前回からの続き。ベルリンでオートバイをレンタルし、旧東ドイツ(DDR)圏のロングツーリング中、本日はワイマール / ヴァイマル(Weimar)目指す。
せっかくテューリンゲンの森(Thüringer Wald)にいるので、森林内を横断してアイゼナハ(Eisenach)の ヴァルトブルク城 / ワルトブルク城(Die Wartburg)や旧BMWアイゼナハ工場(Team Automotive Museum Eisenach e.V. )に立ち寄る。
● テューリンゲンの森をバイクで走る
● ワルトブルク城でワーグナー気分の予定が
● 旧BMWアイゼナハ工場でBMWオートバイを歴史を見直す
本日の行程、宿泊したバウハウス建築のホテル 『ハウス・デス・フォルケス(Haus des Volkes)のあるプロプストツェラ(Probstzella) からアイゼナハ(Eisenach)まではテューリンゲンの森の中の田舎道をひたすら走る。アイゼナハ見学後は高速道路のA4で一気にワイマール(Weimar)へ。
● テューリンゲンの森をバイクで走る
ハウス・デス・フォルケスでの朝、バウハウスのパネルに囲まれたビュッフェ用の部屋にて朝食をいただく。他の客がおらず自分だけのために軽いバイキングを用意してくれたようだ、たいへん恐縮する。このホテルでは、いたるところにバウハウス建築への愛情が感じられる。前日のステファンさんとの語らいも手伝って、バウハウスを知るには、とにかく至れり尽くせりの滞在であった。
そして、ホテルのあるプロプストツェラ(Probstzella)を出発。近代と古きドイツが混在する景色も名残惜しい。ホテルの駐車場から眺める景色にしみじみ。
午前中は敢えてアウトバーンを走らず、山道を通ってアイゼナハへ。この区間はワーグナーのオペラ「タンホイザー」の舞台となったテューリンゲンの森にあたる。風光明媚と思われる道を事前に地図から選び、森の奥深くを走り回る。時折、鉄道と並走したり、鉄道の石橋をくぐったりと、鉄道が景色に華を添えている。道路の舗装状態もよく、コーナーを走り抜ける快感がある。途中、この見事なワインディングロードを持ち上げ、ドライブやツーリングを奨励する観光看板があった。
6月だと言うのに、雨具の下にセーターを着ても朝は寒い、しかし、空いた道を軽快に走れるので気分が良い。道路は整備され、左右は深い森。林を抜けたら新たな町、丘を越えたら教会の尖塔が見えて小さな村、という紙芝居のような道で、ワクワクする。目眩く景色の変容が楽しい。どうもクラシックカーの集まりがあるようで、次々と名車とすれ違った。
● ヴァルトブルク城 / ワルトブルク城でワーグナー気分の予定が
アイゼナハに着いてワルトブルク城(Die Wartburg)へ、ここもワーグナーのオペラ「タンホイザー」の舞台になった場所。案内看板に従い、 オートバイを バイク駐車スペースに停めるが、城まで徒歩でかなり距離がありそうな場所。坂道の急な階段を昇っていくと息を切らせたライダーに何人も出会う(笑)。そして、ワルトブルク城に到着しての印象は、かなり小綺麗な所だなぁ、と。
ワルトブルク城では1207年に中世の騎士文化である歌合戦があり、ワーグナーはこの歌合戦を基にオペラ「タンホイザー」を作曲した。もう一つ歴史的な出来事としては、破門されたマルティン・ルターが新約聖書をドイツ語に翻訳したのがワルトブルク城で、言わば「宗教改革」発信源。
ただ、そんな感傷にひたるような雰囲気ではない。観光地化が著しく、駐車場から博物館までと何から何までお金をとられ、城内には食堂もたくさんあるので、ちょっと興をそがれた感じがする。旧東ドイツは急速に発展した為、これは悪い一例かもしれない。
● 旧BMWアイゼナハ工場でBMWオートバイを歴史を見直す
次に向かったのは旧BMWアイゼナハ工場(Team Automotive Museum Eisenach e.V. / Automobilbau Museum Eisenach eingetragener Verein)。ここは戦後のドイツ分断で数奇な運命をたどった元BMWの博物館。BMWは西ドイツ側が商標権を主張したので、東側は改名しアイゼナハー・モトーレンヴェルク(EMW-Eisenacher Motorenwerk)になった。
トレードマークのプロペラとバイエルン・ブルーのアイコンはBMWの青地部分をソビエトレッドに変更した。ツァイスなど他の名門企業は分断時に各々の国で工場などが分断され、同様の問題が起きたらしい。同社はその後AWEと社名を更に変更し、現在はオペルの傘下に入ったようだ。車のアイコンを見ているだけでも同社の歴史がわかり、展示品からも高い技術力をもった会社であることがわかる。
BMWと言えば、まずはオートバイと航空機エンジンである。R35オートバイは1937年に大ヒットした。当時にして最高時速100Kmの高性能オートバイは着目され、R75として軍用に改良される。そのR75オートバイは装甲仕様のサイドカーが付き、3人の兵士とマシンガンを運搬できる。更にキューベルワーゲン(フォルクスワーゲン・ビートルと同じシャーシ(車体基礎枠)を使った小型軍用車)と同じタイヤを用いている。これだけの重量に耐えうるのだから如何にBMWのエンジンが優れていたかがわかる。
オートバイながらサイドカー付を前提として設計され、そのサイドカーの車輪も駆動する。言わば二輪駆動のオートバイであり、タイヤは自動車と同じもの、不整地走破性能は抜群であった。このR75がここBMWのアイゼナハ工場で製造されていた。
1945年のドイツ敗戦後、EMWアイゼナハ工場はすぐにBMW旧モデルの自動車321と327、オートバイR35の再生産を開始し、しばらく戦前のBMW旧車が東側では流通することになる。(次回に続く)