千葉県 館山の『渚の博物館』圧倒的な網漁のジオラマ / ハンブルク アルトナ博物館で見た網漁展示の謎が解けた

千葉県 館山の『渚の博物館』圧倒的な網漁のジオラマ / ハンブルク アルトナ博物館で見た網漁展示の謎が解けた

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海事博物館としてかなり優秀な博物館を千葉の辺境で見つけた。『渚の博物館』という「みちの駅」ならぬ「渚の駅 たてやま」に併設された博物館で、規模も大きく、なかなか立派な施設である。島国にしては日本には海事博物館が少なく、「船の科学館」が休館状態の中、館山という立地ながら関東圏では貴重な博物館に思える。
実際、この『渚の博物館』を訪ねて感心した。1階は館山に住み、同地の観光大使を務める「さかなクン」のギャラリーとなっており、彼の描いた魚の生態などの絵が豊富に展示されている。魚の表情をうまくとらえながら、カラフルで優しいタッチのイラストは見ていて楽しく、魚の豆知識が得られる。
そして、同館の白眉は2階である。重要有形民俗文化財である房総半島の漁業のツールに、漁師の生活や習わしに関わる資料がふんだんに展示されているのだ。特に網漁のジオラマが豊富にあり、これらに付されている説明も詳細である。ハンブルクで見た同様の展示の謎が解けたことが嬉しかった。

ドイツ ハンブルクの謎が解けた! ハンブルク近郊のアルトナ博物館で見たジオラマ群
館山の「網漁のジオラマ」が圧巻の渚の博物館
『渚の博物館』のその他の展示
その他の館山観光

● ドイツ ハンブルクの謎が解けた! ハンブルク近郊のアルトナ博物館で見たジオラマ群

ハンブルクの町の西にあるアルトナ博物館(Altonaer Museum)は、ハンブルク歴史博物館(Museum für Hamburgische Geschichte)と並んでこの地方の歴史や風土を知るのに良い博物館であった。バルト海の海事博物館を探し続け、たどりついた博物館なのだが、漁についての展示は本家のハンブルク歴史博物館よりもアルトナ博物館が上を行っていた。港町らしく船に関する展示が多く、1階はほぼ海事博物館と言ってもよい様相を呈している。

アルトナ博物館外観 @Altonaer Museum
アルトナ博物館外観 @Altonaer Museum

1863年創業のアルトナ博物館には、もちろん昔の北ドイツの生活文化である家屋や生活用具などの展示も多いのだが、船舶模型や船首像などが充実しており、船で使う縄を編む機器や船大工の店なども展示されている。

船首像 @Altonaer Museum
船首像 @Altonaer Museum

圧巻だったのはフロアにいくつも並ぶ「網漁のジオラマ」であった。このジオラマでは海面には漁船が浮かんでいるのだが、船の喫水から海底まではレジンでつくられた海の中で、各々流し網の展開の仕方が確認できるのが興味深い。日本は主に定置網漁法だが、北海は満ち干が激しく定置網が使えないので必然的に流網になったようだ。

網漁のジオラマ @Altonaer Museum
網漁のジオラマ @Altonaer Museum

この「網漁のジオラマ」が1階のフロアの大部屋に拡がっており、1つずつ網漁の形態などを興味深く眺めつつも、キャプションがドイツ語かつ専門用語が多い為、ろくに理解することができなかった。その謎や説明内容を今回、千葉県 館山 『渚の博物館』 で初めて解明できた。

● 館山の「網漁のジオラマ」が圧巻の『渚の博物館』

その 『渚の博物館』 であるが、海辺の 「渚の駅」たてやま に併設され、館山市立博物館の分館扱いとなっている立派なもの。

『渚の博物館 外観 @渚の駅たてやま
『渚の博物館 外観 @渚の駅たてやま

1階展示にある「さかなクン」の説明によると、「東京館山海底谷」と呼ばれる深い海溝が館山の沖合にある。海図を見ると、房総半島の太平洋側には日本海溝があり、そこから本州に向かって1000m以上の深さの相模トラフが分岐している。その相模トラフから更に東京湾に向かって分岐して延びているのが、深さ800mほどの「館山海底谷」である。つまり、三浦半島の「剱崎」と房総半島の「洲崎」の間がとても深くなっており、一方東京湾に近づくと水深は急激に浅くなる。この幅広い深度差がある為、東京湾は多くの魚が生息し、豊かな漁場となっている。

1階展示の様子 @渚の博物館
1階展示の様子 @渚の博物館

ちなみに東京湾の浅瀬の漁業については港区立郷土歴史観(旧公衆衛生院)の展示が詳しかった。

この豊かな東京湾の玄関口にあたる館山は古くから漁業が盛んであり、沿岸漁業を中心に定置網漁業、まき網漁業など網漁も目立つ。そのため、この『渚の博物館』の2階には漁業の道具展示や網漁のジオラマ模型が素晴らしく、近代の日本の漁業をビジュアルかつ立体的に知ることができる素晴らしい博物館であった。そして、先のハンブルク アルトナ博物館で見た各種網漁の形態を調べ直すよい機会となった。

・地曳網

九十九里で盛んだったイワシ漁は地曳網漁で、1555年頃に紀州の漁民によって伝えられたらしい。それが1827年には漁家4万戸、網元300家と日本一の漁業と言われるまで発展した。漁法は2艘の船を用いて網で魚を囲い込み、これを海岸まで曳き寄せてとった。これを再現した詳細なジオラマが展示されている。網の曳く様子から曳き終えて砂浜で干鰯(ほしか)作り、つまり肥料作りを準備する様まで、見て取れる立派なジオラマである。

地曳網のジオラマ 海側 @渚の博物館
地曳網のジオラマ 海側 @渚の博物館
地曳網のジオラマ 浜辺側 @渚の博物館
地曳網のジオラマ 浜辺側 @渚の博物館

尚、この地曳網の様子は、大漁の際に寺社に奉納した絵馬にも描かれており、そのダイナミックな様子を描いたものが残されている。

地曳網の絵馬 @渚の博物館
地曳網の絵馬 @渚の博物館

・揚繰(あぐり)網

旋網漁/巻網の1種で魚群を網で囲い混み、狭く絞り込んで魚を獲る漁法。小型船の場合は1隻で網入れを行なう。揚繰網の別称である旋網、巻網、巾着網などの名称は囲い込んだ魚群が逃げないように、網の底の部分を素早く閉じて揚げることからつけられた。
これを千葉県では改良して開発された高能率の旋網(まきあみ)漁法として、改良揚繰網がある。揚繰網の閉じる部分に更に改良を加え、矢網と呼ばれる締網を網の底の部分に通してある。それをひくことで素早く網裾を締め括ることができるようにしたのがそれである。
最盛期を誇った九十九里のイワシ漁も、江戸時代末期から回遊魚の接岸量の減少があり、地曳網漁が衰退し、沖合に出て捕獲するようになる。その沖合に出ての漁の際に、この改良揚繰網漁が活躍した。長さ106間(159m)、幅22間(33m)の麻網を用いる。漁船2艘で漁夫26人の操業となり、効率的であったので、後に千葉県から県外各地に広まった。

揚繰網のジオラマ @渚の博物館
揚繰網のジオラマ @渚の博物館

・葛(かつら)網

江戸時代の房総漁業の発展に大きな役割をはたした漁法で、敷網と呼ばれる底引き網に鯛などを追い込んで獲る。追い込み方が独特で「ブリ板」と呼ばれる板を縄に多数取り付け、これが海底を引きずり、その音と泡で魚を威嚇して敷網に追い込む。しかし、漁獲効率が非常に高く魚を獲りつくしてしまうことから幕府によって制限をほどこされた。近年までのこの漁法は続いていた。

葛網のジオラマ @渚の博物館
葛網のジオラマ @渚の博物館
葛網の海底のブリ板の様子を表すジオラマ @渚の博物館
葛網の海底のブリ板の様子を表すジオラマ @渚の博物館
葛網の図説 @渚の博物館
葛網の図説 @渚の博物館

・手繰網

底引網の一種で、海底のクルマエビ、カレイ、ヒラメなどを獲る沿岸漁法。風や潮流の強くない時を選んで出漁し、漁場で錨を打ち、錨索、浮樽、曳綱、袖網、ふくろ網、袖網、曳網の順に海に入れながら、円を描いて浮樽に戻り、錨索を船にとめて船を固定する。網を揚げる時は2本の曳網を手繰りこんで海底の網を引き寄せ魚を獲る。

手繰網 @渚の博物館
手繰網 @渚の博物館
手繰網の図説 @渚の博物館
手繰網の図説 @渚の博物館

・落し網

大型の定置網の一種である。ブリ、イナダ、アジ、サバなどを捕る漁法で、明治期に導入されて以来改良を重ね、現在も使われている漁法。漁期は内房では2~9月、外房では11~8月。面白いのは網の各所の名前。最初に魚を誘い込むのが「運動場」と呼ばれる囲い網部分、次に魚が中に入りつつ先がすぼまる「登り網」、最期は「袋網」と呼ばれる行き止まりの網袋に魚は落ち込む。そして、この袋網だけを1日に2回ほど引揚げる。網には底網があり、着底せずに運用される。

落し網のジオラマ @渚の博物館
落し網のジオラマ @渚の博物館

これらの網漁に登場する漁網であるが、漁網は江戸時代中頃から稲わらから麻糸に変わり、麻糸を漁師自らが編み網を作った。明治末期から機械編みの木綿漁網が普及したが、耐久性に問題があり、毎日修理が必要であった。昭和30年代からやっと化学繊維に変わったとあった。

● 『渚の博物館』のその他の展示

この他にも各漁船の船柱の下に納められた神棚-船霊(ふなだま)、釣り針などツールも実物がいくつも展示されている。また、 陥穽漁(かんせいりょう)と言われる蛸壺など罠を使った漁、海女や器械潜水などの潜水漁、鰹節作り、海苔の養殖などもパネルと道具の双方を展示してわかりやすい説明だ。

鰹節作り、海苔の養殖の展示 @渚の博物館
鰹節作り、海苔の養殖の展示 @渚の博物館
陥穽漁の展示 @渚の博物館
陥穽漁の展示 @渚の博物館

そして、万祝(まいわい)と言われる大漁などの祝いの席で漁師が着る晴れ着の展示に力を入れていた。これは船主や網元が配り、神社仏閣を参拝する時に着用した着物である。イワシ漁の豊漁だった房総半島発祥と言われており、その後静岡から青森にかけて拡がったようだ。家紋に縁起の良い絵柄が描かれ、見るからにゴージャスである。1度の注文で20~100反と大量に染めることから型紙がつくられ、それらも展示されている。また、これらの見事な図柄は館山の土産物に流用されていた。

万祝の展示 @渚の博物館
万祝の展示 @渚の博物館

● その他の館山観光

・館山市立博物館

館山市立博物館本館は郷土史展示、城は南総里見八犬伝関連の展示と2部構成からなる。ただ、展示品は老朽化が著しく写真撮影も不可。分館である「渚の博物館」のほうが展示内容としては優れている。本館から城への道のりはちょっとキツい坂道だが天守閣からは館山を一望できて絶景。

館山市立博物館 本館
館山市立博物館 本館
 館山市立博物館 別館 八犬伝博物館(天守閣)
館山市立博物館 別館 八犬伝博物館(天守閣)
天守閣からの館山市内の眺め @八犬伝博物館
天守閣からの館山市内の眺め @八犬伝博物館

・渚の駅 たてやま

『渚の博物館』のある「渚の駅 たてやま」は土産物店として地元の魚介類や野菜と名産品を販売している。更にはスイーツ店や生け簀のある鮮魚店まであり、観光帰りに立ち寄るのに丁度良い。横には小さな水族館もある。

渚の駅 たてやま 店内
渚の駅 たてやま 店内@館山

・木村ピーナッツ

千葉の特産品落花生の専門店。ピーナツソフトクリームが有名で、これが落花生の風味たっぷりで濃厚なお味。リピーターが多いのもうなずける。あまりに美味しいのでピーナッツペーストも土産として購入したが、これまた上品なお味で格別。

 木村ピーナッツ @館山
木村ピーナッツ @館山
ピーナッツペースト @木村ピーナッツ
ピーナッツペースト @木村ピーナッツ

・幸田旅館

創業百年を超す古い立派な旅館。鄙びた建具や船の形をした湯船など館内は趣がありすぎな昭和世界、しかし女将が上品でお話好き、清潔でお料理がとても美味しい旅館であった。和食フルコースには、お刺身はもちろん、数日前に揚がった鯨、地元の納豆、なんとお土産に隣町の鴨川のお酒までいただいてしまった。

幸田旅館外観 @館山
幸田旅館外観 @館山
幸田旅館の夕食 @館山
幸田旅館の夕食 @館山
幸田旅館のお部屋 @館山
幸田旅館のお部屋 @館山

日本 / 千葉県

<詳細情報>
・館山市立博物館分館 渚の博物館
千葉県館山市館山1564-1
・渚の駅 たてやま
千葉県館山市館山1564-1
・館山市立博物館
千葉県館山市館山351-2
・木村ピーナッツ
千葉県館山市下真倉236-3
・幸田旅館
千葉県館山市北条1837
・アルトナ博物館(Altonaer Museum)
Museumstraße 23, 22765 Hamburg