ワイマール文化が花開いた1920年代のベルリンの香りについて。退廃的なオペラの話からノレンドルフ駅近郊のゲイタウン、カバレット(キャバレー cabaret)を巡りつつ、黄金の20年代に思いを馳せてみた。旅の最中に持ち歩いていた女優ロッテ・レーニャの伝記では、けっしてイケメンではなかった夫ワイルへの一生続く愛情と風変わりな夫婦関係、当時のベルリンの狂乱の様相と不幸を冷ややかに享受するレーニャの強烈な少女時代が書き綴られている。なんともスペクタクルな伝記で、それに触発されて書き綴ってみた。
● クルト・ワイルによる『マホガニー市の興亡』
● 再びゲイタウンが形成されたノレンドルフ
● ワイマール的な夜のベルリンを楽しめる場 ヴァリエテ ヴィンターガルデン(Wintergarten Berlin)
● もう一つのカジュアルなヴァリエテ カメレオン劇場(CHAMÄLEON Theater Berlin)
(以前、日経ビジネスオンラインに連載した記事を加筆再編集して掲載しております)
● クルト・ワイルによる『マホガニー市の興亡』
ノレンドルフ駅近郊のゲイタウンや市場、カバレット(キャバレー)を巡っていると、ワイマール文化が花開いた1920年代の香りが甦る。
ちょうどベルリンで見た印象的なオペラはクルト・ワイルによる『マホガニー市の興亡』。オペラの内容はアメリカを流浪する男女の荒くれ者たちが砂漠に風俗街を造るという荒唐無稽な物語である。登場人物も逃亡犯に売春婦、アラスカの無法者。ワイル独特の調子っぱずれでコミカルな音楽は楽しく、劇中で歌われる「アラバマ・ソング」は今でも多くの歌手によってカバーされている。
演出についても厭世(えんせい)や退廃の極致が強調されており、当時の権力者であったナチスには大不評。上演妨害を含めて徹底的に弾圧されたらしい。そして、ワイルは亡命を余儀なくされた。

Opera by Kurt Weill
Première Staatsoper im Schiller Theater
こんなワイルが活躍した時代のドイツでは、アメリカ文化はあこがれの対象であった。第一次大戦とその後のインフレで荒んだドイツにはジャズやダンスが怒濤(どとう)のごとく流れ込んだ。破れかぶれ、来る者拒まず、なんでもござれの当時のベルリンではジャズのみならずあらゆるジャンルの芸術、インモラルな事象までが流れ込み、その文化が爛熟期を迎える。クラシックを主なフィールドとしていたワイルですら、ジャズへのあこがれや影響を隠さない。
一方、経済は混乱し、食べ物を求める暴動は多発。インフレの進行と比例するように、売春の横行や犯罪も増加し、理性そのものが下落していった。モラルは地に落ち ワイルの妻であるロッテ・レーニャもかつて身体を売って身を立てていたことを隠さずにいたと伝記には記されている。これが「黄金の20年代」と言われているワイマール文化の情景であった。目のくらむようなナイトライフ、自由や芸術の開花の裏には最高を記録した失業率、困窮と深い絶望に満ちた世界が存在した。
記事内1「ベルリンよ。冷静になれ。おまえは死神と踊っているぞ」という政府によるプロパガンダポスターが街中に貼られていたのもこの時分のことである。抑制がきかない過剰な娯楽への陶酔、共産主義思想の伝播、ストライキ熱、モラルの限りない欠如に、政府も相当な焦りを感じていたのだろう。

● 再びゲイタウンが形成されたノレンドルフ
この旅の間、逗留していたホテルの隣駅がノレンドルフ駅という地下鉄駅である。中心地からさほど離れていない駅にもかかわらず、夜になると路上のあちらこちらに客引きのお姉さんたちが立っており、当初はちょっと驚いた。また、駅や近辺の建物に虹の横断幕や旗を見かけ不思議な光景となっている。やがてこの街がゲイタウンでもあることがわかり、町の人々が寛容で親切、そしてお洒落なことに合点がいった(虹の旗はときにゲイコミュニティの象徴として使われる)。
ワイマール文化が花開いた1920年代、ヨーロッパ中の同性愛者がベルリンの自由を謳歌しに集まってきた。しかし、ナチスが勢力を得るにつれ、同性愛者は徹底的に弾圧され、この街からもドイツからも一掃させられてしまう。だが戦後その振り子は大きく元に戻り、ナチス時代の反省から同性愛者にも寛容な政策がとられるようになったと言う。

そして現在、再びこのノレンドルフ駅近郊にはゲイタウンが形成されている。自由かつ洒落たこの地域にある広場には、週に2日、大きめの市場が設置される。ここの特色は他の市場にはない変わったお店が多々あることだ。クッキーを焼く際のクッキー型を専門に売っている店、あるいは中国系や韓国系のアジア露天も多く見られ、怪しい商品を格安で販売している。そして、市場の脇では楽しげな曲ばかりを集めた手回しオルガンの大道芸人などもおり、とても華やいだ雰囲気なのだ。
手回しオルガンを聴きながら横のカフェで読書しつつ、ビールをちびちびいただく。そうしてワイマール文化に思いをはせると、古きワイマールの香りがこの街にはまだまだ残っているのかもしれないと感じる。

● ワイマール的な夜のベルリンを楽しめる場 ヴァリエテ ヴィンターガルデン(Wintergarten Berlin)
そんなワイマール的な夜のベルリンを体験できる場がもうひとつある。カバレット(キャバレー)だ。キャバレーと言っても日本のそれとは全く別物である。こちらのキャバレーは寄席やレヴューのようなもので、音楽や演芸を含めた総合的なショーを楽しむ場である。
カバレットは本来風刺色が強く、ドイツ語が堪能でないとちょっと理解するには厳しい。そこでお勧めなのが、カバレットよりも芝居小屋がちょいと大きめのヴァリエテだ。こちらは語学力不要で、見ているだけで十分にショーも雰囲気も楽しめる。
食事やお酒を飲みつつ観劇するというスタイルはカバレットもヴァリエテも同じである。どちらもコンフェランシェという口上役がおり、寸劇やショーを楽しく進行させていく。まさしく、ミュージカル『キャバレー』の本場バージョンである。

カバレット文化は1920年代のベルリンで開花した。ロンドンやパリ(ムーランルージュ)よりも後発のベルリンでキャバレーが発達したのは、来る者拒まずの爛熟の都市だったおかげである。ナチス政権下でも東ドイツの共産政権下でも風刺を武器にしたたかに生き残った。古くはワイルやシェーンベルクが歌を書き、あのミヒャエル・エンデも脚本を書いており、ドイツの大衆文化が結実したものと言える。
実際に訪れてみると、お客さんはクラシックのコンサートよりもややめかし込んでいる様子である。今回予約した席は、舞台がよく見える最前列に近いテーブル5人席。相席になった方々は、友人同士のおじいさんお2人、そして超熱々のベルリンッ子のカップルが向かいに座る。彼らにお勧めのビールを尋ねたことから、ベルリンや他の都市の見所なども教えていただき、先々の旅の貴重な情報源となった。
先方は、「日本人が1人、どうしてこんなところに(笑)」と言わんばかりの顔つきだったが、ドイツ文化への関心度を伝えると、次から次へとお勧めの場所を紹介してくれた。初めて会う人々と談笑できるのもお酒とこういった場がもつ磁力で、素敵である。

訪れたヴァリエテは「ヴィンターガルデン(Wintergarten Berlin)」というお店で、戦前からある。当初の劇場は大戦で焼失して新たに引っ越しをしたようだが、依然として建物に老舗の風格が漂う。本日の演目は『Breakin‘Mozart』。内容は『ウエスト・サイド物語』やらミュージカル『CONTACT』に似たごった煮の愛憎劇で、モーツァルトの音楽をバックに優雅な曲芸で描く。途中、思いもよらず見事な「夜の女王のアリア」をドイツ美人さんが歌われたり、京劇もどきのサーカスがあったり、驚きのクリエイションの連続だった。

構成的にはオフ・ブロードウェイものに近い感じなのだが、アリアやピアノの即興的な弾きっぷりは文化の芳香がかぐわしい。大団円はジュピター終楽章で出演者全員の見事なダンスで幕が降りた。私はちょい涙目。このカバレット文化、かなりハマってしまった。ワイマール的な夜は、感涙の一夜であった。

● もう一つのカジュアルなヴァリエテ カメレオン劇場(CHAMÄLEON Theater Berlin)
もう1軒、小ぶりながら魅力的なヴァリエテがある。旧東ベルリンでアレキサンダープラッツからほど近いところにあるカメレオン劇場(CHAMÄLEON Theater Berlin)がそれである。

こちらも食事やお酒を飲みつつ観劇するというスタイルで、価格はカメレオン劇場のほうが良心的だ。ここではプレツェルをかじりながら1人ビールをいただきつつ観劇をした。装いもラフな人が多く、少々年配のご夫婦とその友人、仕事帰りの女性2人組など、ざっくばらんな雰囲気が居心地よい。食事についても、ワインだけの方、軽い食事を口にする方、様々である。

司会はおらず、寸劇やショーをまかされた劇団が進行していく形で、言ってみれば貸し舞台小屋のようだ。基本的にサーカス劇をおこなうことが多く、台詞は全くないので言葉の壁はウィンターガルデン以上にない。
今回上演されていたのが、カナダのサーカス集団「ピープル・ウォッチング」によるもので、彼らはシルク・ドゥ・ソレイユなどにも参加していた方々らしい。演目タイトルは『Play Dead』、カメレオン劇場のために造られた作品である。

演目にはある程度ストーリーが備わっており、単純にサーカスのアクロバティックな動きを楽しむだけではない。伴奏もクラシックを含めて多種多様であり、深みのある内容だ。
舞台は少し狭く感じるが、この狭さで高所から飛び降りるは、ビュンビュン回るは、人を放り投げるはで、唖然とすること間違いない。今回は前衛的な演劇内容でもあって、ベルリンの雰囲気を感じさせる場面も多かった。

入場料もお酒も適度な価格設定なので、肩肘はらずにリラックスして観劇したい、食事がてら楽しみたいなど、ざっくばらんなスタンスで劇場を覗いてみるのもよいだろう。
