ポーランド中部から570キロをレンタカーで走り、グダニスク(Gdańsk)へ。
道中では道路工事に度々出くわすも、3種のカーナビを駆使し迷わず、日暮れ前になんとか到着。
グダニスクは「グダニスクの王冠」とも呼ばれるヨーロッパで最大のレンガ造りの聖マリア教会(Bazylika Mariacka Wniebowzięcia Najświętszej Maryi Panny w Gdańsku)、ガイドブックにはあまり登場しないが、琥珀の祭壇が素晴らしい聖ブリギダ教会(Bazylika pw. św. Brygidy – Bastion Solidarności)、そして、第二次大戦の火ぶたがきられた地 ヴェステルプラッテ(Westerplatte)などを訪れた。
また、港町ならではの美味しさ満点のグダニスク屋内市場、Hala Targowa に通い詰めた話題を ヴロツワフ屋内市場 に続いてレポート。
グダンスク(Gduńsk).ダンツィヒ(Danzig)
● グダニスクへ / 長距離ドライブ
● ドイツ文化の色彩濃いグダニスク
● グダニスクの史跡
・聖マリア教会(Bazylika Mariacka Wniebowzięcia Najświętszej Maryi Panny w Gdańsku)
・聖ブリギダ教会(Bazylika pw. św. Brygidy – Bastion Solidarności)
・ヴェステルプラッテ(Westerplatte)
● 美味しいグダニスク
● グダニスクのアパート泊
● グダニスクへ / 長距離ドライブ
グダニスクへは、ボレスワビエツ付近のクリチュクフ城から車で一気に駆け上がった。これが大移動で570キロの走破となる。ハンザ都市はこのところ旅行の都度訪れており、ポーランドに行くからには、ハンザ同盟の重要都市グダニスク(ダンツィヒ)訪問をはずすことはできなかった。
ポーランドの田舎道は道幅も狭く、暗闇の中の対向2車線を走りたくはなかったので、日の出とともにホテルを出発し、日暮れまでに570キロを走りきり、グダニスクに到着する予定を組んだ。11月ともなると、なにせ日没が午後3時台だから、日が出ている時間が極端に短い。
途中、朝食を食べる為に森の中の休憩所で一休みをした。キノコが採れるようで詳細な看板がある。
走り出すと、土曜日なので道は空いているものの、案の定あちこち工事をしている。その為、高速道路を降ろされたり、迂回したりで結局600キロ弱の走破になってしまう。結果、所要時間も8時間、けっこうな長距離ドライブとなった。
ポーランドは好景気故か、道路工事をとてもよく見かける。そこで工事や新道路の敷設でGPSが迷走するのが面白かった。用心のため、カーナビは3つ併用しているが、各々の特徴がでて興味深い。
・車載カーナビは、地図データが古い場合があり、新道路や工事には対応していなかった。しかし、誘導は1番正確で、これに従うと安心できる。
・アプリ Sygicは、地図データの更新が若干遅い場合があるが、ほぼ正確、各道路の速度制限情報をもっており、速度超過をアラートで示してくれるのが便利。
・Googleマップは、地図データの更新が工事含めて見事に反映されている。しかしながら、誘導際に行き止まりの道路を案内したり、ダート道などトンデモな指示を時折したりしてくるので注意が必要。
といった感じである。そこでダッシュボードにはアプリ Sygicを入れたスマホを置き、車載カーナビを並べながら、道が怪しいようなら助手席のタブレットでGoogleマップを見るようにした。
アプリ Sygicの詳細は、こちら↓のブログ記事をご参照ください。
● ドイツ文化の色彩濃いグダニスク
グダニスクに到着したのは15時丁度、アパートレンタルの手続きは円滑に済み、あと小一時間で日没となる夕暮れの街へ散策と買い出しにくり出した。空を見上げるとカモメが舞っており港町に来たのだ、としみじみ実感。
グダニスク(Gdańsk)はグダンスク(Gduńsk)とも表記され、ドイツ領時代はダンツィヒ(Danzig)と呼ばれた。実は、そのドイツ文化圏に属していた期間のほうが遥かに長い。それ故にドイツ文化色の濃いハンザの港町であり、北ドイツ的な面影があちこちに見られる。
グダニスクが港町として栄えるにはうってつけの条件があった。それはヴィスワ川のデルタ地帯に位置していること。このヴィスワ川はクラクフ、ワルシャワと大都市をつなぎ1000キロにも及ぶポーランド最長河川である。
グダニスクは中世から栄え、13世紀にはハンザ同盟に加わり、14世紀からはドイツ騎士団の支配下となる。1410年、当時においては大合戦であったタンネンベルクの戦い(グルンヴァルトの戦い)で一度ポーランド国王の領地となるも、1793年の第2次ポーランド分割では再びプロイセン領(ドイツ文化圏)となる。
そして、第1次大戦後では敗戦したドイツはグダニスク(ダンツィヒ)を失い、国際連盟の管理下となる。しかし、長らくドイツ文化圏であり、ドイツ系住民も多かったことから、ヒトラーはこの地の併合を要求、結果的に第二次大戦の火ぶたもこの地からきられることになった。
戦後は、ポーランド民主化の最中、ワレサ(ヴァウェンサ)が自主管理労組「連帯」を立ち上げ民主化を牽引した町として名を残している。
ポーランド🇵🇱のグダニスク(Gdańsk)、ドイツ語名はダンツィヒに到着。
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) November 20, 2019
ここはハンザ同盟やプロイセンの重要都市であったし、第二次世界大戦開戦の地でもあり、ポーランド民主化運動のベースとなる「連帯」結成の地でもある。
歴史上数多の縁があるけれども、美しい運河と素敵な教会が建ち並ぶ街。 pic.twitter.com/WAc1taoQZT
● グダニスクの史跡
・ 聖マリア教会(Bazylika Mariacka Wniebowzięcia Najświętszej Maryi Panny w Gdańsku)
「グダニスクの王冠」とも呼ばれ、ヨーロッパで最大のレンガ造りの教会。広角レンズでないと納まらない大きさで1343年から159年かけて建て進められて1502年に完成。
中は広くバシリカの長さは105メートル、幅は66メートル、25,000人を収容できると言う。
オルガンは1760年から何度も改修されながら使われてきた立派なものだった。しかし、戦火により1945年3月に消失してしまう。運良く設計図が残っていたので、ドイツの寄附によって1985年に復元された。
有名な天文時計は 15世紀に造られた、高さ14メートルもある。但し、こちらも大戦で被害を受け1945年に復元された。
・聖ブリギダ教会(Bazylika pw. św. Brygidy – Bastion Solidarności)
聖ブリギダ教会はガイドブックなんかではスルーされているが、ポーランド民主化運動と深い関わりのあった歴史ある教会である。ワレサさんも通っていたとか。
そして、その教会の琥珀の祭壇が素晴らしい。何年もかけて琥珀を集めたようで、完成したのはつい最近。街の中心部からも散歩気分で歩けば、遠くはないので見逃してしまうのはもったいない。
この祭壇で1番目を惹くのが聖母マリア像、聖母子の冠は黄金の琥珀、ガウンは白い琥珀で作られている。祭壇の下には2人のポーランドの偉大な人物、ステファン・ヴィシンスキ枢機卿と教皇ヨハネ・パウロ二世の像がある。
ヴィシンスキ枢機卿は大戦中はドイツに対して、大戦後は共産主義政権に対して戦ってきた人物。民主化前のポーランドは聖職者への弾圧も酷かったらしく、彼も秘密警察に拘束されたことがある。そんな状況下でヨハネ・パウロ二世とともにヴィシンスキ枢機卿は「連帯」を指示した為、ポーランドでは今でも人気が高い。
その他、共産主義政権によって殺害されたジェージー・ポピウシュコ神父の像、ソ連軍によって殺害されたポーランド人将校たち(カティンの森事件)の碑など、ポーランドの近現代史に関わる追悼のモニュメントが多い教会である。そのようなところから、更に厳かな雰囲気が漂う。
この教会は、そもそも14世紀に建設された修道院が起源の教会で、幾度か改修を経てきたものの、1945年にソ連軍によって破壊されてしまった。その後、1970年になってやっと戦前の姿を模して再建された。1980年8月にはヘンリク・ヤンコフスキー神父(Henryk Jankowski rozpocz)がワレサの率いる「連帯」のストライキの際にミサを行い、それ以来、連帯運動と結びついている。その「連帯」との結びつきもあって、各国の指導者たちも多く訪れている。
祭壇の見事さに惚れ惚れしてしまい、グダニスク滞在中に2度も訪れた。2度目は丁度ミサをおこなっており、教会のオルガンを聞くこともできた。
この教会には大きな見どころがもう一つある。2010年に偶然見つかった地下聖堂がそれである。入口には「メメント・モリ」と刻まれ、薄暗い洞窟のような狭い納骨堂がある。ここで発見された遺骨は何百年も前に亡くなった人々の食生活や健康状態を調査するために研究機関に預けられた。
聖ブリギダ教会(Bazylika św. Brygidy w Gdańsku)🇵🇱
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) November 20, 2019
ガイド誌には紹介を割愛されてしまうことが多いようだが、この教会の琥珀の聖壇は独特で、凄みある美しさ。何年もかけて琥珀を集めたらしい。ここはポーランド民主化運動とも深い関わりのあった歴史ある教会で、ワレサさんも通っていたとか。 pic.twitter.com/s4XPLKukM0
・ ヴェステルプラッテ(Westerplatte)
ヴェステルプラッテ(Westerplatte) へは市中の博物館が、ほぼ全館お休みの月曜日に車で向かう。野外史跡は休みや時間に左右されないのがよい。そこで、バルト海の見物も兼ねて早朝から訪れた。
ヴェステルプラッテはグダニスクの街を背後につきだした岬で、街中から10kmほどのところにある。戦前は一大リゾート地だったようだ。
この岬は、第二次大戦の火ぶたがきられた所として有名である。この岬を守るポーランド軍は少人数でありながら、ナチスの宣戦布告もない艦砲射撃を含めた急襲に7日間も耐えた。その際の廃墟となったトーチカなどが史跡として保存されている。この廃墟は元は1935年に建設された兵舎(Ruiny Nowych Koszar)らしいが、二度の爆撃にも耐えたらしく、現在の無残な形は戦後のソ連によるものとあった。
実際の開戦の状況は、圧倒的にポーランド軍が不利であった。親善訪問の名目の巡洋艦シュレスヴィヒ・ホルシュタインから突如の砲撃があり、兵力差も倍以上異なる。この圧倒的な軍事力で1939年9月1日に突如ナチスドイツ軍に攻め込まれ、9月3日には英仏両国がドイツに宣戦布告となる。しかし、援軍を送られた訳でなく、ポーランド軍は孤立無援で10月5日の降伏時まで奮闘する、ドイツ軍も数日でケリがつくと思いきや大きな誤算だったらしい。
そして、初期の激戦のあったヴェステルプラッテには海岸防衛の記念碑(Pomnik Obrońców Wybrzeża)がある。高さは25メートルもある巨石であり、この碑のある高台からグダニスク造船所など工業地帯が臨むことができる。
車で来ているので、今し方遠くから眺めたグダニスク造船所近辺をながしてみた。見ている限り造船所というよりも、今は工場が多いようだった。
● 美味しいグダニスク
・グダニスク屋内市場(Hala Targowa)
楽しみにしていたグダニスク屋内市場、規模はヴロツワフのものとほぼ同じ規模。ただ、異なるのは港町であるが故に新鮮な魚屋が多いこと。アパートから近かったこともあり、日に何度も立ち寄ってしまった。そして、買物は3日とも同じ魚屋さんで買い、顔を覚えていただいた。
1階と2階は雑貨売り場で婦人服が充実している。軽そうなコートを見かけるが、これが日本では暑すぎるほど保温性に優れたものが多い。
庶民的な市場で、日本ではご無沙汰な、籠をもっての買い物をポーランドでは今でもみかける。この籠も雑貨店で販売しており、丈夫そうなので気に入ったらお土産にもよさそうだ。
地下1階は食品売り場で様々なお店が軒を並べる。港街らしく魚屋は数店舗ある。バターは種類が多すぎて、選択をするのに困り、店員さんにお勧めしてもらった。
・グダニスク屋内市場1日目
博物館見学の合間にアパートに戻り、市場でサーモンの輪切り腹部分、サーモンのオイル漬け、サラダ 、量り売りのキャベツの酢漬け、そして牛ヒレ肉 250g を購入した。
魚はフロア内でも大きめの店を一人で切り盛りしているおばさんから購入する。身振り手振りながら、しっかりカットしてくれたり、好きな分量を取り分けてくれた。
ランチはアパートに1度戻り、手早くヒレ肉をステーキにし、酢漬けのキャベツを添えて、がっつりいただいた
夕食は昼に買ってきたサーモンをムニエルにする。ちょっと大きめの切り身だったがベタつかないサラリとした脂がのっており、箸でほろほろとほどけて美味しい。小麦粉を小瓶に入れて持参しておくと、こういう時に便利。
・グダニスク屋内市場2日目
朝食は昨日市場で購入したサーモンの酢漬けをパンをのせてみた、唐辛子が少々入っていてピリ辛風味で胃が目覚める。
前日の魚屋さんを再訪し、白身魚を試したく鯛を購入。ここは魚介を中心にした総菜も相変わらず美味しそうで今回はエビのオイル漬けを購入。サンドイッチの具にちょうど良さそうなので、更に総菜2つ、海藻のサラダと魚のすり身も買った。
・グダニスク屋内市場3日目
夕方に市場に立ち寄り今日もいつもの魚屋さん。こちらではオヒョウは高級魚らしいので試して見ることにした。そして、総菜のニシンのマヨネーズ和えと合わせて購入。
夜はオヒョウを香草焼きとムニエルとの2種つくってみた。高級魚だけあって確かに淡泊ながら味わいがあり、ちょっとジューシーな身が美味しい。
● グダニスクのアパート泊 (Bajkowy Gdańsk)
グダニスクのアパートBajkowy Gdańsk は対面での鍵の受渡しだった。キーボックスでの受渡しなら待ち合わせ時間も気にしなくてよいのだが、対面だと時間通りに会えるのか等不安がよぎる。
車でアパート前に到着したのは15時の約束の時間丁度、なんと大家さんには玄関先ですんなり会うことができ、車も大家さんに誘導してもらいアパート前の駐車場に車を停めることができた。
部屋を案内いただくと広めの清潔な部屋でとても良い雰囲気。ただ、前日宿泊したアメリカ人がチェックアウトタイムをオーバーして居座ってしまって、後始末と受入れ準備がたいへんだった様子。チェックインするも、大家さんの奥様がせわしなく部屋の片付けをしてくれていた。
ポーランドのアパートはお値段控えめながら広くて、設備がよいアパートが多い。自炊&食事が楽しみでもあるのでテーブルがあるのが嬉しいし、作業机になるのでなにかと便利である。またリビングは野外市場のある大通りに面していて街並みが綺麗だ。
寝室も広く、窓からは車を停めた駐車場が見えるのも安心につながる。扉は3重扉で外扉、廊下扉、部屋扉となっておりどれもナンバーを入れる電子錠。鍵の紛失の恐れもないので便利。
ポーランド / グダニスク
<詳細情報>
・聖マリア教会(Bazylika Mariacka Wniebowzięcia Najświętszej Maryi Panny w Gdańsku)
Podkramarska 5, 80-834 Gdańsk
・聖ブリギダ教会(Bazylika pw. św. Brygidy – Bastion Solidarności)
Profesorska 17, 80-856 Gdańsk
・ヴェステルプラッテ 海岸防衛の記念碑(Pomnik Obrońców Wybrzeża)
80-001 Gdańsk
・廃墟として残る兵舎(Westerplatter Walkable Ruin / Westerplatte ruiny Nowych Koszar)
80-001 Gdańsk
・グダニスク屋内市場(Hala Targowa)
Plac Dominikański 1, 80-844 Gdańsk
・グダニスクのアパート泊(Bajkowy Gdańsk)
Pańska 6 4A i 4B, 80-844 Gdańsk
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○ グダニスク グダンスク 地図
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