ミサワホーム主催の「バウハウスの教室」展。学芸員の丁寧な解説のおかげもあって、教師としてのカンディンスキーとクレーの魅力に改めて気がつかされた。
また、 日本人女性で唯一バウハウスに留学した女性の手記 バウハウスと茶の湯(山脇 道子著) を読むと、山脇道子さんの生々しい記述によって、当時のバウハウスの教員や授業が手に取るようにわかり、素晴らしい内容であった。
● バウハウスの教室展で受けた教師 カンディンスキーの授業
● 丁寧かつ親切なミサワホームの学芸員の工夫
● カンディンスキー著作集
● バウハウスと茶の湯 山脇 道子著
● 教師カンディンスキーの授業
この展覧会で、カンディンスキー出題の課題をやった後、彼の絵画や作図を見ると、あの奇妙な直線と円で構成される絵画に、しっかりと理論的な裏付けがなされていることを、驚きをもって理解できた。
その一方、彼が○とか△の形に対して、決め打ちのように色を紐づけている理論の不可解さにも気がつく。そのことを、学芸員の方に質問をしてみると、やはり、この決め打ちの理屈は、学内でも大きな物議をかもしたそうである(笑)。
この学芸員の方は、お一人でこちらのギャラリーを20年間、バウハウス一筋で、きり盛りされた方で、ご説明が滅法面白い。カンディンスキーは、この揉めた事態を収束すべく、学生にアンケートをとって、図形と色彩の紐付けを検証したようだ。その結果、自分の理論の正当化は証明された、と。ところが、そのアンケートは開示されずじまいだったとか(笑)。
また、カンディンスキーは自己の極端な理論構築に走ったが、同僚の教員であり画家クレーは1人1人に解釈があってよい、私のも1つの見解に過ぎないと、毎授業後に学生に告げていて、ふわふわコンテンツだったとか。しかし、2人はとても仲が良く、つきあいはバウハウス期間以外も含めて長く続いた、とも。
● 丁寧かつ親切なミサワホームの学芸員の工夫
学芸員の方は、展覧会の企画もお一人でおこなっているだけあって、すべての展示やその経緯をご存じでいらっしゃる。
「折り紙用紙でカメラの蛇腹を創る」課題、すなわち円筒の蛇腹を製作する手法。これはデザイン系の来場者の方も解けなかったらしい。カウンターに唯一あった折り紙よる完成形を見て、驚いた。どなたが創ったのか、と。すると、今回の展示品の中に、紙の造形で目立たないけれど複雑な作品がひとつある。そちらの製作依頼をした方が来場の折に、あっという間に創ってしまったらしい。
学芸員の方も得意顔で、最初に課題をやっている人は、このおかげで、こちらの目立たない作品に目にとまるのです、と。周囲にある立像の大きな1枚紙による造形作品に目が行きがちであるが、蛇腹の課題に挑戦した人は、平面の置かれた織り模様、いったいどうやって織ったのか、不思議な眼差しで見つめてしまう。
● カンディンスキー著作集
そんなこんなの経験もあって、以前から読みたいと思っていた本を漁りに後日、図書館にこもった。
先のカンディンスキーとのクレーの関係は、こんなだったらしい。
「カンディンスキーは、厳密ではあるが、理に傾きすぎるところがあり、クレーは、繊細な一面、やや体系性に欠けるとともに多少懐疑的 / カンディンスキーの講義内容は、比較的に利用しやすい、クレーの場合は、学生の1人1人が、銘々自分自身で考えるための暗示的。このように、この両人には、不思議なほど長短相補う差異がある。これこそ、バウハウスには必要な、すなわち、そのバランスを維持するには不可欠なものだったのである。(カンディンスキー著作集 2 P238)
図書館に終日いると、さっと本を取り出して調べられるのだから、楽しい。
学芸員の方によると、バウハウスでは、教員達の教え方や内容は統一されていなかったとのことだった。そうすると、校長のグロピウスさんは、教員のとりまとめ、錯綜する講義内容で混乱する学生のクレーム対応に苦労したと思う。ところが、さにあらず。学芸員さんによると「グロピウスは、そんな学生には、“それで自分はどう考えるのか?“」と問い返して、この混沌ぶりを学びに転化していたはずだと、のたまう。
● バウハウスと茶の湯 山脇 道子著
次に図書館で手にとったのが「バウハウスと茶の湯」(山脇 道子 著)という書籍。以前から気になっていたが、絶版で古書価格も高い。内容は、日本人女性で唯一バウハウスに留学した女性の手記(日本人留学生は彼女含めて3人)。
クレーが辞めた年に入学し、当時急速に力を増してきたナチス勢力によってバウハウスのデッサウ校が強制閉校させられるまでの2年間、彼女は在籍していた。クレーの授業を受けられなかったことはご本人も悔やんでおられるが、それでもキラ星のような教師陣から直接教えを受けている様子は素晴らしいの一言。時代が時代で、親しく接してくれた教員の1人がアウシュビッツでなくなったことを、戦後グロピウスから聴いたことなんかにも触れている。
そして、興味深いのは豊かな感性で表現される授業やデッサウでの日常生活。下宿状況が下宿先の家族模様とあわせて表記されていたり、バウハウスの学食の様子やメニューと値段まで、自宅でイタリア産の細長い米でチーズ+ハム+海苔でお茶漬けを作った話、カンディンスキーに醤油と砂糖で味付けしたすき焼きを食べさせた話など等々。第二次大戦前のドイツの様子を日本人が描いてるのだから、それだけをとっても興味深い。
そして、バウハウスの授業の様子。どの教員も「こうしろ、ああしろ」と手取り足取り教えるのではなく、学生に自分の頭で判断させる形だったらしい。彼女は織物科に合格するのだけど、実際の実習の場に教員はほとんど顔を出さす、指導的な意見も述べなかったようだ。
とてもよかったのはカンディンスキーの話。冒頭に書いた理論家肌故にカンディンスキーには堅物のイメージをいだいてしまう。しかし、都度都度、彼に声をかけてもらった山脇道子さんによると、それは全く異なる。彼女曰く『授業の終わりには、いつも「分かりましたか」とお尋ねになり、片言の英語でもう一度要所を説明して下さいました。/とても優しい父親みたいな方だと思うようになりました。』とのことだった。