帯のユダヤ社会は大打撃を受けた。

しかし、この独立は短命で、1686年 永遠平和条約(グジムフトフスキ条約)で、再びロシアとポーランド(+リトアニア)とでウクライナは分割されてしまう。その後1772年、今度はポーランドがドイツ、オーストリア、ロシアに分割されてしまい、ポーランド自体が消滅してしまう。そこでガリツィア地方はポーランド支配からオーストリア支配(ハプスブルク家)に移行した。その際にガリツィアを見たオーストリアの驚愕した記録がウクライナの惨状を物語っている。

首都リヴィウは言葉に絶するほど荒んでおり、生ける肉体と化した農民とおびただしい数の貧困にあえぐユダヤ人ばかりである。特にユダヤ人は犯罪や卑しい仕事を担う者も多かった。

そこでオーストリアは、ユダヤ人だけに対して諸権利を奪い、重い税を課して、同地から追放を試みる気運が生まれる。しかしながら、経済運営を担うユダヤ人を急速に追い払うことは不可能であり、表向きは寛容を装いながら、ヘブライ語、イディッシュ語を禁じ、ドイツ語をユダヤ人に強いるなど締め付けを強化していった。

ウクライナとの国境付近の街 ルーマニア シゲトゥ・マルマツィエイ Sighetu Marmaţiei
ウクライナとの国境付近の街 ルーマニア シゲトゥ・マルマツィエイ Sighetu Marmaţiei

かつてのポーランド王から受けたような後ろ盾を失っているユダヤ人は、これ以降、権力に対して政治的に中立の立場をとろうとしたり、なるべく強い者(権力のある者)の側につこうとする。一方、ウクライナ人は再びの独立を狙い、民族主義色をますます強めていった。

ロシア革命によってロシアは体制が変わり、続いて第1次世界大戦が終わりハプスブルク家の体制は崩壊し、ドイツでも革命がおこる。その結果、1918年に分割されていたポーランドが復活する。この時、ポーランドとウクライナとの間で再び紛争が起こり、そのどちら側にもつかなかったユダヤ人は1918年のリヴィウにおいて酷いポグロムに遭う。ポーランドにもウクライナにも肩入れしない中立の立場をユダヤ人はとったが、どっちつかずの態度は相手から誤解を受けやすい、この時ポーランドは、ユダヤ人がウクライナに協力をしていると見なしてユダヤ人を虐殺している。

この後、ウクライナに対してソ連も食指を動かす、新しいソ連とポーランドが争った結果、ウクライナ東部はソ連のウクライナ・ソビエト社会主義共和国へ、ウクライナ西部はポーランドの傘下となる。そして、ほどなく第2次世界大戦となり、ナチスドイツに占領されたポーランドはウクライナ西部をもソ連に譲ることになる。

この時、ユダヤ人たちにとってソ連とは、反ユダヤ主義のドイツやポーランドから守ってくれる立場でもあり、ソ連に協力すらした。そんなソ連の支配下のリヴィウでは、ウクライナ人がユダヤ人に対して反感をつのらせていくのは当然のことだった。

1941年にはナチスドイツは不可侵条約を破ってソ連に侵攻する。つかの間の間ソ連の支配下にあったリヴィウもドイツ軍に占領される。ソ連は退却時にリヴィウの刑務所で数千人の囚人を処刑した。ウクライナ人は、この処刑を口実にして、ソ連に協力的であったとしてユダヤ人を虐殺する。これがリヴィウでの二度目の大きなポグロムである。

昨今のウクライナでも歴史修正主義的に英雄視し持ち上げられている人物バンデラ(Stepan Bandera)が、この時に登場する。ウクライナの民族主義者は機を狙って勢力を増していたが、この時のリヴィウのポグロムでそれが爆発した。バンデラの率いる民族主義者が5,000人以上のユダヤ人の処刑を行ったのだ。

こういった排外主義は、第二次世界大戦後の国境の再設定とあいまってウクライナとポーランドの民族構成に大きな影響を及ぼした。ナチスドイツのホロコースト、ポーランドやウクライナのポグロムによってユダヤ人は各国から一掃され、あわせて国境の再設定により民族移動がなされ、ポーランドからはドイツ人が、ウクライナからはポーランド人がいなくなった。そして、ポーランドもウクライナも同国人の割合が極端に高くなっている。

多民族によって形成される国が多いヨーロッパで、このウクライナとポーランドの特異な状況は極めて稀であり、第2次世界大戦前後で急速に人口構成が変化したことがこの本からわかる。また、ウクライナの民族主義の高まりと強固さ、そして今でも民族意識が強烈であることは、長い歴史を通じて培われてきたことであることがこの書籍「ガリツィアのユダヤ人」から理解できた。

農民の国ウクライナは、ポーランド、オーストラリア(ハプスブルク)、ロシア(ソ連)と大国支配に相次いで悩まされ続けてきており、その都度、民族の結束を求められてきたことが、ある意味ユダヤ人という第三の視点で明らかにされる興味深い書籍である。

ウクライナより愛をこめて オリガ・ホメンコ著

ウクライナ人女性による柔らかな日本語で綴られた好エッセイ集。著者の身近な方々の親しみを覚える話を通じて、ウクライナ史の紹介本にもなっている。

どの話の描写も「微笑みがきれいで、美しい声の女性だった」「おばさんの家はドライフルーツの香りがしていた」と豊かな表現なので、魅力に富んだお話内容に更に引き込まれることになる。そして、ウクライナ史では避けることのできない話題、バビヤールもチェルノブイリも飢饉も死の試合ディナモも、これらの方々の話を通じて登場する。

興味深い話も多々あり、例えばブルガリア、ラトビアは共産主義社会崩壊時、過去に政府によって接収された資産や土地が元の持ち主に返還されたが、ウクライナはそうはならなかったという悲惨な話を初めて聞いた。

ソ連の支配が続き、断絶してしまったウクライナ文化とその復興の話題も多い。共産党政権によるロシア語の強要で、ウクライナ語は70年間使われにくい状況が続いたそうだ。その間でウクライナの子守歌の伝承が途絶えてしまったと言う、それを復活させる為に尽力した方の話があった。

また、東方正教会で用いられるイコンには家庭イコンというものがあるらしい。これは各家庭に飾るお守りのようなもので、生真面目な教会のイコンに比べて、親しみやすく肉感的なものも多いという。宗教が禁じられ、家庭イコンは長らく公に飾ることができなかった。その家庭イコンがすたれつつあった中で、長い期間をかけてコツコツ集めて博物館を造った方がいる。集めたイコンは粉ひき小屋を改造した博物館に展示しているらしい。こちらなどは是非訪れたくもなる。

正教会のイコン @ベオグラード 聖サワ大聖堂 Храм светог Саве

圧巻は、キエフの歴史散歩の章があり、有名なマロニエ並木の由来が面白く描かれている。そして、ポプラの綿毛が美しく舞う6月の描写などが描かれる。この本を携えて並木道を歩き、国立中央銀行の建物を味わったり、質感がチョコのようだと言うチョコレートの家を訪ねてみたい。

読んで、ウクライナへの想いがいっそう強くなった名著である。

ウクライナ100の素顔 -もうひとつのガイドブック 東京農大ウクライナ100の素顔編集委員会(編集)

豊富な写真で綴られ、農業国の力量を見せつけてくれる良書。東京農大関係者の筆使いがウクライナへの愛に満ちていて、トピックの描写も細かく眼差しが暖かい。旅のガイドブックとしても素晴らしい一冊である。

パラパラめくって写真を見ていると、街道沿いの赤タマネギの編上げ、農業展示会、果物の並ぶ様が目につき、ウクライナの豊かさを、これでもかと実感させてくれる。

チェルノーゼムと言われるウクライナの肥沃な黒土の説明も詳しい。肥料がなくても小麦が育つほど豊かな土は、同じ黒土の関東のそれとは天と地ほど養分の差があるらしい。

養蜂の遊び心として、丸太をくり抜き人の顔をもした蜂の巣箱がある。これがとてもかわいらしく、昔は各農家の庭におかれていたらしい。ウクライナは蕎麦の生産もさかんで日本も大量輸入している。蕎麦の花から得られる蜂蜜はビタミン、鉄分が豊富で人気があるとあって、そう言えば、ポーランドでも蕎麦の蜂蜜を見かけたことを思い出した。

ポーランドの市場で見かけた蜂蜜 @Plac Targowy Stary Kleparz クラクフ
ポーランドの市場で見かけた蜂蜜 @Plac Targowy Stary Kleparz クラクフ

お酒のしきたりも面白い。集るとショットグラスで幾度も一気飲みするようだが、3,7,21回目は女性の為の乾杯と決まっており、男性は起立をして乾杯するとある。また、お酒のたしなみとして、飲みが足りない人にお酒をキチンと勧める「kontrol」なる言葉まであるらしい。

食の側面からウクライナを知る良書である。

ポーランド・ウクライナ・バルト史(世界各国史)

この本の歴史のくくり方は、この地域の歴史を知る上でとても相性がよい。歴史上国境線が目まぐるしく変わる同地では横断的に地域史として、この地域をまとめるのはとても有効であるからだ。取り扱う国はポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニア、ラトヴィア、エストニア各国となる。現在でこそ、これらの国名となっているが、いずれの国も独立して間もない国ばかりである。そして、独立前の歴史はスラブ人の歴史として渾然一体となっている。

また、リトアニアは中世において、現在では想像がつかないほど巨大な国であり、その領土はバルト海から黒海までおよんでいたし、ポーランドも分割前は強大強力な国で「貴族(士族)の共和国」と呼ばれていた。そのポーランドとリトアニアがお互い手を組んで同地を支配していた時代もある。

この混沌とした東欧地帯には、ドイツが「北の十字軍」としてちょっかいを出してきたり、ロシアやソ連が度々侵攻してきたりと、あらゆる面でドイツとロシアに挟まれ、阻まれた歴史がつらなってくる。

グダニスク ポーランド マルボルク城 タンネンベルクの戦い 北の十字軍 マリーエンブルク ハンザ同盟 ドイツ騎士団

グダニスク近郊 ガイド 2 マルボルク / マルボルク城とタンネンベルクの戦い、『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』 山内進 著 を読む

今回の旅のテーマは、東プロイセンとハンザ都市を巡ることだったのでマルボルク城(Z…
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また、先に触れたポーランド繁栄の基礎となった港町グダニスクの輸出、この販路の80%がネーデルランドであったとか、具体的な記述も多く地域横断で時代の特質を知るのに優れている。

物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 黒川祐次 著

中公新書の物語シリーズは大好物であり、本書も素晴らしい内容でウクライナ史を俯瞰し、うまくまとめてくださっている。書籍の性格上『ガリツィアのユダヤ人』では描かれなかったウクライナ東部の歴史的流れもこちらで押さえることができる。また、リトアニア公国やキエフ・ルーシ、クリミアにも多くのページが割かれており、東欧の郷土博物館には必ず展示室がある古代であるスキタイ(遊牧騎馬民族)から記載されているのも助かる。

そして、文化面での記述もしっかりなされている。日本では、ロシア人音楽家とひとくくりにしてしまっているアーティスト、ホロヴィッツやオイストラノフ、ミルステイン、ニジンスキーなど多くの人物が、実はウクライナ出身であることも気がつかせてくれた。

ディナモ―ナチスに消されたフットボーラー アンディ・ドゥーガン著

ドイツ軍占領下のキエフにおいて、ドイツ空軍チームとウクライナチームによっておこなわれたサッカー対抗試合、所謂「死の試合」について詳細に描かれている。ナチスドイツの占領下で、パン工場で働かされていたウクライナの選手達が再度チームを結成し、ドイツ空軍のサッカーチームとの試合に臨む。サッカー試合の描写、人物の描き方がハラハラ、ドキドキするほど上手く、クライマックスでは、固唾を飲みながら読みすすむことになる。

虐げられたスラブ魂に民衆共々火がつく小さなスタジアム。試合に勝ったら命の保証はないと脅されて、迎える2度のドイツ軍との試合。小説のような展開に顛末や如何にと読み進めてしまう。
ウクライナ史、当時のフットボール史(サッカー史)にも詳しく、陰惨な話が中心となるが、冒頭と中間部の豊穣な食卓シーンに生唾を飲んでしまったりもし、ウクライナへの更なる興味を誘発する。

この「死の試合」の詳細については諸説あるようだが、ウクライナ受難の歴史のエポックメイキングな出来事であり、丹念に描かれた読み物としても優れている。ウクライナの歴史、民族性を知るためにもお薦めの一冊である。

ペンギンの憂鬱 アンドレイ・クルコフ著

小説家 アンドレイ・クルコフは、このところウクライナの現況を発信しており着目されている。代表作『ペンギンの憂鬱』は欧州でも人気だったらしく、しっとりしたサスペンス作品で読み応えがあった。

平凡な光景が淡々と綴られているようでありながら、ペンギンと同居し、いつの間にか女性と同居し始め、日常が実はじんわりと妙な変化をしてきている描写が見事だ。物書きである主人公が、美味しい話と思って受注した死亡記事を書く仕事も、ゾワゾワする展開に静々とかわっていく。ふと立ち位置を確認してみて気がつくと、かなり奇妙な生活に陥っていることを、読み進めると我が身のことのように体感している。

この境遇が、読み手も気がつかずに忍び寄ってくる様が凄いし、ダレずに物語は自然と進行するのも著者の力量である。そしてラストもストンとした幕切れでお見事であった。物語の舞台はキエフ(キーウ)やハリコフ(ハルキウ)、どことなくウクライナの土地の雰囲気も味わえるし、キエフの不穏な空気感は物語故なのか、現地の実際の空気感なのかは確かめたいところである。

フランス組曲 イレーヌ・ネミロフスキー著

ネミロフスキーもユダヤ系のウクライナ人でキエフ生まれであった。ロシア革命の折、コミュニストから祖国を追われ、たどり着いたのがフランスであった。異国での様々な体験とそんな生い立ちからか、小説で描かれるあらゆる階層の人たちが多様で、登場人物への眼差しにも情が通っている。

小説は5部構成の予定ながら第2部で絶筆、未完である。永遠に物語は終わらない。未完故に、第1部で細かく描き込まれた人々を、読み手は空想の世界で、自由に動かすことができる。空想すると、あの群像が、あの人々が交わり合い、頭の中で世界が動き出す。

小説が未完である理由は悲惨だ。著者がアウシュビッツで絶命した為である。
最後に書いた終章は、戦時下のドイツ兵とフランス人女性の恋の物語。そこに介在するのはピアノ。戦火の中、著者自身が迫害を受けつつも気高い文章をしたためた。この終わらぬ物語が連綿と心に残る。

各章の終わりが、圧倒的な幕切れやシニカルな一文で結ばれる。ブルックナーの曲にある休符のようで、実に効果的。その休符がある時は余韻をもたらし、ある時は次の章に移る一拍だったりもする。なのでタイトルは「組曲」。

巻末に5部構成の構想メモが付属する。作家の頭の中での、先々の構想、作家自身の迷い、第2部までで描いた中でも大切にしている登場人物等々。更にト書き的な記載によって、読み手に対して狙っている心象効果もわかる。読むと、この作品がもし完成していたら、との想像を掻き立てる。

小説内では微笑ましい場面もある。「フランスパンは軽くて、胃にたまらない」と不平を言うドイツ人。「こんなおいしいものを」とこれを信じられないフランス人。隣国にして、こんなものなのかなぁ、と感じた。

ネミロフスキーは、『フランス組曲』のような大作だけでなく、短編も見事だ。短編集『秋の雪』の中に「腹心の友」という身近な小説がある。内容はサイコパス的な少々恐ろしい女性の話なのだが、これが静かに昔語りをする様が素敵で、主人公の頂点をすぎた指揮者と同じ視点で耳を傾けてしまうという筆致、とにかく凄い。こちらはナチスが影響力が増しつつある時期に書かれ、実名で発表できない為に偽名で出版された。

秋の雪―イレーヌ・ネミロフスキー短篇集

ウクライナ / キエフ キーウ 、 ハリコフ ハルキウ 、 リヴィウ リビウ

<詳細情報>
ガリツィアのユダヤ人―ポーランド人とウクライナ人のはざまで 野村真理 著

ウクライナより愛をこめて オリガ・ホメンコ 著

ウクライナ100の素顔 ―もうひとつのガイドブック 東京農大ウクライナ100の素顔編集委員会 (編集)

ポーランド・ウクライナ・バルト史 (世界各国史)

物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 黒川祐次 著

ディナモ―ナチスに消されたフットボーラー アンディ・ドゥーガン著

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フランス組曲 イレーヌ・ネミロフスキー 著

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