小さな郷土資料館が教えてくれた伝承や口述記録の大切さ / 二戸歴史民俗資料館と遠野を結ぶ旅

小さな郷土資料館が教えてくれた伝承や口述記録の大切さ / 二戸歴史民俗資料館と遠野を結ぶ旅

岩手県一戸にある古い映画館・萬代舘へJAZZを聴きに行った。夜のライブであったため本来は一戸に宿泊したかったのだが、生憎この町には宿泊施設がなく、10kmほど離れた隣町の二戸に泊まることにした。
荷物を預けるため、まずは二戸のホテルに向かったが、途中で「二戸歴史民俗資料館」の看板を見つけた。郷土資料館としては「歴史民俗」という大仰な名称である。気になって幹線道路から脇道に入り資料館へ向かうと、小屋のように見える質素な建物が現れた。この様子ではあまり期待できないと思いつつ入口をくぐると、入館料はなんと50円。今どき珍しい金額だが、あえて料金を取るということは、内容に期待してよいのではないかと思わせた。
小ぶりながら魅力的な二戸歴史民俗資料館
伝承のこと、口述記録の重要性
オシラサマと遠野物語
馬の神様、子供とも仲の良い馬頭観音

○ 小ぶりながら魅力的な二戸歴史民俗資料館

二戸歴史民俗資料館の外観
二戸歴史民俗資料館の外観

展示室に入ると、コの字型に区切られた一室のみの展示空間が広がっていた。広さは学校の教室ほどである。ガラスケースの向こうには雑多とも言える多種多様な展示品がずらりと並んでおり、よくある廃校を利用して農機具を並べただけの郷土資料館とは明らかに趣が異なると感じた。

二戸歴史民俗資料館の内部
二戸歴史民俗資料館の内部

展示品を一つ一つ眺めると、その内容が実に興味深い。郷土資料や展示パネルのほか、化石、日本最古とされる酒の自動販売機、モダンなデザインのマッチ箱、地域の信仰にまつわる品々まで幅広く並んでいる。それらすべてに丁寧なキャプションが付けられていた。

日本最古の酒の自動販売機 @二戸歴史民俗資料館
日本最古の酒の自動販売機 @二戸歴史民俗資料館
マッチ箱の展示 @二戸歴史民俗資料館
マッチ箱の展示 @二戸歴史民俗資料館

解説はどれも驚くほど詳しく、展示品それぞれの背景を深く調査した跡がうかがえる。日本最古の酒の自動販売機には、使用方法の図解まで掲示されていた。

展示品と解説を一通りじっくり見終えて帰ろうとすると、資料館スタッフの稲葉さんに呼び止められた。雑談を交わすうちに話は弾み、気づけば1時間以上この地域のさまざまな事柄や展示品の背景について詳しい説明を聞くことができた。

稲葉さんは館長のもとで、地域一帯のお年寄りからの証言を長年にわたり聞き取り、まとめてきたのだという。そのため、郷土の歴史や展示品の背景について深い現場感をもって語ることができるのだと納得した。

○ 伝承のこと、口述記録の重要性

稲葉さんと地域の神様や文化について話しているうち、おばあさんたちから聞いた四方山話に話題が移った。その中でもとりわけ興味深かったのが、昔の「婚活事情」である。当時はどの村も人口が多くなく、年頃の娘がいても村内で縁談相手が見つかるとは限らなかった。

その時、結婚相談所の役割を果たすのは行商の人たちだったと言う。「嫁を探している」「適齢期の娘がいる」と家で行商人に話すと、彼らは次に訪れた隣村でその情報を伝え、縁談候補を探してくれた。こうして行商人が地域一帯の“仲介役”を担っていたのである。縁談話をきっかけに双方が会ってみたり、時には突然遠方の村に嫁いだりすることもあったという。行商人が取り持って結ばれた夫婦は、この界隈に数多くいるらしい。

稲葉さんが携わった研究冊子 @二戸歴史民俗資料館
稲葉さんが携わった研究冊子 @二戸歴史民俗資料館

また、盆踊りも縁談に結びつく場であった。いわば「当時の合コン」であり、男も女もそこで互いを品定めしていたという。そして男性でも踊りが上手な者は非常にモテたのだそうだ。

この地方には男踊りと女踊りが区別されており、稲葉さん自身も幼いころからその違いに馴染んでいたという。普段は冴えないおじさんが男踊りを披露すると、途端に力強い男性に豹変して、それはそれはカッコ良かったらしい。

しかしながら最近心配されているのは、この男踊りが廃れつつあること。どうも近年は踊りの指導者が女性ばかりになってしまい、男踊り本来の力強さが薄れ、動きが柔らかくなってきているという。

男踊りと同様に、お神楽も伝承が難しくなっているという。その背景には長年の“男性不足”がある。戦時中は徴兵で男性が減り、戦後は出稼ぎで恒常的に男性が不在となった。こうした事情により、男性が担ってきた文化の継承が難しくなっていったのだ。

このところ日本各地の祭りを訪ね、町ぐるみで披露される見事なお神楽を楽しんできた。しかし、その華やかさの裏には、継承のための大きな苦労が隠れていることを改めて感じさせられた。

こうした貴重な話を1時間以上たっぷり聞かせていただき、とても勉強になり、楽しいひとときであった。稲葉さんは話が盛り上がると東北弁が自然に出て、その語り口がまた何とも愛らしい。

おばあさんの口まね等では方言そのままでの説明になるので、私には理解できないこともあるほどであった。それでも、話を身近に感じることができ、こうした口述記録の重要性を強く感じた。

○ オシラサマと遠野物語

東北地方の神さまの中でも、遠野地方を含めてオシラサマは特に有名である。オシラサマは家や養蚕、眼病を守護する神さまで、男女二体が一対となるのが特徴である。

オシラサマ @二戸歴史民俗資料館
オシラサマ @二戸歴史民俗資料館

ご神体は一般的に30センチほどの桑などの木で作られ、頭部は人間や馬などさまざまである。毎年1月中旬にはオシラサマの祭日があり、新しい布を着せて祭壇に祀り、家族、親戚、近所から集まった人達で拝む(現在は持ち主の家だけで拝んでいるとのこと)。その際、オシラサマを抱っこしたりおんぶしたり、さすったりして“遊んであげる”と神さまも喜ぶと伝えられている。

オシラサマの顔が馬であるという伝承は『遠野物語』で広く知られるようになった。馬と結婚したいと言い出した娘が父親の逆鱗に触れ、娘も馬も命を落とすという悲話である。起源は中国の『捜神記』にある馬娘婚姻譚だとされるが、東北地方に根付いたのは、馬と深い関わりをもつ土地柄ゆえだろう。

オシラサマ @遠野市立博物館
オシラサマ @遠野市立博物館

遠野に滞在した際、福泉寺を訪れた。遠野駅近くのスーパーマーケット上階にある空きブースで『遠野物語』のパネル展示を見かけ、そこで以下のキャプションに出会ったためである。

-福泉寺の住職の口述によると、オシラサマは狩の神様であり狩人はオシラサマをまわして向いた方向へ出かけた。そのことから「御知らせ様」であろうと思っている、とのことだ。-

遠野物語のパネル展示ブース @遠野ショッピングセンターとぴあ
遠野物語のパネル展示ブース @遠野ショッピングセンターとぴあ

オシラサマは家や養蚕、眼病の守護神とされるが、実際には生活全般を守る神さまと言える。子どもが遊んであげるとオシラサマが喜ぶという伝承からも、子どもとの関わりが深かったことがうかがえる。

福泉寺 @遠野市
福泉寺 @遠野市

○ 馬の神様、子供とも仲の良い馬頭観音

先の『遠野物語』パネル展示には、馬頭観音を祀る遠野七観音の一つ・栃内観音についても記されていた。

-「馬頭観音像を子供が投げ転ばしたり跨がって遊んでいた。その子供を咎めた男が病気になった。巫女が言うにはせっかく観音様が子供と楽しく遊んでいたのを邪魔したのが気に障ったとのこと。-

遠野七観音 栃内観音のパネル @遠野ショッピングセンターとぴあ
遠野七観音 栃内観音のパネル @遠野ショッピングセンターとぴあ

『遠野物語』にあるこの話は、馬頭観音が子どもと遊ぶのが好きだという内容である。この逸話に興味を抱き、栃内観音を訪ねてみた。場所は遠野の中心部から大きく離れた農地にあり、現地に到着すると、山の斜面に鬱蒼とした森が広がり、その手前に鳥居が立っていた。おそらくあそこだろうと見当をつけたが、周囲には農家へ続く私道ばかりで、参道がわからなかった。

栃内観音の鳥居
栃内観音の鳥居

農作業中の方に道を尋ねると、栃内観音へ続く一本の参道を教えていただいた。鳥居をくぐると薄暗い森が広がり、近年は人があまり訪れていないのか、どこか不気味な雰囲気が漂う。その先へ進むと、森の奥に栃内観音のお堂が静かに佇んでいた。

遠野七観音・栃内観音 @遠野市
遠野七観音・栃内観音 @遠野市

お堂の周囲は手が加えられず、自然のままの姿を保っている。薄暗く、どこか妖怪でも現れそうな雰囲気があり、遠野の奥地に来たという実感がする。
遠野七観音は9世紀中頃から存在したとされ、江戸時代には七観音巡りが流行した。一昼夜で七つすべてを巡ると願いがかなうとされ、多くの絵馬が奉納されたという。

絵馬 @遠野七観音・栃内観音
絵馬 @遠野七観音・栃内観音

栃内観音のお堂は、記録によれば1701年に再建されたもので、中に安置されている馬頭観音像も江戸時代の作とされる。残念ながら内部は拝観できなかったが、お堂の周囲には馬の飾りがたくさんついている。

お堂周囲は馬だらけ @遠野七観音・栃内観音
お堂周囲は馬だらけ @遠野七観音・栃内観音

二戸歴史民俗資料館の稲葉さんによると、オシラサマにも馬頭観音と同様の言い伝えがあるという。子どもがオシラサマを抱いたり背負ったり、階段を跳ねて駆け下りたり、放り投げたりして乱暴に遊ばせているのを見て、「危ないからやめろ」と注意した大人にバチが当たったという話である。稲葉さんは、この話を地域のおばあさん方から聞いたそうだ。

この地方では、子どもと神さまとの関係が本当に深くて興味深い。東北地方では毎年のように飢饉が発生し、子どもが無事に大人へ成長することが難しい時代が長く続いた。あらゆる危機を乗り越えて子どもが生き残ること自体、まさに奇跡であった。

この奇跡の命があって、今の私たちがこうしている、とお年寄りたちは教えてくれると稲葉さんは言う。そこから民間信仰の尊さを感じとれるとのことである。
この東北の旅を通じて、口述記録を残す意義の大きさをひしひしと感じた。

日本 / 二戸市、遠野市

<詳細情報>
・二戸歴史民俗資料館
岩手県二戸市福岡長嶺80−1
・遠野市立博物館
岩手県遠野市東舘町3−9
・福泉寺
岩手県遠野市松崎町駒木7−57−1
・遠野七観音 栃内観音
岩手県遠野市土淵町栃内