「ゲルリッツ」は、”ゲリウッド”と呼ばれ、欧州舞台の映画にロケ地として多く登場する。
そして、『グランド・ブダペスト・ホテル』 『愛を読むひと』 『ちいさな独裁者』 『やさしい本泥棒』『イングロリアス・バスターズ』等々とこの地で撮影された映画は名作揃い。
街に足を踏み入れると、ロケ地として重用されることも納得。駅庁舎などを含めて街全体がほんのり色褪せており、所謂ドイツの古い街並が拡がっているのだ。
ミュンヘンのババリア撮影所に昔のドイツの街並の巨大セットがあったが、こんな街が現存しているのなら、そんなセットなどかすんでしまう。ゲルリッツには、息づかい含めて戦前のドイツの街がそのまま残っていた。
そして、ゲルリッツに隣接しているポーランドの街 ズゴジェレツには訪問すべき史跡がある。第二次大戦中の捕虜収容所と広大なポーランド兵の墓地がそれである。
● ズゴジェレツ(Zgorzelec)
● ズゴジェレツの捕虜収容所 Stalag VIII-A
● ポーランド第2軍の墓地(Cmentarz Żołnierzy II Armii WP)
● ゲルリッツ(Görlitz)へ
● 映画の街 ゲルリッツ
『イングロリアス・バスターズ』
『愛を読むひと』
『ちいさな独裁者』
『やさしい本泥棒』
『グランド・ブダペスト・ホテル』
● ゲルリッツの散策
・ゲルリッツ駅(Bahnhof Görlitz)
・ゲルリッツの中心部
・ザンクト・ペテルス教会(Sts. Peter and Paul Church Pfarrkirche / St. Peter und Paul)
● ズゴジェレツ(Zgorzelec)
ポーランドとドイツの国境の町 ズゴジェレツ(Zgorzelec)への道のりは前泊したクリチュクフ城から50kmほど。田舎道を小一時間ほど走れば到着するので、朝はゆっくりめに過ごす。
今朝は目覚めると、城の一室にいると言う妙な気分で目覚めた。あまりに非日常すぎて、頭が現実についていかない面白い気分の朝だった。
ホテルの朝食はビュッフェスタイル、リゾートホテルらしく豊富な品々が並んでいた。たくさん歩く1日になりそうなので、多めの朝食をとり、ゆっくりコーヒーを楽しむ。
そして、車に乗り込み、朝の道を流しながらズゴジェレツに向かう。ズゴジェレツはドイツとの国境に位置するので、町に近づくとラジオはドイツ語放送が入るようになり国境そばであることをリアルに感じさせる。
● ズゴジェレツの捕虜収容所 Stalag VIII-A
このズゴジェレツ(Zgorzelec)という町には、Stalag VIII-A というドイツ軍が設置した捕虜収容所があった。開戦直後、フランスの作曲家メシアンが捕虜となり収容された収容所として有名になった。そして、彼の室内楽の傑作 『世の終りのための四重奏曲』は、この収容生活の中で作曲され、収容所のドイツ人の計らいもあって、この収容所内で初演された。
そこで、まずは曰くあるこの収容所跡地に向かう。
収容所跡地は町の中心部から離れていることもあって、訪れる人もいない様子。散策路は落ち葉で埋もれ、説明の看板なども酷く色あせていた。その散策路を順にたどりながら、メシアンが収容されていた当時に想いをめぐらせる。訪れたこの時期の欧州はちょうど冬の入口、ここで収容された人は寒さと飢えに苦しんだと聞いており、この荒涼たる景色を見るとその苦しみも想像にかたくない。
歩いていると、教会、図書室、キッチン跡などがある。そして、収容所跡地から離れた奥地には捕虜収容所でなくなったソ連兵士の墓がひっそりとあった。収容所ではソ連兵など東欧州の兵士は差別されており、英仏の捕虜とは別の棟に収容されていた。コンサートはおろか、こういった文化的な施設は全く利用できなかったし、食事ですら差別されていたらしい。
この収容所はドイツの町名であるゲルリッツ(Görlitz)の収容所と表記されていることも多い。その昔はこの近辺はポーランドでなくドイツ領であった為である。
ポーランドのズゴジェレツ町の西側、ドイツではゲルリッツの東側に流れる川がナイセ川。第二次大戦終結のポツダム会談で、オーデル・ナイセ線がドイツとポーランドの国境とされた。つまり、このナイセ川が今の国境である。
ズゴジェレツ(Zgorzelec)🇵🇱 / ゲルリッツ(Görlitz)🇩🇪
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) November 19, 2019
第8A捕虜収容所(Stalag VIII-A)という独軍捕虜収容所があり、フランスの作曲家メシアンが収容されていた。
代表作『世の終りのための四重奏曲』は、この収容生活の中で作曲され、この収容所内で初演された。雑木林一帯に収容所跡地がひろがる。 pic.twitter.com/EUK1Ksw7tf
Stalag VIII-A 収容所 訪問記の詳細は、こちら↓のブログ記事をご参照ください。
● ポーランド第2軍の墓地(Cmentarz Żołnierzy II Armii WP)
ズゴジェレツにはポーランド第2軍のお墓がある。ポーランド第2軍とは第1軍と共に第二次大戦中の1944年ソ連が巻き返しを計ってポーランドに進行した際につくられた軍隊。若い経験不足の者ばかりだったようだが、ソ連がソビエト将校を投入して半年ほどで訓練し、部隊編成された。
終戦末期のことであるから、当然のことに現国境付近のズゴジェレツあたりも激戦地となり、近辺のバウツェン(Bautzen)の戦いで、第2軍は大きな損害を被ったと言う。
その損失は、死者または行方不明者18,232人(戦闘要員全体の22%)装甲車両の半数以上を失ったとのことで、ポーランドとしても最大規模の戦闘だった。現在ポーランド第2軍の墓地には、約3,420人の兵士の墓が並んでいる。
ポーランド第2軍の墓地🇵🇱 @ズゴジェレツ(Zgorzelec)
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) April 5, 2020
第2軍とは1944年ソ連が巻き返しを計り、ポーランド人で編成した部隊の1つ。経験不足の若者を急遽訓練し投入され、近辺のバウツェンの戦いで大きな損害を被った。その戦死者の墓が並ぶ。フランスの作曲家メシアンが過ごした捕虜収容所近くにある。 pic.twitter.com/4AnPwa9Dlk
● ゲルリッツ(Görlitz)へ
ズゴジェレツ🇵🇱(Zgorzelec)ゲルリッツ(Görlitz)🇩🇪
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) April 2, 2020
第二次大戦終結時のポツダム会談でオーデル・ナイセ線がドイツとポーランドの国境とされた。このナイセ川を国境として向い合うのがドイツの町ゲルリッツとポーランドの町ズゴジェレツ。2004年に平和の象徴となる歩道橋が2つの街の間にかけられた。 pic.twitter.com/1Bnf3l8Y62
● 映画の街 ゲルリッツ
「ゲルリッツ」は、”ゲリウッド”と呼ばれ、欧州舞台の映画にロケ地として多く登場する。そのロケ地となった街のあちこちを訪ね歩いてみた。
・映画『イングロリアス・バスターズ(Inglourious Basterds)』
『イングロリアス・バスターズ』のゲルリッツの使い方が面白い。この映画、映画館が重要な場所となるのだが、その映画館で流される映画がある、つまり『イングロリアス・バスターズ』の映画内で上映される映画の撮影がゲルリッツで行なわれた。確かに銃撃戦ばかりのアップシーンが多いながら、古風な街並みが背景に映っている。わざわざこの地まで来てモノクロの短編を撮るとはタランティーノ監督のこだわりを感じる。
ロケ地 はHotel Frenzelhof GörlitzなどLower Market Square 付近
・映画『愛を読むひと(The Reader)』
今回、ゲルリッツを訪れてみたいと思ったのは、この映画の路面電車の背景に映る街のシーンが印象的だったからだった。映画内ではドイツのどこにでもある街ノイシュタットと表示されるが、当時のドイツの田舎町はこんな様子だったのだろうと思わせるほど、魅力充分で古風な街並みのシーンが多い。
主人公であるケイト・ウィンスレットは路面電車の車掌を務めているが、今も小さな街を頻繁に行き交う路面電車は健在で、映画のシーンを彷彿させる。映像にゆるやかなテンポとおだやかな時間をもらたしていた路面電車、この路面電車を目にしながらの街歩きできるのもゲルリッツの魅力だ。
そして、主人公の2人が出会った直後シーンと回想シーンで再訪する時が印象的だった坂。ゆるやかで長く続くこの坂もしっかりゲルリッツにある。映画ではケイト・ウィンスレットの住む建物のすぐ横が坂の設定だったが、実は坂は全く別のところにあり、建物から坂に移るシーンは編集の妙技でつないでいる。
ロケ地の坂:ベルク通り(Bergstraße)
・映画『ちいさな独裁者(Der Hauptmann)』
無法者の兵士集団が乱痴気騒ぎをするホテルのファザードもそのまま残っている。このホテル Hotel Frenzelhof Görlitz は Lower Market Square に面していて、ホテル入口には映画ロケをした貼り紙がしてあるのですぐにわかる。また、広場には映画にも映る見事な市庁舎とその天文時計やシレジア博物館があるので、ゲルリッツを訪れたら見逃せない場所である。
エンドロールでは、現代に無法者の主人公たちが参上し、追いはぎをするシーンや街中を車で疾走するシーンがある。こちらもゲルリッツの街の景色の良いところをうまく使っている。
ロケ地の乱痴気騒ぎのホテル:Hotel Frenzelhof Görlitz
ロケ地の車を疾走する通り:Berliner Str. (Bakery Schwerdtner 前あたり)
ロケ地の現代に表れ、追いはぎをする広場:Volksbank Raiffeisenbank前
・映画『やさしい本泥棒(The Book Thief)』
この映画でもっとも印象的なシーンであるナチスによる焚書、このシーンは Lower Market Square の1本向こうの道にある広場で撮影されている。現代のドイツではナチスの鍵十字の旗を掲げることは禁止されているので、映画撮影用に特別の許可をとっての撮影だったらしい。
そして、養父の出兵を見送る駅のシーン、これもそのまま趣のある古いゲルリッツ駅が使われていた。但し、駅などは当時のスタイルにするために電光掲示板などを外したり、パネルを差し替えたりしており、大道具さんはさぞかしたいへんだったと思われる。
ロケ地の焚書の広場:Lower Market Square横 Untermarkt
ロケ地の養父との別れの駅:ゲルリッツ駅(Bahnhof Görlitz)
・映画『グランド・ブダペスト・ホテル(The Grand Budapest Hotel)』
このホテルの舞台になったのはユーゲントシュティール様式の見事な建物で、実際はホテルではなく百貨店 Kaufhaus Görlitz として使われていた。現在は改装中で木曜日と金曜日の午後のみ中を見学ができるらしい。ただ、中に入らずともガラス越しに中を覗くことはできる。映画では大きな吹き抜けのある見事なホテルとして描かれているが、実際の建物は更に優美で立派であった。建物前にあったパネル写真でもその洒落た内装をうかがうことができる。
ゲルリッツはさほど大きな町ではないので、どこでも簡単に歩くことができる。また、観光案内(Görlitz – Information Obermarkt 32 )では映画のロケ地情報ももらえるし、ツアーもある。
ゲルリッツ🇩🇪(Görlitz)
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) April 9, 2020
ゲリウッドと呼ばれ映画ロケで有名なドイツの街だけあって、香り立つような昔のドイツの街並みが現存する。タイル貼りの趣ある駅舎、往年と商店街と変わらぬ姿のベルリナー通り、中世から現代までの歴史を刻む広場、古風な路地等々、時を越えた散歩ができる街。 pic.twitter.com/H2Ci3w5eaE
● ゲルリッツの散策
・ゲルリッツ駅(Bahnhof Görlitz)
レンタカーでゲルリッツの町に到着し、手軽そうだったので駅の脇にあった立体駐車場に車を停めることにした。そこで、まずはゲルリッツ駅(Bahnhof Görlitz)を軽い気持で覗いてみた。すると、映画のセットのような渋い駅舎に見とれてしまう。
駅内部は趣あり、タイル貼りの装飾も美しい。なんと駅舎内に古書店まであり、古書店隣は集会所のようで、ピアノも置いてあった。
・ゲルリッツの中心部
駅の前から町の中心部に向かう大きな道はベルリナー通り(Berliner Str)。路面電車が行き交い美しい商店街が続く目抜き通りだ。
その目抜き通りを抜けると映画『グランド・ブダペスト・ホテル』の元百貨店(Kaufhaus Görlitz)に突き当たり、近辺には歴史博物館や劇場(Theater Görlitz)などがあり町の中心部となる。近くのエリザベート通り(Elisabethstraße)の近くでは市場が開かれていた。
映画の街だけあって散策の合間にも多くの素敵な景色に出会う。小さな町にしてたくさんのスポットがあるので観光案内所でツアーに申し込んでもよいかもしれない。
中心部からさらにナイセ川に向かって歩くと多くの映画のロケがおこなわれた Untermarkt に行き当たる。ここは市庁舎(Town Hall Tower)や壁面に天文図が書かれ見事な切妻屋根の薬局建物(The Old Council’s Pharmacy / Alte Ratsapotheke)がある。
Untermarkt を過ぎて坂を下りていくとすぐにナイセ川に突き当たる、対岸はポーランドでズゴジェレツの美しい家々が並ぶ。
そして、ポーランドとの国境橋である Old Town Bridge からドイツ側を見上げるとザンクト・ペテルス教会が見える。
・ザンクト・ペテルス教会(Sts. Peter and Paul Church Pfarrkirche / St. Peter und Paul)
この教会はフランスの作曲家メシアンの曲『世の終りのための四重奏曲』初演50周年記念演奏会をおこなったところ、メシアンは残念ながら高齢の為、この演奏会には足を運ぶことができなかった。内部には立派なオルガンが鎮座している。
ゲルリッツの散策終え、駅に向かう際はあえて遠回りをし、古い高層アパートが立ち並ぶランテスクロン通り( Landeskronstraße)を歩いて帰った。
この時期は16時が日没なので夕日を眺めながら家路を急いだ。