旅で重宝するオリーブ石鹸、以前中東に旅に出かけていた時から愛用するようになった。 池袋の古代オリエント博物館でパルミラ遺跡の大きなジオラマを見て、内戦で荒廃し様変わりしてしまったであろうシリアに想いを寄せた。そして、書籍『イスラム技術の歴史』から世界中で多くイスラム起源の技術が活かされており、シリアのアレッポの名産となっている石鹸もイスラムの技術の1つであることを知った。また、古代オリエント博物館 企画展「ヨルダン川の彼方の考古学 —ヨルダン考古学最新事情—」からヨルダンを3度にわたって訪れたことも振り返ってみた。
● 洗顔にも洗濯にも使える便利な旅行用石鹸、オリーブ石鹸
● 『イスラム技術の歴史』アフマド・Y・アルハサン,ドナルド・R・ヒル 著からイスラムの高度な化学技術を知る
● シリア パルミラ遺跡(Palmyra)の思い出
● シリアの首都 ダマスカス(Damascus)の活気
● 古代オリエント博物館でパルミラの遺跡に再会する
● 古代オリエント博物館 企画展の「ヨルダン川の彼方の考古学 —ヨルダン考古学最新事情—」
● 洗顔にも洗濯にも使える便利な旅行用石鹸、オリーブ石鹸
旅の準備はオリーブ石鹸(アレッポ石鹸/マルセイユ石鹸)の切出しから始まる。マルセイユ石鹸は洗顔石鹸、入浴石鹸としてだけでなく、シャンプーにも洗濯石鹸にもなる。これ一個ですべてこなす優れものなので、旅行に最適な旅石鹸である。
そこで、大きなオリーブ石鹸を買ってきて、毎回旅の日程に合わせた大きさにソープカッターで切り出す。写真のように石鹸の下から針金を通すと、スィーと切れ、宿泊日数に応じて切り分けられる。万能石鹸なので重宝この上ないのがオリーブ石鹸。
以前、中東旅にはまっていた際には、その度に良質安価なアレッポ石鹸を大量に買い込んでいた。それ以来、アレッポ石鹸などのオリーブ石鹸が旅の常備品になっている。
● 『イスラム技術の歴史』アフマド・Y・アルハサン,ドナルド・R・ヒル 著からイスラムの高度な化学技術を知る
オリーブ石鹸の歴史は、イスラムの知恵と技術から生まれた。書籍『イスラム技術の歴史』 アフマド・Y・アルハサン,ドナルド・R・ヒル 著の化学技術の章に詳しく記載がされている。
この本は面白い内容が満載であり、西洋起源と思いがちな技術の数々が、実はイスラム圏の発見や発明に基づくものだと気がつかされる。例えば「船舶と航海術」の章ではイスラム技術に特化した造船技術やラティーノ(三角帆)について特長含めてしっかり触れておりイスラム目線なのが新鮮に感じる。また、火薬を含めて軍事技術が極めて発達し、十字軍を打ち負かし続けたイスラム故にこれら化学技術には優れたものが多い。
蒸留器を「アランビック」と言うが、この言葉も蒸留技術もイスラム起源で、この技術が原油の精製につながり先の軍事技術の発展に大きく寄与しているし、香水精製という世界初の産業をも生み出したりもしている。
石鹸の製造に必要な「アルカリ」もアラビア語であり、「アルカリ」はシリアのアシュナーン、ウシュナーン、シナーン等と呼ばれる灌木の灰からとられたものを指す。固形石鹸の作り方は、この「アルカリ」と石灰を煮詰めて水酸化ナトリウムを作ることから始まる。そして、この水酸化ナトリウムを、火にかけたオリーブオイルに幾度も段階を分けて注ぎ、固形化していくことによって硬石鹸が完成する。
● シリア パルミラ遺跡(Palmyra)の思い出
そのアレッポがあるシリアを訪ねたのは1999年。今は亡きパルミラの遺跡群を訪ねた。パルミラ行きは首都ダマスカスからバスで片道3時間あまり、日帰りするにはかなりキツい強行軍となった。途中、なにもない砂漠を延々とバスに揺られたことを覚えている。
そして、こんな砂漠のまっただ中の遺跡が戦地になるとは考えすら及ばなかった。今にして思えば、あの時に訪れていなければ、この広大な敷地にある巨大なパルミラの遺跡群を見られなかったことになる。
中心にある遺跡群から離れたところには墳墓の谷という所があり、紀元103年に創られた墳墓がある。そこにあったフレスコ画の美しさと彫像の保存状態には息を呑んだ。
● シリアの首都 ダマスカス(Damascus)の活気
パルミラ遺跡が破壊、転売され、更にはシリアでは多くの人命までもが失われていることに胸が痛む。当時からアサド大統領は威圧感たっぷりで秘密警察国家の悪名もあった。でも、4000年の歴史あるダマスカスのスーク(市場)は香水、タバコ、絨毯、金銀の食器、民族衣装、香辛料にあふれており、これらが雑踏、ゆきかう声々、むせかえる臭いに共鳴して『豊か』そのもの。数千年の歴史の前に一時現れた独裁者の存在などどこ吹く風といった街場の力強さを感じた。
町中ではハリウッド映画が上映され映画館には人の列、自国産のコカコーラまであった。猛暑の砂漠の国ながらカフェでは青々としたサラダが供される。これが肥沃な三日月地帯か、と感心した。
こうしたシリアを気に入って、中世の美しい都市と評判で同じく立派なスークがあるらしいアレッポ( Aleppo)にもいずれ訪れたいと思ったが、内戦と国土の荒廃で、それも適わぬ夢となってしまった。
● 古代オリエント博物館でパルミラの遺跡に再会する
こうした内戦と蛮行の結果によって大部分が失われてしまったパルミラの遺跡であるが、これを再現してる場所が日本にある。場所は、池袋サンシャインシティ内の古代オリエント博物館。ショッピングモール内にある文化施設なんて百貨店の企画展示程度かと勝手な想像をしていたが、ここまで本格的な博物館とは知らなかった。
展示されている今は亡きパルミラの見事なジオラマ模型を見ながら、巨大なベル神殿まで炎天下の中テクテク歩いたのを思い出した。
また、内戦で失われてしまった パルミラの遺跡関連の展示も素晴らしい。また、古代オリエント博物館はシリアの発掘調査をおこなったことからパルミラの貴重な写真が収蔵され現在500点もの写真が『古代オリエント博物館 パルミラ遺跡写真 アーカイヴ』としてネットで公開されている。
古代オリエント博物館は収蔵品も多く、楔形文字を実技で教えてくれたり、キャプションも丁寧だったりで、とても楽しい博物館である。
また、この古代オリエント博物館の収蔵品の中にエジプトやイランの美しいものがあった。エジプトの奉納碑にはデモティック(Demotic)と言われる民衆文字とヒエログリフ(hieroglyph)神聖文字が併記されている。オシリス神への供物の図が刻まれている。
イランの花と鳥が描かれた見事な鉢、この紋様はササン朝ペルシア時代からの伝統らしい。
● 古代オリエント博物館 企画展の「ヨルダン川の彼方の考古学 —ヨルダン考古学最新事情—」
かつて3度ほど訪れたヨルダンへの懐かしさもあって、企画展の「ヨルダン川の彼方の考古学 —ヨルダン考古学最新事情—」も楽しみであった。
実はヨルダンには有名なペトラ遺跡以外にもたくさんの遺跡があり、アンマン近郊にもアムラ城、ハラナ城、ウム・カイス、ジェラッシュなどがある。アンマンから近いので、どの遺跡もバスやレンタカーで砂漠をつっきって訪ねるかたちになる。展示してあったヨルダン遺跡地図を見ると首都アンマン近郊には見どころがたくさんある。
・アムラ城(Qaṣr ‘Amra)
ウマイヤ朝時代のカリフが建てた城。城と言っても小規模で中に浴室があり、企画展のキャプションには「砂漠での狩の後にここで一風呂浴びたのではないか」とある。ここを訪問した際は、世界遺産にしてはちょっとしょぼくれた感じがしたが、それは、内部が暗くてフレスコ画がよく見えなかった故と思う。フレスコ画も今回展示写真でくっきり、楽器を弾く熊や半裸の婦人の絵などイスラム文化ではかなり意外な絵があったことを知った。
・ハラナ城(Qasr Kharanah)
なにもない砂漠に忽然と四角い大きな城が現れる、ここを訪れた時は驚いた。今回の展示解説では「この建物は戦時に備えた砦か、砂嵐に耐える隊商宿ではないか」と説明書きがあって納得した。城の屋上に登ると周囲には砂漠以外本当になにもなかった。
・ウム・カイス(Umm Qais)
後期ローマ時代の邸宅の跡らしい。展示のキャプションにも、ガリラヤ湖とゴラン高原が見える風光明媚な場所とあり、「まさしく」である。紛争が絶えぬ地だが、絶景を臨む遺跡だった。柱は玄武岩とあり、道理で黒く立派な柱であったと25年を経て知る。
・ジェラシュ(Jerash)
今回の展示では地図に名称が載るのみだが、保存状態に優れた一大ローマ遺跡がアンマンから50kmの所にある。現在はペトラ遺跡に次いで人気らしい。訪問時は遺跡内で夕暮れからシェークスピア劇を鑑賞、古代ローマ劇場で観るそれの幽玄さに参ってしまった。
・ペトラ(Petra)
JICAの協力でペトラにモダンで新しい博物館ができたことを知り、隔世の感。25年も前の訪問では入場料も安く、ヒッチハイクをしたり、冒険家気分で訪ねた遺跡。当時は施設もなく、ほぼ未整備でアチコチ歩きたい放題、ベドウィンも遺跡内で暮らしていた。
最近はナバテア研究の邦訳本のおかげでペトラ遺跡の理解が進み、ブログで「謎の文明を解き明かす『ナバテア文明』 ウディ・レヴィ 著を読む」というタイトルでまとめてみた。
ここで取り上げた書籍『ナバテア文明』は、中東古代史や死海文書等に興味がある方やヨルダン イスラエルを旅する人に大推薦の書籍である。