グダニスク近郊 ガイド 1 グディニャ / バルト海の三連都市 グディニャ、ソポトとギュンター・グラスの小説『蟹の横歩き ヴィルヘルム・グストロフ号事件』 を読む

グダニスク近郊 ガイド 1 グディニャ / バルト海の三連都市 グディニャ、ソポトとギュンター・グラスの小説『蟹の横歩き ヴィルヘルム・グストロフ号事件』 を読む

街歩き/都市ガイド
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グダニスクは歴史ある街だけあって、その近郊にも見どころのある街がいくつかある。グディニャは外航船やフェリーが行き来する北の玄関口であり、ポーランド海軍本部もある軍港でもある。そのグディニャとグダニスクの間に位置するソポトは、海辺の一大リゾート地で立派なスパ施設が建ち並び、ヨーロッパ一長い木製桟橋 (Pier in Sopot / Molo w Sopocie)で有名だ。

グダニスク、グディニャ、ソポトは「三連都市」(Trójmiasto)と呼ばれ、それら都市間のつながりも強い。グダニスク逗留の中でドライブをして、こららの街を訪ねてみた。

ちなみに、グディニャに興味を持つきっかけとなったのは、ギュンター・グラスの小説『蟹の横歩き ヴィルヘルム・グストロフ号事件』を読んだからであった。この本の題材は第二次大戦末期、ポーランドから脱出するドイツ避難民を満載した船「ヴィルヘルム・グストロフ号」の事件。この避難に使われた船がソ連の潜水艦に撃沈され、9,400人が犠牲となる大事件が終戦間際に起きた。小説内では、沈没時の混乱の描写が興味深く描かれており、その後日譚とともにこの事件には強い印象を持った。それ故に、どうしてもグディニャを訪れてみたくなったのだ。

ヨーロッパ一の木製桟橋を見学しに ソポト(Sopot)へ
ポーランド最大の港 グディニャ(Gdynia)へ
小説『蟹の横歩き ―ヴィルヘルム・グストロフ号事件』 ギュンター・グラス著 を読む
グディニャ博物館(Muzeum Miasta Gdyni)
グディニャ海軍博物館(Muzeum Marynarki Wojennej)
駆逐艦ブリスカヴィカ(Okręt-Muzeum ORP “Błyskawica”)-博物館船-
グディニャ水族館(Gdynia Aquarium)

● ヨーロッパ一の木製桟橋を見学しに ソポト(Sopot)へ

バルト海沿いに沿ってドライブをしてまず訪れたのが、グダニスクから15キロほど北上したところにある街ソポト(Sopot)。ここはPier in Sopot と言うヨーロッパで最も長い木製の桟橋があり、その長さが500mもあることで有名である。訪れたのがオフシーズンということもあって、海岸に近い路上パーキングに手軽に車を停める。パーキングチケットを買う端末もあちこちにあり、リゾート地はやはり便利だ。海も桟橋も目と鼻の先である。

パーキングチケット @Sopot

桟橋に行く手前は短いながら商店街になっており、この町の定評である「ねじれた家」の異名を持つクシヴィ ドメック(Krzywy Domek)を外から眺めた。プラハのダンシング・ハウスと似ているが設計者は異なる。

「ねじれた家」クシヴィ ドメック @Sopot

そして、海辺に向かい桟橋 Pier in Sopotへ。由緒あるリゾート地だけあって、桟橋の手前には立派な施設が建ち並ぶ。海辺は肌寒い早朝なので人影もないが、バルト海に面した砂浜と朝の潮風が気持よい。

▲桟橋前の広場 @Sopot
早朝の砂浜 @Sopot

確かに桟橋の向こうが霞むほど長い。往復すると1キロ、無駄な気もするが歩き始める。

桟橋の木製床 @Pier in Sopot

案の定、突端に行っても、目の前に海が拡がるだけで釣りをしている人が1名のみ(笑)。そのまま、風に吹かれつつ陸地に戻る。

桟橋の先端 @Pier in Sopot

● ポーランド最大の港 グディニャ(Gdynia)へ

第一次大戦後のベルサイユ条約で、グダニスク(ダンツィヒ)はポーランド国内に位置するも自由都市の名の下、国際連盟の統治下となり、ポーランドにとっては外国の地となってしまった。そこで、ポーランドの意のままにならないダンツィヒ港は不便であり、これに対抗してつくられたのがグディニャの港である。つまり、バルト海に面した充実した港湾都市であるダンツィヒを失ったポーランドが目をつけたのがグディニャの町だった。当時のグディニャは小さな漁村で、今とは比べものにならないくらい小規模な町だったらしい。
しかし、現在では国1番の主要港となっており、グディニャの街の規模もとても大きい。そして、グディニャは近郊のソポト、グダニスクとあわせて「三連都市」(Trójmiasto)と呼ばれ、それら都市間のつながりも強く、ポーランド民主化でのストライキでは、いつもグダニスクと連動していた。

グディニャの埠頭 @Gdynia

小説『蟹の横歩き ―ヴィルヘルム・グストロフ号事件』 ギュンター・グラス著 を読む

グディニャをもうひとつ有名にしている話がある。第二次大戦中、ポーランドがせっかくつくったグディニャ港はドイツに占領され、その期間のみ町は改名され「ゴーテンハーフェン」(ゴート族の港の意)となった。そして、1945年の大戦末期、迫りくるソ連軍に追われたドイツ民間人がドイツ本国に避難する際に脱出港として選んだのがグディニャ港であった。

そのグディニャからの脱出で使われ、避難民を満載した船「ヴィルヘルム・グストロフ号」がソ連の潜水艦に撃沈され、9,400人が犠牲となる大事件が起こる。その沈没時の混乱の描写と物語を興味深く描いたのがギュンター・グラスの小説『蟹の横歩き ヴィルヘルム・グストロフ号事件』。グディニャを訪ねてみたくなるきっかけとなった本だ。

この「ヴィルヘルム・グストロフ号」は乗客約1500名が乗船できる客船で、客室は463室もある。劇場やプールも備えており、豪華客船と言える。発注したのは、歓喜力行団(KdF)と言うナチスが国民に対して福利余暇活動を提供する組織。この組織と幹部のロベルト・ライによって、ドイツ国民に対して船旅であるクルーズが大々的に企画され、労働者に提供された。このような船は「ヴィルヘルム・グストロフ号」以外にも7隻も就航していたらしい。この船を発注した歓喜力行団(KdF)は、ヒトラーの国民車構想で生まれたフォルクスワーゲンの購入制度なども運営し、ナチス政権の人気獲得に大きく貢献していた。

観光船が並ぶ現在のグディニャの埠頭 @Gdynia

ワイマール体制下、困窮にあえぎ失業者も増大する中、ドイツ人たちにとっては、生活の改善から余暇まで提供されるナチスの福利厚生施策はとても眩いものに見えたのだろう。この辺りの状況は 岩波少年文庫「ぼくたちもそこにいた」 ハンス・ペーター・リヒター著 を読むと、その心情とともよく理解できるし、作中にはこの客船に乗ってノルウェーのフィヨルドクルーズを夢見る一般ドイツ家庭の会話も登場する。

「ヴィルヘルム・グストロフ号」は豪華なクルーズ船にも関わらず船室の等級を廃し、全客室において階級を廃する設計になっている。これも歓喜力行団のロベルト・ライの指示だった。また、船名の「ヴィルヘルム・グストロフ」は当初ヒトラーの名を掲げる予定だったが、ユダヤ人に暗殺されたナチスの高官の名前グストロフに差し替えられた。これもナチスが反ユダヤ・キャンペーンに活用するためであった。

そして、敗戦色濃くソ連軍が迫りくる1945年1月31日、早朝からグストロフ号には9000人以上が乗り込んだ。乗船人数が定かではないほど多くの人数が乗船したものだから時間も要して、昼頃にようやく船は出港。更に、沖では別の船から乗船する人々を数百名も受入れる。そして、再びドイツ本国のキールに向けて出発。護衛艦はたった2隻で、1隻はすぐさま故障で船団を離れた。その日の夜の21時、ソ連海軍の潜水艦の放つ魚雷がヴィルヘルム・グストロフ号に命中、深夜かつ厳寒のバルト海に9000余名が投げ出され、その多くが死亡した。乗船していたほとんどは避難する民間ドイツ人で被害に遭ったのは女性、子供がほとんどだったと言う。

砂浜から埠頭をのぞむ @Gdynia

『蟹の横歩き ―ヴィルヘルム・グストロフ号事件』ギュンター・グラス著 では、沈没するグストロフ号から運良く救助された女性の話から始まる。彼女は沈没時に子供を身ごもっており、この時の救助船内で出産をする。その被災者である母トゥラから生まれた息子パウルが物語の語り手だ。そして、物語はグストロフ号の生き残りの母トゥラと息子のパウル、そしてパウルの子供であり、トゥラの孫にあたるコニーの3世代にわたる話として展開する。

物語が辛辣なのは、息子のコニーが高校生にして極右思想にかぶれてしまっていること、更には三世代の間柄で母トゥラから孫にあたるコニーへの思想の影響が描かれることにある。つまり、トゥラは息子のパウルを飛び越え、孫のコニーにグストロフ号の惨劇と合わせて当時の体験を伝え、それが孫の持つ極右思想に大きく影響を与えるのだ。どうにも救われない話であり、祖母から孫へと奇妙にも恐ろしい思想の受け継がれる様がひたひたと描かれる。

しかも、トゥラ自身はナチスの信奉者ではなく、ただ当時の世相に巻き込まれていった1人のドイツ人にすぎない。更にはグストロフ号の被害者としての悲惨な境遇を知られていないジレンマを抱えた人物として悲劇的にも扱われている。歴史に翻弄され、トゥラに降りかかった大事件はドイツの戦後の雰囲気から、話題にするのもタブーとされてしまっている。このことによる疎外感が一般ドイツ人女性のトゥラから感じられるのだ。語り手であり、自らの母と息子の間に位置する主人公パウルの心中というのは推し量るのも難しいほどだ。

グストロフ号事件はドイツだけの悲劇であって、戦中のナチスドイツの犯した残虐行為の数々から話題にされることは少なかったらしい。散々酷いことをした侵略者たるドイツが自国の悲劇を語るな、ということである。そして、この話題を持ち出すような非常識な輩は、コニーのようなナチス賛美のネオナチくらいなのがドイツの世相なのだそうだ。

『蟹の横歩き ―ヴィルヘルム・グストロフ号事件』は親子間の対話の妙もあいまって、読み応えのあるスリリングな小説であった。この小説の訳者である 池内 紀さんの『消えた国 追われた人々』は、このグディニャを含めた東プロイセン巡りのよいガイドブックであるので、こちらもお薦めである。このエッセイ集には『蟹の横歩き』や作家のギュンター・グラスにも触れているので、そちらから読み始めてもよい。

こんな読書背景からグディニャを訪れたが、今やポーランドとなったこの地には、どの博物館にもグストロフ号についての記述はなかった。

● グディニャ博物館(Muzeum Miasta Gdyni)

町についたらお約束の郷土資料館訪問である、まずは グディニャ博物館(Muzeum Miasta Gdyni)を訪れた。建物も新しく、展示スタイルも洗練されている。が、展示物が田舎くさくて、建物とのギャップが面白いのがこちらの博物館の特色。

グディニャ博物館全景 @Muzeum Miasta Gdyni

この展示されていた金色のドレス。説明書きにはこうある。

船乗りの夫と妻のイレーヌが旅行でカイロのヒルトンホテルに行った。ホテルでのファッションショーを見たイレーナは腰に黒いサテンのスカーフが付いた輝く金色のスカートをたいそう気に入った。そこで妻の為に夫がこのスカートを買ってあげた。その後、地元のソポトの仕立て屋がブラジャーを縫い、買って来たスカート上部に組み合わせる形でドレスに仕上げた。

これの展示が、この博物館で1番目を引く展示物。

金色のドレス @Muzeum Miasta Gdyni

キャプションには「アルミホイルドレス、ポリエステルライニングとインターフェースカップ付きブラジャー、夫/ 1959 /私有財産からのイレーナ・オホーグオルゼゴスカへのプレゼント」とある。 右上にこれを着た妻の小さな写真が貼ってあり、こちらのキャプションは「ソポトのグランドホテルでの大晦日の演舞室で金色のドレスを着たイレーナ・オゾーグオルジェゴスカ/ 1961 )とあった。

こんな感じで、こちらの博物館、とても良い感じなのである。建物は都内の郷土資料館などかなわないほど立派で展示手法も洗練されているのだが、この親近感の沸くような展示物。しかしながら、この話も港町グディニャをよく表している。他の場所のキャプションにはこのようなことが書いてあった。

「すべての偉大な男の背後には偉大な女がいます。」この言葉は船乗りの人生にぴったりです。
船員が海で働くとき、妻やパートナーは一人で家事をし、問題を解決し、子供を育てなければなりません。グディニャでは、船乗りの女性は日々、力強さと自立心を発揮しているのでいつも評価されてきました。彼女たちの生活は夫やパートナーの出港帰港に合わせて過ぎていき、長い別離と相手への想い、陸での短い共同生活の繰り返しです。すべての人間がこの試練に耐えられるわけではありません。船乗りの家族の厳しい生活は、世界中からの贈り物や妻や家族を連れて行く異国情緒あふれる休暇旅行によって慰められていた。

もちろんこの博物館ではグディニャ郷土史的なことも子細に学ぶことができる。ざっと俯瞰するとこんな感じである。

館内の様子 @Muzeum Miasta Gdyni

1919年のヴェルサイユ条約でグダニスク(当時ダンツィヒ)を自国のものにできなかったポーランドは急遽グディニャに港を開くことにし、1918年11月28日に誕生したポーランド海軍は早くも1923年からグディニャに拠点を移した。

ここで触れられている「海との結婚式」の話題も興味深かった。時代がかった儀式なのだが、1920年にヨゼフ・ハーラー将軍は、ポーランドが再びバルト海を得た記念として、プラチナの指輪をプツク(Puck)の海に投げ込んで祝ったらしい。
時代がかっているのも、もっともで、彼はイタリアの La Festa della Sensa(ラ・フェスタ・デッラ・センサ)に習ったらしく、ヴェネツィア共和国が998年にアドリア海を征服した記念の行事に真似たようだ。近代であっても鉄道網が充実する以前の河川や海というのは主要な交通運搬網だったので、海へのアクセスというのはとても大事だったのだろう。結婚したい気持ちもよくわかる。

館内の様子 @Muzeum Miasta Gdyni

そして、ナチスドイツに占領されたゴーテンハーフェン時代(1939-1945)、グディニャは戦争の影響もあり町の発展を停めてしまい、ドイツ海軍の重要基地となってしまう。そしてポーランド人は退去を求められ、3~4万人の人々が家を追われた。
ポーランド人が退去した後の空き家にはドイツ人が入居し始め、官僚やバルト系ドイツ人が占拠し始める。同時期にソ連領となったラトビアやエストニアから何万人ものドイツ人がポーランドへ移り住み、グディニャにもポーランド市民が残した家やアパートに転居してくることになった。

1945年、戦後はグディニャにかつて住んでいた人々が戻ってきた上に、東部の旧ポーランド(再度のソ連領土)から移住してきた人も加わり復興を手がけたが、再び共産主義政権の言論統制があり、その渦中での厳しい復興であった。

このような形で町の生い立ちも、この博物館で学ぶことができた。

● グディニャ海軍博物館(Muzeum Marynarki Wojennej)

グディニャ海軍博物館外観 @Muzeum Marynarki Wojennej

次はグディニャ博物館のお隣にあるグディニャ海軍博物館(Muzeum Marynarki Wojennej)へ。1階は対空火器、魚雷、機雷を主に展示してあり、海軍博物館そのものだが、船舶は模型含めてあまり多くはない。現在、建物半分が建て替え中なので、このような中途半端な内容なのだろう。

グディニャ海軍博物館 1階の展示 @Muzeum Marynarki Wojennej

そして、上階には帆船模型が並び、かつてバルト海を中心に活躍していた船が多く展示されている。

グディニャ海軍博物館上階の展示室 @Muzeum Marynarki Wojennej

この博物館を訪れてとても良かったのは、コグ船の変遷を模型を見ることができたことだった。ハンザ同盟時代の漁に関心があって、コグ船をいろいろ調べていたが、このような変遷をまとめたものは今まで見たことない。展示棚のタイトルは「タイトルはコグ船からガレオン船へ~14世紀から17世紀までバルチック海を航海していた船~」とある。

コグ~ホークの模型 @Muzeum Marynarki Wojennej

コグ / COG

12世紀から15世紀にかけて、バルト海と北海で最もポピュラーなタイプの商業帆船だった。コグは戦争でも使用され、ハンザ同盟の商人たちが用いる基本的な船だった。典型的なコグ船の特徴は、膨らみのある平底のクリンカービルド(鎧張り-板と板とを少し重ねて張る)である。初期のコグ船は右舷に操舵のパドルを備えていたが、すぐに船尾のヒンジ式舵に置き換わり、舵柄と大きな舵による形態となる。船中央の大きな四角い帆が1つマストに掲げられ、操船性はあまり良くなかったが、相対的に耐航性が高いのが特徴であった。
コグの特徴は、船首と船尾にある銃眼付きの胸壁を備えた高い楼閣だった。ここにすべての武器が置かれており、乗組員の居住区は楼閣の下にあり、船倉は中央デッキの下にあった。

ホーク / HOLK

14~15世紀の北欧の帆船の一種。ホークは北海やバルト海で商業・軍事目的で使用された。長い船首楼と船尾楼があり、カラベルビルド(平張り)で、ヒンジ式の舵を装着し、装甲は垂直の外部梁で補強されていた。3本マストの内2本のマストは角帆で、後尾マストにはラティーン(三角帆)を装着。船尾は切り詰められ、大きな四角い楼閣を備えていた。これらの船は軍事作戦にも使用され、複数の大砲で武装している。16世紀にはガレオン船に取って代わられる。

ピンネースなど @Muzeum Marynarki Wojennej

ピンネース / PINKA / FULL-RIGGED PINNACE

16世紀から18世紀にかけてヨーロッパの艦隊で盛んに使われていた帆船。ガレオン船よりも小さく、貨物の輸送や軍艦として使用された。操縦性、速度、とても低い排水量が特長で浅くて狭い場所での航行に適していた。追跡、通信、沖合のパトロール、大型船や船の護衛、敵の貿易部隊の捕獲などに使用される。通常、武器は8~12門の小型砲に乗組員は約40人、平均排水量は約140~160トンだった。

ペーター・フォン・ダンツィヒ / PIOTR Z GDAŃSKA / Peter von Danzig

誤って「偉大なキャラベル船」と呼ばれたキャラック船である。ブルターニュで “Pierre de Rochelle “の名で建造され、1462年に塩を積んでグダニスクに到着した。港で停船中に落雷で大損害を受け、船主が死んだことからグダニスク市に引き取られ「Peter von Danzig」と改名された。
当時、バルト海最大の船であり、1470年にはグダニスク・ハンザ同盟艦隊の私掠船として武装・装備された。ブリュージュからサウサンプトンに向かっていたフィレンツェ・ブルゴーニュのガレー「サン・マッテオ」をイギリスの海岸で撃破する快挙をなした。その際の戦利品にハンス・メムリンクの絵画「最後の審判」があり、グダニスクの聖マリア教会に寄贈された。

その他の船体 @Muzeum Marynarki Wojennej

空飛ぶ鹿 / LATAJĄCY JELEŃ / Flying Deer

ポーランドの小型ガレオン船。1626年~1627年にコペンハーゲンから購入され、ポーランド艦隊に編入された。1627年11月28日にオリバ(Oliwa)でスウェーデン艦隊との戦いに勝利した一隻。

水瓶座 / WODNIK / Aquarius

1623年にグダニスクで建造されたと思われるガレオン船。この船は1627年11月28日にオリバ(Oliwa)でスウェーデン艦隊との戦闘に勝利したことで有名になった。その後も数々の戦果をあげた船である。

竜 / スモーク / SMOK

ジグムント2世のガレオン船としても知られる。ポーランド艦隊のために建造された最初の船舶。名前の “Smok”(Dragon)は竜の船首像に由来している。1571年に進水したが、シグムント2世の死もあり完成には至らなかった。正確な寸法や装備は不明の為、この模型はあくまでも想像上の産物である。

● 駆逐艦ブリスカヴィカ(Okręt-Muzeum ORP “Błyskawica”)-博物館船-

海軍博物館の先の大きな波止場には博物館船の駆逐艦ブリスカヴィカ(Okręt-Muzeum ORP “Błyskawica”)が停泊している。船の目の前に車を駐車したので、幸いなことに強いふきっさらしの波止場の風を避けて移動できた。

駆逐艦ブリスカヴィカ外観 @Okręt-Muzeum ORP “Błyskawica”

内部に入ると、駆逐艦ピオルン (ORP Piorun)の大きなパネル展示が目につく。そうかポーランド海軍と言えば、こちらの話になるのだな、と会得する。この船はドイツの巨大戦艦ビスマルクを追撃した船で、ポーランド海軍としては歴史的なトピックなのであろう。

駆逐艦ブリスカヴィカ内部 @Okręt-Muzeum ORP “Błyskawica”

1941年、ビスマルクに巡洋戦艦フッドを撃沈されたイギリスはビスマルクへの雪辱戦にやっきになり、大作戦がおこなわれた。イギリス第4駆逐艦隊に一時的に配備されたピオルンもこの作戦に参加する。そして追跡の終盤の夜遅くにビスマルクを発見し、双方の1時間近い砲撃戦になった。僚艦はその間魚雷発射の位置取りをし、ピオルンは38cm口径の激しい砲火をしのいだ。僚艦の魚雷攻撃は失敗し、ピオルンも燃料不足で撤退を余儀なくされたが、翌朝のイギリス戦艦による砲撃戦でビスマルクは沈められることになる。

駆逐艦ピオルンの説明 @Okręt-Muzeum ORP “Błyskawica”

艦隊提督アンジェイ・カルヴェタの記念陳列棚がある。こちらは大統領機が墜落した2010年4月10日のスモレンスク航空事故で、大統領と共に死亡した提督。

艦隊提督アンジェイ・カルヴェタの遺品 @Okręt-Muzeum ORP “Błyskawica”

博物館船としては展示室は充実している。この展示室を見終えると狭い館内を巡ることができる。

船体後尾にある過熱蒸気発生装置 @Okręt-Muzeum ORP “Błyskawica”

● グディニャ水族館(Gdynia Aquarium)

時間に余裕があったので波止場の突端にあるグディニャ水族館(Gdynia Aquarium)も覗いてみた。ただ、こちらはかなり小規模だった。外洋に面しているのに、イルカなどは全くおらず、魚の水槽も少ない。小型の水槽がいくつか並んでいるのみの展示である。

古生物メガロドンの歯の模型 @Gdynia Aquarium

そして、その水槽も南国の魚が中心、これは寒い地としてあこがれが反映してなのだろうか。見応えがあったのは古生物メガロドンの歯の模型だけであった(笑)。結局、こちらの水族館はあっという間に見終わっていまう。

寂しげな釣り人のマネキン @Gdynia Aquarium

ポーランド / ソポト、グディニャ

<詳細情報>
・ ソポト(Sopot)の木製桟橋 (Pier in Sopot / Molo w Sopocie)
Plac Zdrojowy 2, 81-723 Sopot

・ グディニャ博物館(Muzeum Miasta Gdyni)
Zawiszy Czarnego 1, 81-374 Gdynia

・ グディニャ海軍博物館(Muzeum Marynarki Wojennej)
Zawiszy Czarnego 1B, 81-374 Gdynia

・ 駆逐艦ブリスカヴィカ(Okręt-Muzeum ORP “Błyskawica”)-博物館船-
al. Jana Pawła II 1, 81-345 Gdynia

・ グディニャ水族館(Gdynia Aquarium / Akwarium Gdyńskie MIR)
al. Jana Pawła II 1, 81-345 Gdynia