岩手 花巻温泉郷 鉛温泉 藤三旅館は思い出深い温泉である。かつて湯治部に宿泊し、雪景色を眺めながらゆったりと年を越したことがあるからだ。3つ、4つと温泉風呂が選べ、いずれも趣のある湯殿である。湯治宿ながら部屋食で、夜も朝も配膳してくれるうえ、味も良く、しかも手頃な料金で提供される。自炊用の炊事場や洗濯機も完備されており、実に魅力的な湯治宿である。
前回の記事で藤三旅館の今後について「湯治部の建物半分と内湯の「河鹿の湯」はこの訪問の後、取り壊してしまったらしい。今は一部が豪華な旅館施設になったようで、なんとも残念ながら、自炊する方も年々減少傾向でこれも時代の流れなのだろう。関心のある方は是非、名残のある今のうちに訪問なさって欲しい。」と記した。
そこで改めて藤三旅館の湯治部に宿泊して、変わらぬところ、変わったところをまとめてみた。
● 久々に花巻温泉郷を訪問
● 藤三旅館 湯治部は旅館部に統合
● 変わらぬ藤三旅館 湯治部の風情
● 藤三旅館リニューアルで湯治部が変わった点
<前回の記事>
こちらの昔の写真と見比べていただければ幸いです。
● 久々に花巻温泉郷を訪問
10年ぶりに藤三旅館の湯治部に宿泊している。前回は年越しを計画しての逗留だったので雪の中の藤三旅館で、向かいの鉛温泉スキー場でスキーまで楽しんだ。

今回は初秋、オートバイでの訪問である。以前は花巻の街中から長時間バスに揺られて辿り着いた記憶があるが、バイクだとわずか30分もかからない。最寄りのコンビニにも15分ほどで行ける距離にあり、思っていた以上に便利な立地であることに気づいた。

そして、あの鄙びた良さが、リニューアルでどの程度変わったのか、様子を是非見てみたいと思っての再訪問である。
● 藤三旅館 湯治部は旅館部に統合
まず驚いたのが、湯治部行きの看板矢印が消えていることである。オートバイに跨がりながら、看板を前にどちらに行くべきか思案してしまった。多分、旅館部と湯治部が統合されたのだろうと考え、矢印通りに進む。

やはり湯治部は旅館部と共用化され、チェックインも旅館部のロビーで行われるようになっていた。

その昔に1度来たことを告げると宿帳を記入して紙を渡されるだけである。

さらに、新しく高級路線の宿を新設した影響か、かつて見られた「湯治部の客は旅館部を通らないように」といった注意もなくなっていた。
● 変わらぬ藤三旅館 湯治部の風情
部屋に入ると、懐かしい風情がそのまま残っていた。前回よりやや広い六畳間で、万年床にして温泉と布団を往復するにはこれで十分である。

なんと部屋の施錠は南京錠であった。湯治宿の場合、風呂に行く度に部屋を開けるので貴重品は金庫に入れて鍵は施錠しないので、これでも問題ない。

ちなみに木戸の普通の部屋もあり、施錠方法はまちまちのようだ。

湯治部の食事時間は、朝食が7時、夕食が17時と以前と変わらない。部屋食なのも相変わらずで嬉しい。食後はお膳を部屋の外に出しておけばよく、一日を通して部屋でのんびり過ごせる。
食事内容は豪華ではないが、品数もあって十分であり、これも前回と大きく変わってはいない。物価高の折にもかかわらず、宿泊料の大幅な値上げはなく、宿側の努力が感じられる。


尚、昼食は炊事場で調理をするもよしであるし、数日ならばパンやインスタント食品を持ち込めば十分である。また、1000円程度で蕎麦やうどんを食堂で食べることができる。

以前と変わらずガスレンジは10円でガスが数分使える方式で、連泊の場合はお湯も自分で沸かす。(初日はポットに熱湯が準備されている)

● 藤三旅館リニューアルで湯治部が変わった点
藤三旅館のリニューアルでは、2棟あった湯治部のうち川沿いの建物を取り壊し、新たにラグジュアリー仕様の宿泊棟を建設したようだ。その宿泊料金は、湯治部のおよそ6倍ほどのようだ。


昔はつながっていた湯治部の2つの建物は、完全分離されカードキー方式で旅館部からも宿泊客以外は建物に入ることができなくなっている。
古い湯治棟が取り壊されたため、その建物にあった内湯「河鹿の湯」も今はもう存在しない。内湯で豪華さはみじんもなかったが広い湯船であって、湯治には最適だったので、ちょっと残念である。
残された湯治部の建物は1階はほぼ倉庫となり、炊事場などは残されているが、とても風情があった帳場と書かれたフロントもなくなっている。3階は住み込み従業員の部屋となっているようで客室運用されているのは2階部分だけのようだ。


また、残念なことに「藤三商店」と呼ばれた売店も姿を消してしまった。食材や菓子、日用品が所狭しと並ぶその光景は、まさに湯治宿ならではの趣を感じさせるものだった。現在はフロントに小さなお土産ブースがあるのみである。


また、藤三商店の看板娘と紹介されたおばあちゃんの姿も今はない。以前はご高齢のスタッフの方々が如何にも温泉宿の守り神のように館内のアチコチにいらして、湯治の際の日々の世話を親身にしてくださり、楽しい湯治の日々を演出してくださったが今はその姿もなく、外国人の若いスタッフも多くなった。
こうして湯治宿の魅力は以前に比べて半減してしまったが、それも時代の流れなのであろう。昔は見かけた自炊する方もかなり少なくなっているし、湯治で連泊するような客もほとんど見かけない。おかげで今回の逗留ではチェックイン前の空いている時間に思う存分温泉を楽しむことができたが、湯治客同士の会話が減てしまって残念でもあった。
昔は炊事場や温泉などで湯治客同士の面識が生まれ、お裾分けをしあったり、お風呂で長話をしたりという湯治客ならではのおまけがあった。これらが湯治旅に興を添えていたとも言える。大概の長期湯治客は高齢の方だったので、昔話や地域の歴史などを詳しく聞くことができ楽しい場であった。こういった文化も時代の流れでなくなってしまうのは、とても惜しい。
湯治宿という形態は時勢に合わず、収益も限られるだろう。それでもその間口を残し続けている藤三旅館には、感謝してもしきれない想いが残った。
