みすず書房旧社屋 潮田登久子著
久しぶりに宝物にしたいような素晴らしい本に出会った。
みすず書房と言えば、古書店で背表紙を眺めるのが1番楽しい出版社。
清々しくて高尚な白の背表紙に美しい書体のタイトルが並ぶ。今、ハマっているメイ・サートンの書籍も、あの背表紙の中から何気なくつまんだのがきっかけだったし、学生時代から多くの良書と引き合わせてくれたのも、この出版社。手にとり、読んでいると、こちらの気分まで清々しくなる。
・みすず書房旧社屋跡地は本郷3丁目、本場の味がする中華料理店 菜香 の裏手
・本郷2丁目の東京都水道歴史館に足を伸ばす
・みすず書房旧社屋跡地は本郷3丁目、本場の味がする中華料理店 菜香 の裏手
その清らかなイメージの「みすず書房」の旧社屋がテーマの本なのだけれども、旧社屋はなんと本郷に構えるボロアパート風。そこに夜な夜な集り、酒盛りをする作家さんたち関係者、まるでトキワ荘。かなり本を手に取った時のイメージと異なる。
社屋の屋内は書籍や古い木棚でいっぱいいっぱい。洋の東西を問わず揃えられた資料棚、ネズミに背をかじられたロシア語の本。ロシアの本は背の接着に膠(にかわ)を使うらしく、それをかじりとられてしまうとある。また、お便所の床にはニューヨークタイムズが敷かれている。洒落ているのだか、不粋なのかよくわからない(笑)。
ただ、そこかしこに知恵や文化が転がっていて、木の温もりのある匂いとあいまって、建物全体が香り高い。
この本、社員たちの思い出話のような短編エッセイがたくさん入っており、中ほどにある横大路さんの一編が素晴らしく、お手本にしたくなるような文章。人物描写の滑舌さ、社屋の写真を見るような活写によって、古ぼけたアパートのような建物と社内の様子がありありと目に浮かんでくる。
宝物となる本が増えた。
・みすず書房旧社屋跡地は本郷3丁目、本場の味がする中華料理店 菜香 の裏手
最近、跡地に行ってみた。本に書かれてように未だに駐車場となっている。
場所は、中華料理 菜香 本郷三丁目店が目印になる。こちらお店のちょうど裏手。ちなみに、この中華料理屋さんは中国語が飛び交い、やや本格的な味付けの中国味の中華料理。そして、野菜のシャキシャキの炒め方も良い。お値ごろ価格でボリュームたっぷりなのもお勧め。
・本郷2丁目の東京都水道歴史館に足を伸ばす
本郷まで来て、駐車場だけ見てもしかたないので、せっかくここまで来たら、東京都水道歴史館を覗いてみた。東京都水道局が運営する博物館で、江戸時代の上水網の解説や発展史がジオラマや等身大の展示によって知ることができる。
博物館2階には大きな長屋を模した展示がある。その片隅に寄席に模して長屋の様子を描いた動画が用意されている。庶民の暮らしを上手に説明しており秀逸な出来上がりであった。江戸時代、都心内には多摩川から大量の水を引き、各家庭付近まで木樋(もくひ)と上水井戸を用いて水を供給した。
多摩川から延々と引いてきた貴重な水であり、お金持ちでも個人宅にはなかなか水を引けなかったようで、文字通りあちこちの井戸の周りでは、井戸端会議の景色が見られたのだろう。
そして、生活水の用途としてはお風呂がもっともたいへんだった。大量の水を使うので家風呂などは、とても無理なお話だったから、貧富の格差なく銭湯に集った。そして、銭湯のお湯も度々替えることはできないから風呂の底は見えないほどだったらしい。江戸っ子が朝風呂、一番風呂を競ったのはそういった背景だったのか、と知る(笑)。
また、明治時代以降の東京水道史の展示は1階のフロアになる。明治になると木製の配管である木樋から鋳鉄管に変わる。水道管のつなぎ目のサンプル断面がいくつもあり、その発達史もわかるしくみが見事だ。明治・大正時代はペストの流行などもあり、水道の整備が急がれたらしい。そして、近代設備である淀橋浄水場ができる。その広大な敷地(現在の新宿高層ビル街近辺すべて)に驚く。
そして、昭和の展示に入ると小河内ダムの建設史が花形の展示になる。戦争で建設中断となったり苦労が続いたようだが、その当時にして精巧な工法に舌を巻く。ダムが水に流されては、お話にならないので、その基礎工事である土台つくりの工法は重要で、幾重にも下地を固める地盤改良の行程( グラウチング )があったと初めて知った。その工程のひとつの遮水工事では、地下80mまでコンクリートを流し込んでいる。また、コンクリートは水と混ぜた際に熱を発生し膨張するので、後のひび割れの原因になる。その為、夏場は氷を砕いたものをコンクリートと混ぜあわせていたという。
東京都水道歴史館は屋外も見逃せない。神田上水石樋を復元したり、水道周りの史跡に加えて、穴場とも言える広い公園がある。本郷給水所公苑と言い、お昼過ぎに仕事をサボっているとお見受けする方をたくさん見かけた(笑)。公園内には水路があり、どこか涼しげな上に、薔薇園まであって、かなり立派。しかし、高台にあるので周囲からは目に入らない秘境とも言える公園で、本郷にして蜃気楼のような存在であった。