浜松界隈は、日本のバイクメーカーと関連博物施設が集中する“聖地”とも言える地域である。スズキは浜松市に本社を構えており、その向かいには「スズキ歴史館」がある。
市内から北へ20kmほど進んだ天竜地区は、ホンダ創業者・本田宗一郎の生誕地であり、彼は後に浜松市で事業を開始している。そのため「本田宗一郎ものづくり伝承館」という小さな記念館が天竜にある。
そして、浜松市のお隣の磐田市にはヤマハ発動機関連施設が集積した巨大な企業エリアが広がっており、そこにはコミュニケーションプラザというバイク博物館とも言える施設がある。
4大バイクメーカーのうちカワサキだけは本拠地神戸であり、神戸海洋博物館に併設されたカワサキワールド(Kawasaki Good Times World)にモーターサイクルギャラリーが設置されている。
○ スズキ歴史館
○ ヤマハ発動機 コミュニケーションプラザ
○ ヤマハ イノベーションロード
○ 本田宗一郎ものづくり伝承館
○ カワサキワールド Kawasaki Good Times World
○ スズキ歴史館
スズキ歴史館を訪れるとまず目に入るのが、向かいに建っているスズキ本社ビル。かなり年季の入った建物であり、徹底したコスト意識を持つ会社であることに感心させられる。質実剛健な製品づくりを得意とするスズキらしい光景である。おまけに本社ビルの屋上には鳥居までうかがえる。近くにあるヤマハの本社ビル群のモダンな景色とは真逆をいく印象である。

スズキ歴史館に近づくと駐車場には誘導員が2名も控えていて、オートバイの駐車スペースを案内してくださる。今回はスズキ製スクーター「バーグマン200」での訪問であるため、ヤマハ発動機を訪れた際のような他社のバイクで乗り込む気後れはない。
そして、歴史館のエントランスには「来館者100万人達成」のパネルが誇らしげに掲げられている。この歴史館はちょっと不便な場所にあるが、100万人とは凄い。相応にファンが訪れる聖地のようだ。

スズキ歴史館に入場するには、事前予約が必須である。そのため、予約メールに添付されたQRコードを受付で提示する。すると、受付の後ろにある土産物ブースが目に入る。ショップの内装も販売品も非常に充実しており、この施設にかけるスズキの意気込みが、こうした細部からも伝わってくる。

受付を済ませると、まずは2階をとばして、企業史を知るために3階の「お客様と歩んだ」のフロアへ向かう。

スズキはトヨタ自動車と同じく織機の製造販売にて創業している。浜松近辺は昔、綿織物(遠州織物)の産地として有名で、手織りの綿織物は農家の副業としても盛んであった。創業者の鈴木道雄も農家の次男坊で綿栽培や母の機織りを見て育ったのだ。
そんないきさつから道雄は従来の手織機に比べて10倍も能率の良い足踏織機を開発し、母にもこの織機をプレゼントしている。

しかし、織機というのは故障も少なく長持ちする機械であり、いずれ市場が飽和することを見越していた。そこでスズキは自動車開発なども戦前から着手していた。そして、戦争が終わり、まず成功したのが自転車用補助エンジン。1952年に36ccの自転車補助エンジン「パワーフリー号」を発売して大成功をおさめる。これが、後の二輪メーカー・スズキの原点となった。

エンジンには2段変速機構が備えられ、性能は当時としては抜群であった。パワーフリー号は一躍して人気の的となった。こういった生活密着型の製品で成功をし始めたことがいかにもスズキらしい。
その後製造された自動車の数々の展示でも、生活の利便性や庶民が入手しやすい価格を重視する姿勢が強くうかがわれる。




破格の47万円で売り出したアルト、6万円を切る50ccスクーターなどなどである。
こうして、車もオートバイもどこか野暮ったいくらい愛らしいデザインが定着しており、博物館で製品を眺めていると、改めて徹底した生活密着型コンセプトで顧客重視の姿勢がよくわかる。
そして、自動車は旧共産圏デザインか?と思うようなものも多い。

それでも時折スパルタンでイケイケなデザインが現れるのも不思議で、そこがまた魅力となる。


また、スズキはオートバイレースにも積極的に参戦し、懐かしいながらケビン・シュワンツが大活躍して、その攻撃的ともいえる破天荒なテクニックの紹介パネルまで用意されている。
こういったデザインや歴史展示から、質実剛健な市井のスズキのもの作りと先鋭的な一面とのギャップが際立つ点が実に面白い。
3階でスズキの歴史を一通り眺め、2階に移動すると「世界のお客さまへ」のフロアになる。生産の組立てラインや開発の様子が展示されており、バイクや車のカットモデルやデザイン画も豊富である。

そして、海外含めた各地の工場の大きな説明パネルで各製品がどの地域で生産されているのかがわかるようになっていた。

更に奥には「遠州の偉人たち」と題して、山葉寅楠、豊田佐吉、河合小市、鈴木道雄、高柳健次郎、本田宗一郎の説明が並ぶ。これを観ると「遠州なくして近代日本の工業化は語れない」と思わせるほどの顔ぶれである。

こうしてスズキ歴史館の見学を終えたが、広い同社博物館の展示は充実そのもの。織機から始まる社史を夢中に見学していたら、気がつけば2時間が過ぎていた。
楽しさを含めて浜松界隈で1番のお勧め博物施設はスズキ歴史館である。向かいに建つ本社ビルは古いままなのに、顧客への説明施設である歴史館は良く整備され広大な3フロアもの展示スペースを確保しているのも同社ならでは。強く推薦したい施設である。
○ ヤマハ発動機 コミュニケーションプラザ

磐田市の同施設周囲にはヤマハ発動機本社の建物が整然と建ち並び、その規模感には圧倒される。



従業員専用のバイク駐車場も建屋の周囲に点在しバイク企業ならでは。関係者が普段どのような車種に乗っているのか気になり、つい駐車場を見入ってしまった。
ヤマハ発動機 コミュニケーションプラザの綺麗な建物に入ると所狭しと展示されている車両が目に入る。それらをわき目に2階の企業史をまずは訪ねる。

ここで初めてヤマハ発動機も航空機関連事業が発祥であることを知った。ヤマハ発動機は楽器製造(日本楽器製造/現ヤマハの事業)が生業だったが、戦中には木製や金属製のプロペラを製作していたのだ。戦後はそれら工作機械を流用しつつ、そこへ楽器製造で培った精密金属加工技術を組み合わせ、エンジン製造へと進出した。そして、1955年に125ccオートバイの量産を開始、日本楽器製造からヤマハ発動機が分離したのが始まりである。

有名な音叉をつかったヤマハブランドマークの説明もしっかりなされている。

ただし、こちらは日本楽器製造(現ヤマハ)の博物館「ヤマハ イノベーションロード」で更に詳しい説明がある。
設立5年後には1960年には船外機を発売。二輪車で培った小型エンジン技術を活かして自社のFRPボートと併せて発売した。この時に培われたエンジン技術は、自動車やスノーモービルなどへと発展していく。



このフロアには一世を風靡したレースマシンやお馴染みのヤマハの歴代名車の数々も展示されている。かつて自分が跨った車種も展示されており、懐かしさが込み上げてくる。

そして、再び1階の広い展示スペースにもどる。ここにはたくさんの現行車がひしめくように展示されている。

その中で異色の存在であるのがトヨタ車の展示である。なんと名車と言われるTOYOTA 2000GTが多くのオートバイに紛れて展示されている。

ここで初めて、TOYOTA 2000GTがヤマハとの共同開発車であることを知った。デザインや基本設計はトヨタがおこなったが、エンジンの高性能化や黒色艶消し塗装には、ヤマハのマグネシウム鋳造などバイクで培ったノウハウが活かされているという。しかも、車体の細部設計などもヤマハ側がおこなったらしい。その他にもボート製造で養われたFRP成形技術や板金叩き出し技術、楽器で培った木工技術によるステアリングやインパネなどにもヤマハの技術が反映されているらしい。

現在ヤマハ発動機はマリンは世界1位のシェアであり、産業用ロボット分野でも世界有数のシェアを持つまでになっており、単なるバイクメーカーから大きく脱皮している。

○ ヤマハ イノベーションロード
磐田市のお隣の浜松市内のほうにはヤマハ発動機の元となったヤマハの博物施設がある。今や世界一のピアノメーカーであり100種にも及ぶ楽器を造る楽器メーカーである。当然ながら展示施設も非常に充実しており、単に展示品を見るだけでなく、実際に楽器や機器へ触れて体験できる構成となっている。

圧巻なのは、「ものづくりウォーク」と題された展示である。楽器の分解展示を見ながら、楽器の製造過程を見ることができる。そこに職人によるノウハウや極意が記されており、実物を見ながらそれを理解できる。

また、ヤマハは業務用音響機器やオーディオ機器なども手がけてきたので、これらにも広い展示スペースを割いている。
ミキサーを使ったミキシング体験などまでできて、録音の疑似体験ができたりもする。音響や音楽再生に興味のある人にはたまらない空間である。


バーチャルステージとして、生楽器を自動演奏し、それを奏でる奏者の映像をリンクさせた舞台が設定されていた。音楽は臨場感溢れるし、まさに、楽器から音響機器まで幅広く手がけてきた同社技術の結晶と言える展示である。

ヤマハと言えば3本の音叉を交叉させた音叉マークが有名だが、この3つは「技術」「製造」「販売」の3部門の強い協力体制と音楽の基本である「メロディー」「ハーモニー」「リズム」の調和を表している。
ヤマハとヤマハ発動機とではYAMAHAの文字も色も少し異なっていて興味深い。

尚、こちらの博物館は予約制で入場制限をしているので、楽器も余裕をもって触れるし、広い会場をゆっくり見て回ることができる。
○ 本田宗一郎ものづくり伝承館
ヤマハ、スズキは静岡県下に本社を構えているが、ホンダ(本田技研工業株式会社)の本社は東京である。しかし、ホンダ創業の地も静岡県であり、1946年に本田宗一郎が浜松市に本田技術研究所を設立したのがその始まり。
そして、浜松中心部から北に20kmほど行った天竜という場所が創業者 本田宗一郎の生誕地である。ここには本田宗一郎個人にスポットをあてた博物施設「本田宗一郎ものづくり伝承館」がある。

数年におよぶ自動車修理工場の丁稚奉公から自作エンジンでのレース参戦、ピストンリング製造会社の起業と挫折など、本田宗一郎の経歴については、ここで見るまで知らぬことばかりであった。

建物のスペースの関係からオートバイ中心の展示だが、映像資料などもあってすべてを見終えるまでには相応の時間を要する。また、バイク展示の入れ替えを多少はおこなっている模様である。

展示で印象的だったのは、初めて女性誌でバイクの宣伝をおこなったのが、1960年のカブの発売時であったことだ。当時、女性誌にオートバイ広告が掲載されること自体が異例だったと思われるが、しかも、その先駆けとなったのが、実用車のイメージが強いホンダ・カブだったのである。
誰でも気軽に楽しく乗れるとPRをしており、そのポスターも印象的である。調べてみるとPRだけでなく販売手法も一工夫したらしい。バイク屋には無愛想なオヤジさんしかいない。そこでハートマークや花や鳥をプリントしたエプロンを全国の販売店に配布する。そして販売店の奥さんに接客をしてもらったと言うのだ。

通常の企業博物館のメカメカしい雰囲気とは全く異なった博物施設であった。卓越した技術力と丁寧なPR戦略が、徹底した顧客目線と結びついていたことがよくわかり、そこから技術屋としての誇りを強力に感じ取ることができた。
○ カワサキワールド
日本の4大バイクメーカーの内、カワサキだけは川崎重工の1部門であるので本拠地は兵庫県であり、その博物館である「カワサキワールド」は神戸海洋博物館に併設する形で存在している。

カワサキの源流は、BMWと同様に航空機関連事業にある。前身の川崎航空機工業は航空機エンジンを手がけていた企業であった。そこから二輪車用エンジンの開発と供給を始めることになり、後には車体まで製造販売するようになった。
そのため、他の日本のバイクメーカー以上に深いオートバイ開発の歴史を持ち、基礎のしっかりしたバイクメーカーとも言える。

カワサキワールドの展示のゲートをくぐると川崎重工史に圧倒される。あらゆる機械に精通し幅広い分野を高水準で成立させる総合技術力を感じられるのだ。航空機、鉄道車両、船舶、ヘリコプターそしてガスタービンなどの展示まである。

さらに、この博物館では、清洲橋、永代橋、大井川などの鉄道橋と錚々たる橋梁を請け負っていたことも初めて知った。

そんな大企業でありながら「モーターサイクルギャラリー」という広いブースを用意し、歴代オートバイに大きなスペースがとられている。おまけに最新エンジンのカットモデルまで展示されているのだからバイク乗りとしてはたまらない。
エンジン供給に専念していた時代を終え、初の設計製造となった「カワサキ 125 B8」からおなじみのZ1やあこがれのGPZ,Ninjaと名車の数々が並ぶ。


このカワサキワールド、日本では珍しい海事博物館である神戸海洋博物館と共に神戸を訪れるならぜひ立ち寄りたい博物施設である。


