北極圏に接するユーコン。大自然と共に楽しめるのが、ゴールドラッシュ時代の面影が残る街の散策。本日、走るのはクロンダイク・ハイウェイ(Klondike Highway)、目的地はユーコンの中心地ドーソン・シティ(Dawson City)というゴールドラッシュで栄えた街。
クロンダイク・ハイウェイは歴史ある道で、ホワイトホース(Whitehorse)から北上すると、100年以上前のゴールドラッシュ時、金を求めて押し寄せた人々と同じルートをたどることになる。ユーコン川と併走するため、川の奇麗な景色も楽しめる500kmの道のりだ。
そして、この厳しい土地では、人々との出会いを通じて垣間見る彼等の暮らしぶりが、とても暖かく目に映る。
● 早朝の町を出発 @ホワイトホース
● 怒られるかと思いきや…フレンドリーな地元の人々 @ペリークロッシング
● 極北のゴールドラッシュ街は今も生きていた @ドーソン シティ
● 早朝の町を出発 @ホワイトホース
出発前の最初の作業は、ホテルの撤収と荷物の積み込み宿泊したBest Western Gold Rush Inn はよいホテルだったのに、短時間の滞在で少々もったいない。
空路で運んだ荷物をいったんホテルでばらしたので、ホテルの撤収も一苦労。荷物のパッキングをやりなおし、GPSを設定して地図眺めつつルートを復習する。そして、前日買い込んだ荷物や食料なども出し入れしやすいように積み込む。
移動し続ける旅は、毎日の宿の撤収と荷物の積み込みに意外と時間がかかる。とはいえ今回は4輪駆動の自動車による旅。オートバイの旅に比べると、まとめた荷物を車両に投げ入れるだけなので楽である。オートバイの場合は、各所にあるケースに分納するので、細かく荷物を小分けしたりする作業が加わるので、これがけっこうな手間なのだ。
比較的広いフォード・エスケープの後部スペース、そこに食料や水などを含めた荷物をたんまり積み込むと、いよいよ出発。明け方、白んだ空の下で、エンジンをかける瞬間は、気分が沸き立つ瞬間でもある。
こうして、ホワイトホースを日の出前に出発する。大自然の旅は日の出前スタートが鉄則。朝日に照らされた景色が刻々と変わる様がたまらなく美しいのだ。
● 怒られるかと思いきや……フレンドリーな地元の人々 @ペリークロッシング
道中、少々曇天になるが、かまわず走り続け、カーマックス(Carmacks)という村に到着。そこで、宿+小規模なスーパー+ガソリンスタンドというお店に立ち寄る。田舎町のこういった「何でも屋」は、古いガラクタやおもちゃなんかも置いてあり、店内を眺めているだけでも楽しい。
そして、まだ半分以上残っているがガソリンも補給する。街と街の距離が100km近くあるこの土地では、ガソリンスタンドでは通りかかったら給油するのが鉄則。給油しようと思ったらガソリンスタンドが休みなんてこともあるからだ。かつて、田舎のガソリンスタンドは土日や早朝/夕方は休みで、給油できないことを経験したことがある。やはり、僻地では早期給油は大切である。
そして、ペリー・クロッシング(Pelly Crossing)という小さな村を過ぎたあたりで昼時をむかえる。ユーコン川支流が大きくうねる様と、遠目に見える立派な橋が見事な景観を織りなす。絶景なので、ここで昼ごはんをとることを決め込む。しかし、その雄大な景色に対してランチはずいぶんとわびしい。本日のお昼ご飯は現地調達のカップ麺だ。これをコンロで湯を沸かして食べる。
道路脇の土手でカップ麺をすすりながら絶景を眺めていると、背後に古いアメ車が停車した。振り向くと、地元先住民のご婦人2人が車の中から声をかけてきた。
「こんなところで火を焚くな」と怒られるかな、と思いきや、親しげに「どう、素晴らしい景色でしょう!」と(笑)。そして、「ここはFirst Nationのエリアよ」と誇らしげに語ってくれる。そして、笑顔で立ち去る。
う~む、”First Nation” とは、なんだろうと思った。後で知ったのだが “First Nations” とは、カナダに住んでいる先住民のうち、イヌイットもしくはメティ以外の民族のことを指し、カナダにおいて” Native American” に相当する言葉であった。カナダはどこかゆったりしていて、先住民の方を含め、フレンドリーでほっこりすることが多い。
● 極北のゴールドラッシュ街は今も生きていた @ドーソン シティ
朝から走ってきたクロンダイク・ハイウェイも後半にさしかかると、これまでの曇天がうそのように青空が広がる気持ちのよい好天ぶり。地元先住民が誇る素晴らしい景色なのだから、道を急ぐなんてもったいない。見事な黄色のグラデーションの紅葉を愛でながらたっぷり時間をかけてドライブをした。
そしてドーソン・シティ(Dawson City)には15時に到着。ここでも翌朝早く出発するために、宿に入る前にガソリン給油をする。ドーソン・シティは人口2000人程度の中規模の町。以前は州都であり、ゴールドラッシュの時は人口が4万人もいたとのこと。街並みはオールドタウンらしく、とても風情がある。
ここ北米にはゴールドラッシュで栄え、その後、ゴーストタウンとなってしまった街がいくつもある。代表的なのはヨセミテ公園そばのボディ(Bodie)という町。「Bodie State Historic Park」という名称で歴史公園として街全体が残されている。無人のゴーストタウンながら、 ボディの街の保存状態はとてもよく、西部劇に出てきそうな街がタイムスリップしたかのように当時の趣を残している。
一方、ドーソン・シティはゴールドラッシュで栄えた後も現役の街。古い町並みと風情が残っていながら、暮らしている人がたくさんいるのが良い。夕暮れ時を散歩していると、映画の中にいるような気分にさせられる。小さい町ながら、点在する博物館や雑貨屋、本屋などをひやかしつつ巡ってみた。ワイン専門店なんかまであって、のんびりよい感じなのである。
そして、カラフルな建物が並び、きっと冬場は殺風景な景色に色を添えるのだろうと思う。
また、古い家屋をリノベーションした小洒落た店も多い。
そして、ゴールドラッシュで栄えただけあり、味のある廃屋も目にはいる。中でも肩を寄せ合うように傾き合った建物は「The Kissing Buildings」と呼ばれ、街のランドマークとなっているらしい。この近辺では床下の永久凍土が熱で溶けて、家が傾くことがあるらしい。
また、ゴールドラッシュの際に鉱物やを運搬を担った船、S.S.キノ(S.S. Keno)が乾ドックに展示されている。1922年に建造され、1951年の引退までの間、アラスカハイウェイの建設でも使用されるなど大活躍した。
これらの船舶はクロンダイク・ハイウェイが完成するまでの間、重要な輸送手段で、ユーコン川がその水運ルートになる。しかし、ユーコン川は見た目と異なり、狭くて流れが速く、砂や岩が毎年の雪解け水で堆積する航行が難しい川である。こうした中で船尾外輪タイプの蒸気船は小回りが効いて最適であったらしい。
さて、ドーソンシティでの食事だが、ファーストフード店などは一軒もないので、食事はどこもすべて手作りである。極北なので素材はさすがに輸送に頼っているのだろうが、サンドイッチひとつとっても、店の奥でこしらえている。そして、これら手作りの食べ物のお味が絶品なのである。
宿泊は、ほぼ町の中央にあるオーロラ・イン(Aurora Inn)にした。辺境の町でありながら、小綺麗でスタッフの方々もとても親切であるのが印象的であった。お部屋は少し狭いが、家具は木工家具で揃えられており、アットホームでとても落ち着いた雰囲気である。
極北の街の散策が面白いとは予想だにしていなかったので、ちょっとした驚きであった。ユーコンに行かれる方は是非ドーソン・シティも旅程に組み込まれることをおすすめする。