東ドイツの民主化を導き、ゲヴァントハウスの新ホールを建てた指揮者 / 『評伝クルト・マズーア』を読む

激戦下、135人の編成隊員のうち、助かったのは27人でした。私は一日中、菜の花畑に身を潜ませていました。一面の菜の花。遠くにかすんで見える村。あの風景は一生忘れられません。-クルト・マズア(Kurt Masur)2015年没 の独白-評伝クルト・マズーアより
彼のつくる音楽を聴くと、この従軍時の菜の花畑での壮絶な体験の記述を想像することがある。

● クルト・マズアの思い出深き演奏会

マズアを聴いたのは2002年のニューヨーク。圧巻のムソルグスキーの「展覧会の絵」。この時初めて、同曲にはゴルチャコフ版というのがあることを知った。イン・テンポでカッチリした演奏は今でも耳に残っている。無難なシューベルトの「未完成」と色彩感あるデュティーユ「時間の影」の後だったので強弱メリハリつけた「展覧会の絵」は余計耳に残ったのかもしれない。
それ以来、ずっと気になる指揮者であった。

次にやっとマズアを聴くことができたのは2014年、10年以上経ったベルリンでの演奏会だった。そして、翌年、惜しくも彼は急逝してしまった。
その時の演目はベルリン放送交響楽団によるオールメンデルスゾーンプログラム。ニューヨークで見た大きな体つきと元気そうな様子とはうってかわって、マズアさんは車椅子で登場。舞台に登場した彼を見て、もうそんなお歳なのか、としみじみ思った。
車椅子と言うこともあり、 指揮棒の動く範囲もとても小さい、身体に隠れて指揮棒が見えないほど。しかし、小さく細かな指揮棒にオーケストラがキビキビと反応する、まるで魔法使いのようだった。

そしてマズアさん十八番のメンデルスゾーン。メンデルスゾーンはマズアが長年関わったゲヴァントハウス管弦楽団の立役者である。彼がこの楽団を大きく成長させ、ライプツィヒをドイツ有数の音楽都市にした。つまり、指揮者も作曲者もライプツィヒに縁が深い。そのメンデルスゾーンの最初の曲は序曲「ルイ・ブラス」。溌剌としており車椅子姿の指揮者とのギャップが凄い。しょっぱなの演目で、よい演奏会になりそうな予感がする。
続いて、交響曲4番「イタリア」は良い意味で予想を翻すゆっくりテンポで浪々と歌わせる演奏。溌剌とするはずの「イタリア」がルネッサンス絵画のように荘厳に響く。明るいだけでなく文化的なイタリア(笑)。
後半は交響曲3番「スコットランド」、ひとつひとつの旋律が優しく柔らかく、パノラマを見るような奥行きがあって広大な演奏であった。そして、会場総立ちの拍手で大団円。

当日はマズア人気も手伝ってか、ベルリンのフィルハーモニーがほぼ満席、そのほとんどのお客さんが最後はスタンディングオベーション。ライプツィヒでの東西ドイツ統一運動の立役者の一人とも言える彼は、ベルリン市民からも愛されているのだな、と強く感じた。

マズア&ベルリン放送交響楽団 @Berliner Philharmonie

● クルト・マズアを知る為の一冊の評伝『評伝クルト・マズーア』

評伝クルト・マズーア 浅岡 泰子 著

この本によると、昔の多くの指揮者同様にマズアはコレペティトゥア(オペラの下稽古が生業)からキャリアを開始している。戦後間もない時期、ライプツィヒ音楽大学を中退し、歌劇場のコレペティトゥア職に迷いなく応募したらしい。このような時代だから、食べることを優先したのだろう。そして、ドイツ各地を転々としながらも、遂にライプツィヒに戻り、27年間もゲヴァントハウス管弦楽団の統括を担うことになる。

ライプツィヒ時代の記述で興味深いのは、ベルリンの壁崩壊に影響を与えた1989年のライプツィヒの「月曜デモ」について。マズアは東ドイツ当局に対して鎮圧の際に非暴力を訴えるメッセージを発表。そして、民主化を求めるデモを平和裡に完遂し、大きな貢献をした。デモの翌朝にマズアの自宅の前は花束でいっぱいだったと言う。

クルト・マズアの名前のついた通り @Leipzig

そして、東ドイツの民主化運動のシンボルであったマズアは東西ドイツ統一直前に各党から大統領候補をなることを切望される。しかし「自分にはまず音楽」とすべてを彼は断る。後日彼は「やむなく、(民主化の際は)政治家を演じたのです」と謙虚に振り返っているのが印象的である。

マズアはシレジアの生まれ、ここはマズアの出生時にドイツ領だが、戦後はポーランド領となる。つまり戦争で故郷を失ってしまったのだ。大戦末期には出兵を体験し、戦後は敗戦国であり、社会主義国である東ドイツで生きていくと多難な人生だったことは想像に難くない。
彼自身も「私はいわば四つのドイツを生きてきた、ワイマール共和国、ヒトラーのナチスドイツ、社会主義国のドイツ民主共和国(東ドイツ)、そして現在の再統一されたドイツ連邦共和国です。」としみじみ語っている。

マズアの同僚の指揮者ケーゲルとの不仲、自身の運転で妻を亡くした交通事故などで悪しき噂もあるようだ。だが、彼の生き抜いた時代背景は、現代と全く異なる。激動の渦中にいて、政治に奇しくも関与した彼には、いろいろな取り巻きもいただろう。
冒頭の従軍の時の体験、そして、この本にある第一次大戦後の目まぐるしく変化するドイツの社会環境。その中で身の回りにおこる事象に後年の人はとやかく言ってもしかたなく、複雑な想いは本人のみしかわからないように感じる。
一方、生涯をかけて研究した彼のベートーヴェン、基金などをつくり再評価に熱心に取り組むメンデルスゾーンの録音の数々は今も色あせない。

● クルト・マズアのお薦めのディスク2種

・マズア/ベートーヴェン全集(1987~1992年デジタル録音)
ゲヴァントハウスのオーケストラとその新ホールの音響を満喫できる。奇をてらったベートーヴェン演奏も多い昨今、こういうしっかりどっしりのベートーヴェンはありがたい。また、さすがのPHILIPSレーベルでホールの響きと伸びやかな音響がよく収録されている。
尚、1970年代の旧全集もゲヴァントハウス管弦楽団着任直後とあって、みずみずしい演奏。ドレスデンのルーカス教会収録で録音も悪くはない。新盤とは使用している楽譜の版も異なるので比較も面白い。

・Kurt Masur Legendary Recordings
古風で堅実な演奏による各種交響曲、協奏曲が楽しめる。そして、録音が素晴らしくソリストたちの美音が楽しめる。ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルーはマズアが戦後まもなくダンスホールのアルバイトとしてジャズをやっていた経験が活かされているのかもしれない。東側のオーケストラにしては、やけに楽しげで色っぽい演奏でお薦めである。

評伝クルト・マズーア 浅岡 泰子 著

<各日の演目詳細>
・2002年 @Avery Fisher Hall/Lincoln Center
Schubert: Symphony No. 8(7) “Die Unvollendete”
Dutilleux:The Shadows of Time
Mussorgsky: Pictures at an Exhibition
Conductor: Kurt Masur
New York Philharmonic

・2014年 @Berlin Philharmonie Berlin
Felix Mendelssohn Bartholdy
 ”Ruy Blas” – Ouvertüre c-Moll nach Victor Hugo op. 95
 Sinfonie Nr. 4 A-Dur op. 90 (“Italienische”)
 Sinfonie Nr. 3 a-Moll op. 56 (“Schottische”)
Kurt Masur 
Rundfunk-Sinfonieorchester

アメリカ / ニューヨーク ドイツ / ベルリン

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