ズデーテン地方は、チェコ語で Sudety、ドイツ語は Sudetenland、ポーランド語では Kraj Sudetówと呼ばれ、現チェコとドイツの国境付近の一帯。文化が交わる場所でもあり、歴史が交差する地帯なのでトピックも多い。そんな複雑な歴史背景を持つズデーテン地方では、ゲーテやベートーヴェンの足跡をたどり、多様な文化や複雑な歴史、数々の史跡が織りなす景色や物語が堪能できる。
● ズデーテン地方へ / レンタカーの旅
● ズデーテン地方とは
● マリアーンスケー・ラーズニェ(Mariánské Lázně)
● ロケト(Loket)
● カルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)
● テプリツェ(Teplice)
● ウースチー・ナド・ラベム(Ústí nad Labem)/ ストジェコフ城(Hrad Střekov)
● ズデーテン地方へ / レンタカーの旅
あちこち一筆書きのように巡りたいので、チェコではレンタカーを借りることにした。車で道路が溢れ渋滞する早朝のラッシュアワー前に出発したく、レンタカーは前日に手配をした。今回のレンタカー会社はEuropcar Plzeň 。ここは、小さなホテルがレンタカー貸し出しを副業でやっているようで、受付が混まない上に、対応がホテルクオリティ、とても丁寧に手続きをしてくださり助かった。少々出しにくい地下駐車場にあった車も、依頼すれば車庫出しもやってくださる丁寧さ。借りた車種はシトロエン・C3、反応が早く運転しやすい。幸運なことにカーナビが着いている。同じレンタカー会社なのに、前年のプラハではくたびれたシュコダをレンタルされ、カーナビ無しで、ふわふわサスペンション、随分と異なる対応である。
チェコでは高速道路を走る際にヴィニエットと呼ばれる高速道路の通行券が必要。ガソリンスタンドで簡単に買える。これで10日間1500円ほどで、高速道路が乗り放題となる。ちなみに5日間のものがないか確認したが、10日がミニマムらしい。
また、チェコの駐車スペースや道路の狭さに時折驚くことがある。昨年もブルノの宿で車の出し入れに苦労したことを思い出した。
● ズデーテン地方とは
ズデーテン地方は、チェコ語で Sudety、ドイツ語は Sudetenland、ポーランド語では Kraj Sudetówと呼ばれ、現チェコとドイツの国境付近の一帯。文化が交わる場所でもあり、紛争の火種にもなる地帯なので歴史に登場することも多い場所である。
この地方は、紀元前にケルト人がいたが、その後にゲルマン人による支配があり、ゲルマン人が西方に移動するとスラブ系の支配下となる。9世紀頃にボヘミア公国ができ、12世紀頃に全盛を迎えボヘミア王国となるが、基本的には神聖ローマ帝国の影響下にあった。
この頃のチェコ人はドイツ人を積極的に受入れ、鉱山技術者や商人、手工業者、聖職者がボヘミアに流入しドイツ人の街が多く生まれる。14世紀のカレル4世はドイツ皇帝かつボヘミア国王であった為、多くのドイツ人とチェコ人の融和政策を成した。しかし、このことが後々の両国の不和の遠因となる。カレル4世よってドイツの聖職者などは特権を与えられドイツ人が勢いづいたのもこの頃に端を発する。
15世紀にはチェコ人はフス戦争でドイツに反乱を起す。ボヘミアは勝利し、しばし安泰な期間を迎えた。この頃の皇帝はルドルフ二世であり、彼はハプスブルク家にもかかわらずプラハに住み、美術収集から錬金術含めた科学によってプラハは文化の爛熟期となる。あわせて彼は信仰の自由をチェコ人に与えた。
しかし、その後のハプスブルク家はカトリックの色彩を強くし、17世紀に三十年戦争が発生、それ以降はボヘミアは完全なハプスブルク家の支配下となり公用語もドイツ語となる。ナポレオンの登場以降は民族運動が活性化し、そしてハプスブルク家の衰退によりオーストリア=ハンガリー帝国が成立すると、ボヘミアの工業国化と共にチェコ人の発言力も高まる。
そして、第一次大戦ではドイツ帝国とオーストリアが負け、チェコはついに独立を勝ち取る。この時、ズデーテンはチェコスロバキアによって、そこに住むドイツ人を含め自治権が認められていたが、納得しないドイツ系住民はその後勃興してきたナチスを応援する。そして、1938年にはミュンヘン協定でズデーテン地方のドイツへの譲渡が決まる。このミュンヘン協定によって領土の40%、人口30%をチェコは受渡すことになり、潤沢だった資源や工業力の50%を割譲することになる。しかし、戦後にこの地方は再びチェコに戻った。
以上、かなり複雑な歴史背景を持つ地帯で、読み物でも度々登場してくる話題。それを現地で見ておきたかった。滞在していたプルゼニもドイツ色の強い街で、フス戦争でカトリック側だったので、プルゼニはそもそも神聖ローマ帝国とは親和性が高かったのだろう。そして、30年戦争では大きな余波を受けており、やはりこの地域の複雑な背景をもっていた。
● マリアーンスケー・ラーズニェ(Mariánské Lázně) マリーエンバート(Marienbad)
・マリアーンスケー・ラーズニェ / マリーエンバートへ
朝の渋滞を避けたく6時にプルゼニを発ったので、7時半にはマリアーンスケー・ラーズニェに到着する。夜明けで空が白んでいく様が綺麗であった。
公営の駐車場があったので、そこに車を停める。チェコはどこもかしこも車の駐車スペースが狭くて停めるのに一苦労。旧型車の車サイズにあわせたのでこうなったのか、もともと土地の節約指向がある故に狭いのかは不明だが、とにかく駐車場も路上も車と車の間隔が狭い。
マリアーンスケー・ラーズニェの街を歩き始めると、立派な建物が多く、古都の趣。そのほとんどがホテルであるが古風で落ちついている。ワーグナーはローエングリンをここで構想を練り始めたらしいし、ゲーテは何度も滞在している。ショパンも滞在したとか。また、第二次世界大戦中にはドイツの傷病兵の保養施設となってたらしく、戦争による町の破壊もなかった。大戦後は住人のほとんどを占めていたドイツ人が追い出され、今はチェコ人の街となっている。
マリアーンスケー・ラーズニェ🇨🇿(Mariánské Lázně)
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) January 7, 2020
ドイツ語ではマリーエンバート、タイトルになっている件の映画には、実は一切登場しない。
街は古い温泉街なので立派な建物がつらなる古都。ワーグナーがローエングリンの構想を練り、ショパンは「別れのワルツ」を捧げたマリアに求婚した街。 pic.twitter.com/PVzFaslrZe
・コロナーダ(飲泉所)Lázenská Kolonáda / Hlavní kolonáda
以前、写真を見てその絢爛さに1度来てみたかった場所、早朝すぎて誰もおらず、この美しい建築物を独占状態だった。屋内施設の飲泉施設が早くもオープンしていた。飲泉所では紙コップを販売しており、手ぶらで来てしまったので助かる。ちなみに有名な飲泉用の陶器カップは荷物になるので買わなかった。温泉のお味は酸味を感じるがなんとも表現しづらい、暖かいのと冷たいのがあるが、暖かいほうが飲みやすいようだ。飲泉所にはちらほら客がいたが、地元の方のようで皆さんペットボトルに温泉水を詰めていた。
コロナーダ(飲泉所)🇨🇿@マリアーンスケー・ラーズニェ / マリーエンバート(Lázenská Kolonáda / Hlavní kolonáda)
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) January 9, 2020
以前、写真を見てその絢爛さに1度来てみたかった。早朝すぎて誰もおらず、この美しい建築物を独占。飲泉所では紙コップ販売がある。冷暖2種の内、暖かいほうが酸味が和らぎ飲みやすい。 pic.twitter.com/L6zmX1wGKk
・マリアーンスケー・ラーズニェ市立博物館(Městské muzeum Mariánské Lázně)
ありきたりの郷土資料館で、昭和な感じのビデオ郷土史を30分見せられる。開館と同時に入ったので、わざわざ映画を見なさいと、スタッフの方が上映し始めてくれた。ただ、その後に客は全く来ず。途中離席するのもなんだか悪くて、眠たいビデオを延々と見る羽目になった(笑)。
そして、ここでも話題の中心はゲーテだ。まあ、当地では60歳も年下の少女への片恋慕なんかがあったのだから俎上にのるのはいたしかたない。そして、この後何度も見ることになるゲーテと石の展示。自然科学者としても優秀だったゲーテは地質学の研究をしており鉱物収集をしていたらしい。これにかこつけて、ゲーテと言えば、どの博物館にも石が展示してある。そして、この郷土資料館ではこれらゲーテのあれこれを紹介するのに、手作りの人形を使っていて、それが適当すぎて面白い。
マリアーンスケー・ラーズニェ市立博物館 / マリエンバード
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) November 9, 2019
郷土資料館らしく滞在したゲーテの紹介は手作り人形と超適当(笑)、ただ、これが愛らしい。当地は60歳も年下の少女にゲーテは片恋慕した場所なのでネタとしては十分か。 pic.twitter.com/SzJZHKnqMK
朝ご飯がまだだったので、1軒だけ開いているカフェ(Cafe Bar Modra)で生クリームがたっぷり入ったコロネとコーヒーをいただく。山中なので、それなりに肌寒かったが、これで一息つけた。その後はメイン通りの裏手にある 聖ウラディーミル教会(Pravoslavný chrám svatého Vladimíra)などを散策してマリアーンスケー・ラーズニェを後にする。
●ロケト(Loket)
・ロケトへ
田舎道を30キロほど走り、次の目的地ロケトへ向かう。マリアーンスケー・ラーズニェから北に向かうと完全な山間部で田舎の山道。降雪はないようなので、林道、農道にも思えるこちらを選んだ。途中の村々をノンビリ通過。
ロケトに着くと半島のように川に突きだし、てっぺんにはお城、見事な景色が車からもわかる。
ドイツ語ではエルボーゲン(Elbogen)、チェコ語と共に肘の意味、3面をエゲル川に囲まれていることが所以だろう。小島のように川と城壁に囲まれた街は、お伽の国のようでこじんまりとカラフル。人の気配がしない時は幻想的ですらあった。
美しい街並みは映画の007のロケ地にもなっており、最近では映画『T-34 レジェンド・オブ・ウォー 完全版』ではこの街や橋が大舞台となっている。
・レストラン(Restaurant Atmosféra)
ちょうどお昼時なので町を散策しながらレストランを探したところ、手頃なレストラン(Restaurant Atmosféra)を見つけ、モラビア風ローストポーク(moravsky vrabec se zelim)なる豚の角煮を注文。隣の席の旅行者が食べているのが美味しそうなので、給仕の方に小声で聞いたところ、さりげなくメニューを指さしてくれた。観光客相手のレストランにしては、味はなかなかである。
レストラン Restaurant Atmosféra 🇨🇿@ロケト(Loket)
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) January 12, 2020
観光地にも関わらず手頃で美味しかった、そういうチェコがとても好き。ここではモラビア風ローストポーク(moravsky vrabec se zelim)-豚の角煮-をいただく。シーズンオフなのでレストランは他に開いておらず、そこそこ繁盛の様子。 pic.twitter.com/2RC4o3X63X
・ロケト城(Loket Castle / Hrad Loket)
この街、唯一の観光資源。3方を川に囲まれた城壁都市で、そこに鎮座する城であるから、なかなか造りも見応えある。
但し、余計なことに(笑)、地下は拷問の展示が並ぶ。見世物小屋風で興ざめかと思いきや、うめき声が始終スピーカーで流され、興ざめどころかげんなりする。ただ、等身大の各種拷問は少々リアルで観光客受けはしているようだった。
一方、お城の方は保存状態もよく、中世の城の雰囲気を堪能でき、また城の構造がよく理解できる。どこかゲーム・オブ・スローンズのナイツウォッチが詰める最北の城に似ており、あのドラマの大道具は優秀だったのだなぁ、と感心させられた。
● カルロヴィヴァリ(Karlovy Vary)
・カルロヴィ ヴァリへ
ロケトを後にして、高速道路を使いカルロヴィ・ヴァリに向かう。ただし、カルロヴィ・ヴァリ近郊にレンタカーで到着してからがだいへんだった。街の中心地は車通行不可のところもあり、古い谷間の温泉街にホテルがひしめいているので、道は狭く、一方通行が多く道が入り組んでいる。そのため、大回りして目的地のホテルに向かうことになる。ただ、道は風情があり紅葉がとても美しい。
・カルロヴィ ヴァリの街
カルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)ドイツ語ではカールスバード。ここはドイツの国境も近く、1900年初頭くらいは、ほとんどドイツ人で構成されていた街。この地の出身であるカール・ヘルマン・フランクがズデーテン・ドイツ人党のナンバー2でズデーテン併合に尽力し、チェコ人の弾圧に手を染めた人物。彼はチェコでユダヤの星をつけさせ、チェコ人の分断を謀った張本人。ズデーテン地方にあったこの町も1938年のミュンヘン協定でドイツに併合されたが、戦後はドイツ人を追放してチェコ人の街となった。
しかし、現在のカルロヴィ・ヴァリにはロシア資本が大量に入っており、ロシア人オーナーのホテルも多い。そして、ロシア人の移住者が増えており、ロシア人学校まである。ズデーテン地方は昔を懐かしむドイツ人が観光で多いとは聞いていたが、今のカルロヴィ・ヴァリは、それがかすむほどロシア人観光客が多い。
・コロナーダ(飲泉所)
カルロヴィ・ヴァリと言えば、飲む温泉。街にある16カ所のコロナーダと呼ばれる飲泉所をまわるのが観光の目玉になっている。吸い口のついた専用の陶器カップを片手にまわる観光客も多いが、逗留している方々はペットボトルに詰め込んでいるので、自分流のマイカップで問題ない。
コロナーダは街の中心地帯を連なって設置されているので、飲泉してまわると街の繁華街を散策した形になる。
ただ、お勧めなのは夜の散策である。昼間とうってかわって人が少なくなり、光に浮かび上がるコロナーダの建物が幻想的で素晴らしい。寒空の下、暖かい温泉を飲みながらまわるのも一興だ。
カルロヴィ・ヴァリ(カールスバート)の夜のコロナーダ
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) November 9, 2019
夜のコロナーダ(飲泉所)は、ひと気がなく、ライトアップでとても幻想的。デルヴォーの絵のよう。 pic.twitter.com/w8A3xPBj6b
・コロナーダ(飲泉所)以外の カルロヴィ ヴァリ の見所
マリアーンスケー・ラーズニェ同様に多くの著名人が滞在した温泉地なので、滞在した場所が史跡として記録されている。Apartshotel Goethe U Tří mouřenínů はゲーテが滞在したペンションで立派なプレートが玄関脇にはめられていた。また、EA Hotel Mozart は1786年にゲーテが宿泊し、モーツァルトも滞在したホテル。 そして、ベートーヴェンが2度ほど滞在したグランドホテル パップ(Grandhotel Pupp)。ここはベートーヴェンの「不滅の恋人への手紙」にある「K」の場所。
カルロヴィ・バリ🇨🇿の史跡名所
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) January 13, 2020
ゲーテが滞在したペンションApartshotel Goethe U Tří mouřenín。モーツァルトとゲーテが滞在したホテルEA Hotel Mozart。そして、ベートーヴェンが2度滞在したグランドホテル パップ(Grandhotel Pupp)。ここは「不滅の恋人への手紙」にある「K」の場所でもある。 pic.twitter.com/LD2GeGC03b
・グランドホテル パップ(Grandhotel Pupp)
ベートーヴェンが滞在したホテルは、今では5つ星ホテルとなっている。せっかくなので立ち寄った際に、レストランの夕食の予約をしてみた。その際、慇懃な給仕が立派な台帳を手に受付けてくれた。食事のサーブもこの方であった。予約時はカジュアルな格好だったが、食事はネクタイを締めて出向いたので、ちょっと驚いた様子。窓側の1番よい席を用意してくれた。
同伴者もおらず1人でこういう高級レストランに出向くのはどうかと思うが、ベートーヴェンも1人でお泊まりだったはずなので、まあよい。事前予約のサービスでシャンパンを振る舞ってくれる。
グランドホテル パップ🇨🇿(Grandhotel Pupp)@カルロヴィ・バリ
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) January 14, 2020
現在の建物は1894年に建てられた。ベートーヴェンに加えワーグナーなども逗留した由緒あるホテル。観光客も多く敷居は高くはない。近年は、映画『007 カジノ・ロワイヤル』の主要舞台として長期ロケが行なわれたことで有名。 pic.twitter.com/2tdWuc7Okd
お料理はアラカルトで選んだ。スープ はKulajdaというチェコ料理のスープだそうで、英語メニューにはキノコ入りホワイトクリームスープ、ポーチドエッグとある。半熟卵にサワークリーム、ジャガイモ、ディルが入っていた。
メインは珍しいのでナマズ料理を。ナマズってこんなに美味しくてクセがないのか、というお味。みっちり詰まった身は鮭のようだし、これにパプリカソースをかけたお味は一気に中欧風な仕上がり。添え物はベーコンとタイムを練り込んだシュペッツレ。シュペッツレは庶民のものを思い込んでいたので、レストランで供されるとは意外だった。しかも、小粒でこのタイ米のような形のシュペッツレはどうやってつくるのだろうか。
一人旅の食事はせわしないことも多いので、たまにはこうして、ゆったりゆっくり食事をするのもよい。とてもよい気分になり、食後の散歩では夜の街並みがいっそう華やいで見えた。
\\美味しいカルロヴィ・バリ//
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) January 16, 2020
グランドホテル パップ🇨🇿(Grandhotel Pupp)
5つ星ホテルだけあってレストランは豪華。アラカルトで選んだチェコ料理のスープ Kulajda には半熟卵がチラリと覗く。メインはパプリカソースをかけたナマズ料理のシュペッツレ添え、ナマズのみっちりした肉質が美味。 pic.twitter.com/Et2Y0mh0Cm
・インターホテル セントラル(Interhotel Central)
カルロヴィ・ヴァリでは立地もよく、なかなかのホテル Interhotel Central がシーズンオフなので安価に予約できた。コロナーダ(飲泉所)にも近く、ホテル専用駐車場もあって助かる。
ホテルにはプールもあり、温泉療法を受けた高齢者が2名ほど泳いでいる。ホテルには医院も併設してあり、飲泉やプールでの運動など指導されているのだろう。部屋からプール施設へはフロントを通らず行けるようになっており、皆さんガウン姿でスタスタ廊下を歩いている。日本の温泉宿と全く同じ(笑)。
100年以上の歴史と4つ星ホテルだけあって、内装もシックで落ち着く。
● テプリツェ(Teplice)
・テプリツェへ
テプリツェ(Teplice)はカルロヴィ・ヴァリから東へ100キロほど行ったところ、紅葉の美しい道々を通りながらのドライブ。センターラインもなく2車線しかない道路も多く、時折対向で爆走するトレーラーとすれ違うのはヒヤヒヤするが、それを除けば優雅なドライブ。
・テプリツェ
テプリツェは、ドイツ語では テプリッツ、ベートーヴェンが「不滅の恋人」への手紙を書いた場所である。 青木やよひさんの書籍に巡り会い、是非この街を尋ねてみたく思っていた。 「不滅の恋人」の謎を紐解くように旅をしながら史跡と詳細資料であたりつけ解明していく内容に惹かれた。
昔のテプリツェは、王侯貴族が湯治に来るような町で、栄華を極めた時期があるらしい。そのため町の中心部には城公園(ámecká zahrada Teplice)と呼ばれる元宮廷公園があり、その横は立派な建物が多い。中心部にあるクラリー伯爵の城はとりわけ立派で現在は博物館になっている。このクラリー伯爵こそがテプリツェの立役者で、1793年にこの街が半分が大火災で焼失してしまった際に温泉を活用し、貴族が集るようなスパ施設を造り、街の復興を成し遂げた。当時は「小パリ」とも呼ばれるほど美しく華やかだったようだ。
テプリツェ(Teplice)
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) November 10, 2019
ベートーヴェンが「不滅の恋人」への手紙を書いたところ。この辺りは青木やよひさんの本が参考になった。
彼がゲーテと散歩中、オーストリア皇后に道を譲らなかったのもテプリツェの美しい公園内。この街はベートーヴェンの事件が盛りだくさん。 pic.twitter.com/BX2mEJXtDi
・城公園(Zámecká zahrada Teplice)
公園は紅葉が見事で散歩されている方もちらほら。ここでベートーヴェンがゲーテと散歩中に皇后に出会う。その際にゲーテは道を譲り皇后に拝礼、ベートーヴェンは道を譲らず一行の中を突っ切って歩いたと言う有名な話がある。公園内のその場所と思われる場所にはご丁寧にプレートまで埋められている。ベートーヴェンは、この後ゲーテとも揉める結果になったらしい、まあゲーテからすればかなり生意気な若造に見えたのだろう(笑)。
そして、城公園には舞踏場を備えたバロック様式の建物がある。こちらは1732年に建てられ、1793年の大火でも消失を免れた。訪れた時はちょうど小規模な美術展をやっており、料金は50円。たぶん、1日に何人も来ないのだろう、2人の受付の1人が展示室をひとつひとつ案内してくださる。しかも電気をその都度つけたり消したりしながら(笑)。2階の展示室から吹き抜けが見事なホールを見学をさせてもらった。また、先のベートーヴェンがゲーテと散歩中、オーストリア皇后に道を譲らなかった事件は、 The Incident at Teplitzと題されたCarl Röchling による絵があり、その背景には、こちらの舞踏場の建物が描かれている。
城公園と舞踏場🇨🇿(Zahradní a plesový dům)@テプリツェ
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) January 17, 2020
ベートーヴェンがゲーテと散歩中、オーストリア皇后に道を譲らなかった事件が起きた城公園。この事件はCarl Röchling による絵があり、その背景に公園内の舞踏場の建物が描かれている。バロック様式の美しい建物で1732年に建てられた。 pic.twitter.com/BBKp8yMS32
・ベートーヴェン縁の建物
公園を出て広場からZámecké námと言う通りに向かうと、ベートーヴェンが1812年に泊まり「不滅の恋人」への手紙を書いた旅館 Zlaté slunce (The Golden Sun)がある。その先には1811年に泊まった旅館 Zlatá harfa (The Golden Harp) 。青木さんによると「不滅の恋人への手紙」を投函したと思われる元郵便局 Zlatý kříž(The Golden cross)もこの近辺だったようだ。チェコによくある建物なのだが、ゲイリー・オールドマン主演の映画「不滅の恋/ベートーヴェン」を見たり、先の青木さんの本を読んだりしていると、謎に満ちたこの恋人との話に縁がある所は、少々感慨深い。また、「不滅の恋人」を想いながら、この通りを歩いていたベートーヴェンを思うと感慨深くもある。
ベートーヴェン縁の建物🇨🇿(Zámecké nám)@テプリツェ
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) January 18, 2020
ベートーヴェンが1811年に泊まった旅館 Zlatá harfa (The Golden Harp) 。1812年に泊まり「不滅の恋人」への手紙を書いた旅館 Zlaté slunce (The Golden Sun) 。細い通りに縁の建物が連なる。
こちらの本が参考になった。 https://t.co/iQ9h8zpLXY pic.twitter.com/gdyvmvO8Cx
・現在のテプリツェ
ベートーヴェンの関係の史跡のある広場付近を抜けて新市街的な現在のテプリツェの中心部に行く。商店街が連なるが、全体的にかなりくたびれた感がある。店舗の様子も場末感があり、旧共産圏を思い出すような内装の店まであった。プラハしか知らないと、わからないチェコの今なのかもしれない。
この商店街のリーズナブルな立ち食い定食屋でグラーシェをいただく。350円と観光地価格の半額以下。中国人もしくはベトナム人が経営しているようだが味は良い。前年に同じくチェコの田舎町イフラヴァでも、こういうアジア人が経営するお店の料理のお味はけっして悪くはないと感じた。
古書店 Knihkupectví, Antikvariát a Galerie L&Nに立ち寄ったところ、暇だったせいか温厚な店舗の方々にもてなされ、小さな絵本を1冊購入した。
現在のテプリツェを散策🇨🇿
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) January 19, 2020
味わいのある街で商店街が連なるが、全体的にかなりくたびれた感がある。旧共産圏を思い出すような内装の店まであった。立ち食い定食屋でグラーシェをいただく。350円と観光地価格の半額以下だが料理のお味は悪くない。古書店で小さな絵本を1冊購入したのも思い出。 pic.twitter.com/OOdgqPaCGU
● ウースチー・ナド・ラベム(Ústí nad Labem)/ ストジェコフ城(Hrad Střekov)
目的地のリトムニェジツェ(Litoměřice)に向かう途中、ウースチー・ナド・ラベムに立ち寄る。ここは、ラーベ川(エルベ川)とビリーナ川の合流点にあり、プラハとドレスデンの中間でもあることから工業都市として近代発展をした都市。また、このような立地から昔から戦略的に重要拠点であり、ラーベ川を望む高台にはストジェコフ城(Hrad Střekov)が建てられた。1316年に築城後、ボヘミア貴族のロブコヴィッツ家が1563年から所有していた美しい城で、ゲーテは褒め称え、1842年に訪れたワーグナーはオペラ「タンホイザー」の着想のきっかけを得たとも言われている。俯瞰して見ても厳かで、高台にある様が絵になる。CDやレコードのジャケットにも似合う城であった。
ストジェコフ城(Hrad Střekov)🇨🇿@ウースチー・ナド・ラベム
— ごーふぁー 🇵🇱🇨🇿🇩🇪 (@juntaniguchi) January 20, 2020
1316年に築城後、ボヘミア貴族のロプコヴィッツ家が1563年から所有していた。とても美しい城でゲーテは褒め称え、1842年に訪れたワーグナーはオペラ「タンホイザー」の着想を得たとも言われている。 pic.twitter.com/Fs5pQm0yim