中部地方は日本で最も航空宇宙産業が集積した地域である。三菱重工、川崎重工、SUBARUなどの工場や研究施設が数多く立地し、これらに連なるように航空宇宙関連機器のサプライヤーも集積している。その中には、戦前から航空機産業に関わってきた企業も多い。三菱の零戦(零式艦上戦闘機)もこの地域で初飛行を行っており、現存する日本最古の飛行場もある。このように、中部地方は長らく日本の航空機産業の基盤を担ってきたのである。
○ 岐阜かかみがはら航空宇宙博物館
・博物館概要
・陸軍 三式戦闘機二型「飛燕」
・日本最大級の展示機数を誇る岐阜かかみがはら航空宇宙博物館
○ 三菱重工 大江時計台航空史料室
・史料室概要
・展示概要
・展示内容
○ あいち航空ミュージアム
○ 岐阜かかみがはら航空宇宙博物館
・博物館概要
中部地方の中でも、とりわけ岐阜県には大手航空機メーカーや、そのサプライヤーが数多く立地している。その背景には、1917年に各務原市に国内で2番目となる飛行場が建設されたことが大きい。この飛行場は現在も現役であり、現存する日本最古の飛行場でもある。

昭和初期に活躍した女性パイロット、上仲鈴子も岐阜県の出身である。彼女は1933年、日本人女性パイロットとして初めて東京・大阪間の無着陸飛行(飛行時間3時間42分)を達成した。

博物館の隣には川崎重工業の岐阜工場があり、同社は展示機の提供や寄付などを通じて大きな協力を行っている。そのためか、博物館の規模は大きく、展示機種も幅広い。所沢にある航空発祥記念館と並ぶ、日本を代表する航空博物館の一つである。

<参考記事>
実機がズラリ展示、迫力ある東京近郊の航空博物館 / 科学技術展示館、所沢航空発祥記念館、航空科学博物館と成田空港 空と大地の歴史館
航空宇宙博物館前の広い駐車場から正門をくぐると、早速、ずらりと並んだ大型機が来館者を迎えてくれる。

博物館内に入って最初に目に飛び込んでくるのは、陸軍乙式一型偵察機である。フォルムがたいへん美しい機体であり、川崎重工によって図面から復元製作されたものだという。

この乙式一型偵察機は、フランスのサルムソン2A2を川崎がライセンス生産したもので、川崎にとって初の量産機となった。

このような展示からも、この博物館が川崎重工から大きな支援を受けていることがうかがえる。
・陸軍 三式戦闘機二型「飛燕」
ドイツのダイムラー・ベンツ DB 601エンジンをライセンス生産した川崎ハ140を搭載し、日本陸軍初の液冷エンジン搭載戦闘機となった三式戦闘機「飛燕」。この機体は、川崎重工が丹念にレストアした、現存する世界唯一の実機である。当然ながら、博物館にとっても目玉展示機である。


エンジンはドイツ製のライセンス品である一方、機体そのものは日本独自に設計されたオリジナルである。それが本家ドイツのメッサーシュミット Bf 109Eを上回る性能を示したというのだから驚きである。設計を担当したのは土井武夫である。零戦の設計者である堀越二郎とは東京帝国大学工学部の同期であり、卒業後、堀越は三菱へ、土井は川崎へ進み、それぞれ航空機設計者となった。


この「飛燕」は、新しい技術ゆえに整備が難しいエンジンを搭載していたにもかかわらず、約3,000機が生産された。ある意味では、零戦以上の名機と言えるのではないだろうか。
液冷エンジンには、機体前部を細く設計でき、空気抵抗を減らせるという大きなメリットがある。そのため、従来の日本機と比べても「飛燕」はかなりスリムな機体となっている。その特徴は、小ぶりな計器盤からも感じ取ることができる。

この「飛燕」の修復は、終戦時の状態を残すという方針のもとで行われた。そのため、戦後に施された改造や付加部品、塗装などはあえて取り除かれている。修復作業の過程では、機体の奥から刻印や注意書きなど、多くの痕跡が現れたという。こうした「オリジナルを残す」という考えから、現在でも再塗装は行われていない。塗装によって機体を覆うのではなく、館内の環境を整えることで機体を保存・展示しているのである。



「飛燕」に関する本では、かつて小山進著『あゝ飛燕戦闘隊――少年飛行兵・ニューギニア空戦記』を読んだことがある。しかし、そこでは機体のメンテナンスの難しさについては、特に触れられていなかった。むしろ、エンジンと同じくドイツからのライセンス生産であったマウザー20mm機関砲の威力が強く印象に残っている。そして、「飛燕はエンジン不調によって稼働率が低かった」という、よく耳にする話とは異なり、連日のように飛び立っていた様子が描かれている。さらに、機体性能も米国機と互角以上であったとされており、「飛燕」の優れた性能を実感させる内容であった。
・日本最大級の展示機数を誇る岐阜かかみがはら航空宇宙博物館
この博物館の凄いところは、何といっても充実した実機展示である。大型機を含めて50機以上の機体が展示されており、航空博物館好きなら一度は訪れたい施設である。

巨大な機体も多く、広い展示室では大型機を存分に眺めることができる。また、実験機の展示も多い。キャプションには、それぞれの実験機の目的や技術的な原理が具体的に記載されており、展示機を通して日本の航空技術開発史を読み取ることができる。


例えば、実験用飛行艇 UF-XSのキャプションには、「溝形波消装置」の説明がある。

これは、着水時に生じる波しぶきを溝に導いて放出することで、機体やプロペラへのダメージを防ぐ技術である。この仕組みを覚えておいて屋外のUS-1A救難飛行艇を見ると、同じように溝形波消装置が装備されていることがわかる。


このように、簡潔ながら各航空機の技術的な特徴を説明するキャプションが付されているのがありがたい。
こうした展示方法は、博物館内の他のブースにも共通している。宇宙エリアはやや総花的ではあるものの、「はやぶさ」などについての詳細な説明は興味深い。操縦シミュレーションも大型機や小型機などいくつも取りそろえられており、展示による知識と体験の両面から航空技術の粋を学ぶことができる。


○ 三菱重工 大江時計台航空史料室
・史料室概要
かかみがはら航空宇宙博物館では、川崎重工の航空事業史を実機を交えて知ることができた。一方、こちらの大江時計台航空史料室では、三菱重工の航空事業史を学ぶことができる。工場の付帯施設なので小規模かと思いきや、建物も大きく、展示資料も膨大で、見どころ満載であった。
史料室では、航空機・発動機に関する「事実と組織の変遷」「設計技術」「生産技術」を軸として、技術の黎明期である大正期から、第二次世界大戦終戦後の整理期にあたる昭和20年代までを対象としている。

展示のメインとなるのは、零戦と秋水の復元機である。しかし、それだけではない。数多くの史料や映像によって、三菱の航空事業の歴史をつぶさにたどることができる。例えば、三菱と言えば星形エンジンであるが、戦前はライセンスにより液冷エンジンをまず手がけたことをこちらで初めて知った。
建物は1937年に総合事務所として竣工し、通称「時計台」と呼ばれていたそうだ。戦前から残る歴史ある建物であり、エントランスなどもたいへん趣がある。


なお、見学にはいくつか注意点がある。事前申込み制で、年齢制限もあり、写真撮影も不可である。また、開館日は週3日に限られる。名古屋市内ではあるものの、交通の便もあまりよくないため、訪問前には史料室のホームページを必ず確認したい。
・展示概要
展示のコンセプトは、現存する一次史料をもとに史実にのっとった展示を行うことであり、かなり硬派な内容となっている。そのため、展示室に入ってすぐの模型展示を除けば、展示の中心はパネルによる説明と原本史料である。展示室は、見る人によってはやや殺風景に感じられるかもしれない。


各展示ブースのあらましは以下である。
01 エントランス
02 プロローグ
03 三菱の航空機事業における事業変革と組織改革の歴史
〜始まりはエンジンから〜
04 三菱における航空機開発と製造の歴史
〜初飛行から終戦までの軌跡〜
05 外国技術が三菱航空機及び発動機に与えた影響
〜技術の世界的動向と海外技術に依存した時代〜
06 国家主導による国内技術独立への道
〜国内技術の育成と技術独立のために苦心した期間〜
07 航空機の開発プロセスと各組織の役割
〜開発の状況と設計手法の進捗〜
08 航空機製造における生産技術の役割
〜急な生産拡大への取り組み〜
09 空冷発動機への選択と集中
〜本質を見抜く力と決断する勇気〜
10 零式艦上戦闘機 局地戦闘機「秋水」
〜実機を見つめて〜
11 零式艦上戦闘機・局地戦闘機「秋水」
〜ものづくりに触れて〜

・展示内容
入場するとタブレットが手渡され、これが展示を補足するガイドとなる。

文字が小さいので読みにくくはあるが、ページ数も多くて充実した内容である。さらに、PDF形式の添付資料も豊富である。写真や解説書は拡大して見ることもできるため、細部まで内容を確認することができた。

なかでも、「航空機技術の世界的動向と三菱の状況」と「発動機技術の世界的動向と三菱の状況」という二つの説明表は、日本の航空史そのものともいえる内容であった。史料室内は撮影禁止であるため、これらについてはタブレットの画面を写真に収めておいた。


広い2階の展示室を見学した後は、1階の実機展示室へ向かう。ここには、零式艦上戦闘機「零戦」と、日本初のロケットエンジンを搭載した局地戦闘機「秋水」の復元機が展示されている。

零戦の復元機は、他所で展示されているものと比べても外装が滑らかで、仕上げが丁寧な印象を受ける。この機体は、1983年にヤップ島から回収されたものだという。
一方、秋水は、1961年に横浜市の日本飛行機の工場で発掘された胴体の一部をもとに復元されたものである。現存する実機はアメリカにある一機のみであり、極めて珍しい機体である。
○ あいち航空ミュージアム

あいち航空ミュージアムは、愛知が航空機産業のメッカであることを象徴する施設である。この施設は航空機産業の人材育成や産業観光をも目的としている。
以前は、三菱重工業が開発していた国産初の小型ジェット旅客機「MRJ」の工場見学がここから可能であり、MRJミュージアムも併設されていた。そのため、以前からぜひ訪れたいと思っていた博物館であった。しかし、MRJ開発の頓挫によって閉館してしまった。ただし、近いうちにMRJ/スペースジェットの実機が「あいち航空ミュージアム」に追加展示されるらしい。訪問時は、その準備も含めて改装中であった。

ただし、映像上映やパネル展示は見学可能であり、訪れた際には「あいち航空の歴史」という3D映像を堪能した。また、YS-11やブルーインパルスについての詳細なパネル解説も印象深いものであった。


浜松基地で発生したブルーインパルスの墜落事故について、詳細な説明がなされていたことも印象的であった。
また、エントランスブースのショーケースに展示された、1/25スケールの精緻な模型群にも見とれてしまった。非常に精巧な名機の数々が展示されている。しかもスケールが統一されているため、機体ごとの翼面積やフォルムの違いまで瞬時に見て取ることができ、たいへん興味深い。


さらに、飛行艇の模型もいくつも展示されており、私はここで初めて日本の飛行艇の歴史を知った。




これらの日本の飛行艇の完成年を並べて見ると、短期間に急ピッチで開発が続けられていたことがわかる。機体の形態を比較しても、技術の進歩が著しかったことが見て取れる。



