ハーレーダビッドソン エレグラで走るオレゴンとカリフォルニア 5 / フッドリバーの一世たち リンダ タムラ著 を読む

ハーレーダビッドソン エレグラで走るオレゴンとカリフォルニア 5 / フッドリバーの一世たち リンダ タムラ著 を読む

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前回から続く)横浜にある海外移住資料館(Japanese Overseas Migration Museum)のおかげで、日系アメリカ移民の歴史を俯瞰することができた。しかし、米国に移住した日系移民1世の詳細を知ることは極めて困難な状況にある。前回に記した通り、太平洋戦争勃発により、日系人たちは急遽、着の身着のままに近い形で収容所に送られることになったからだ。その際、日系人の記録はほとんど失わなれてしまった。連行される過程で、携行品の所持が許されなく泣く泣く廃棄したものもあった。また、連行時にスパイ容疑をかけられることを恐れて、官憲の目にとまる前に処分した写真や手紙などもあったと言う。
こうした資料が枯渇している中で、アメリカに移住した日系人1世へのインタヴューを記録した書籍に出会った。タイトルは『フッドリバーの一世たち』、まさしくツーリングの途中で立ち寄った、その町であった。
『フッドリバーの一世たち―アメリカ・オレゴン州フッドリバーに入植した日本人移民の肉声による歴史』 リンダ タムラ著 を読む
移民1世の悲喜こもごも
フッドリバーの日系人

● 『フッドリバーの一世たち―アメリカ・オレゴン州フッドリバーに入植した日本人移民の肉声による歴史』 リンダ タムラ著 を読む

この本の「序」によると出版目的は以下とある。
①口承による日系移民1世たちの体験談を残すこと
②困窮、差別、戦中の迫害を味わった1世の記録とすること
③フッドリバー日系人コミュニティの発展史を残すこと

研究の一環としてしたためられた本なので、複数の聞き取り対象者から詳細にヒアリングをおこなっており、描写も正確である。それ故迫力満点の日系移民達の渡航記、体験記として読むことができる。

実際、この本によるとアメリカへの移住を決意した者は、まずは渡米前のプロセスで苦労を強いられている。そして、渡米後に待ち受けていたのは重い労働や人種差別であった。また、日本人女性にとっての米国移住生活は男性以上に過酷であった。農作業に加えて家事、更には威張る男性への追従と、あまりの生活の厳しさに我慢ならなかった女性も多い。
こういった日系移民1世から直に聞く苦労話は初めて耳にするものであり、これらの話が見事に横浜の海外移住資料館の展示内容と呼応している。

フッドリバーの町の前を流れるコロンビア川 @Hood River
フッドリバーの町の前を流れるコロンビア川 @Hood River

移民の第1世代の方々は既に多くが亡くなってしまっている。1880代から日本からの渡航が始まったが、米国が日本からの移民を1924年に禁じて、移民の歴史は途絶えた。その為、生存している日系1世はとても少ない。また、太平洋戦争によって1942年に定住地から収容所に日系移民たちが強制転居させられた際に、移民1世の記録の大半が失われた。そもそも1世たちは困窮した生活であり記録も充分にとっていた訳ではなかった為、この強制移住による記録の喪失は大きなものだった。

この記録の少ない中から、かろうじて口述を書きとめたものがこの書籍であり、たいへん貴重なものだ。そして、昔のこととは言え、インタヴューされた方々の饒舌なことに驚く。とにかく細かなことまで良く覚えているし、事細かに説明をしてくれている。翻訳が優れていることも手伝って、目の前に当人たちがいるかのように感じながら読むことができた。

● 移民1世の悲喜こもごも

バラ色の米国生活を夢見て渡米と思いきや、移民の苦労は出発前から既に始まっていた。出港前に身体検査がある。出国時に検査で寄生虫などの病が発見され、健康面で出鼻をくじかれことが大半であった。農家出身の彼女たちは日常的に下肥を用いていた為に、寄生虫感染は一般的だったらしい。これが治癒するまで出国はできず、港町で留め置かれることになる。

そして、やっと乗船しても、その後は2週間の辛く過酷な船内生活が待っている。船酔いと慣れないパン食とで、相当苦しんだらしい。そして、もちろん部屋は船倉のたこべや暮らしである。若い女性にはさぞ辛かったことだろう。

渡航者たちの荷物 @横浜 移住資料館
渡航者たちの荷物 @横浜 移住資料館

アメリカにやっと到着しても、今度は移民センターで勾留される。再度の身体検査で引っかかる為だ。この移民センターは建物も食べ物も酷いところであった。窓には鉄格子があり刑務所のようであり、場所はシアトルなので冬場はとても寒かっただろう。ここでは身体検査と称して投薬を受けて4週間もこの劣悪な環境下にいなくてはならなかった。しかしながら、4週間を経ると、その後は検査もなく解放されたそうだ。なんともいい加減で気の抜ける話だ。

このアメリカ到着で、もっとも泣き笑いが生じるのが写真見合いをした人々であった。写真花嫁たちはここで初めて生涯の伴侶と直に出会う。しかし、写真と当人をずっと見比べる女性が多くいる。その内何人かは目に涙を浮かべていたと言う。それほど結婚相手となる男性は写真と異なる人物だったのだ。渡米1世の男子は既に中年にさしかかっているので、若い頃の写真や友人の写真を日本に送った者もいると言う。写真花嫁は1912-1920年の間に6988人が渡米した。幸せになった写真花嫁はどれくらいいたのだろう。

結婚生活も楽ではない。当時の日本男性であるから価値観は古く、ドメスティック・バイオレンスなども絶えない家庭もあったようだ。男尊女卑の当時の日本人社会の風習は米国の地でも、そのまま受け継がれ、農作業も女性のほうが重労働だったというケースもあった。

● フッドリバーの日系人の暮らし向き

当初の日系移民はハワイ移民局がサトウキビ畑労働者4万人以上スカウトしたことから始まるが、次第に労働条件がよい西海岸へと、ハワイ経由で本土にわたるようになる。フッドリバーでも日本人の移住が進み、その1世の半分は広島、岡山の出身と西日本出身者が多かったようだ。これは全国的にその傾向があり、横浜の移住資料館の展示パネルもそのことを示している。

移住者出身地を示すパネル @横浜 移住資料館
移住者出身地を示すパネル @横浜 移住資料館

また、フッドリバーの日系移民たちもご多分に漏れず皆が3~5年で金持ちになって帰国するつもりであった。彼らのほとんどが農家の次男坊であった為、家督相続(長男が相続を独り占めする)が普通であった当時は、土地を得る為には海外移住はやむを得ぬ手段でもあった。

日系移民達にとってアメリカでの暮らしは苦しく困難の日々であったことは充分すぎるくらい理解できる。しかし、近代的な街並みや電車に驚き、近くのアダムス山を富士山に見立てたとの記述もある(なぜか付近最高峰のマウントフッドは登場しない)。確かに苦労のほうが多かったに違いないが、日本の田舎から来た者には懐かしさと共に近未来を垣間見た気分もあっただろう。

但し、異国の地に住居を構えても酷い生活は続く。井戸を含めてネズミだらけで家も納屋もネズミの糞だらけだったとの記述がある。そして、初めての苺の栽培などを手がけ、徐々に日系人たちはフッドリバーの地を開拓していく。

ちなみに日系人は農作業ばかりに従事していた訳ではない。1882年に中国人排斥法が発布され、大陸横断鉄道の建設の最中であったことから、日本人移民が中国人移民の肩代わりをするようになった。しかしながら鉄道労働者は低賃金の上に食事は劣悪、仕事の傍ら兎を狩って食べ、鉄道に轢かれた牛はご馳走だったそうだ。わざと牛を線路に誘導して轢かせたりもしたとの記述もある。この時代の米国日系人の1/3が鉄道労働者であった。つまり米国の大陸横断鉄道は日本人の手によるものでもあったのである。

1890年頃のフッドリバー(『フッドリバーの一世たち』より)
1890年頃のフッドリバー(『フッドリバーの一世たち』より)

この時(1910年)フッドリバーには468名の日本人がいた。これはオレゴン州の日本人の14%にあたりフッドリバー内の5.84%が日本人であった。そして、1913年以降になると、外国人の土地所有を禁じる「外国人土地法」が各州で相次いで制定される。法律文に日系移民がターゲットと明記はされていないものの、日本人の増加を止める目的があったことから、この法律は「排日土地法」とも呼ばれた。

この日本人排斥の高まりの背景には、日本人は日曜も働くので農地は拡大し、経済的にも成功していることがあった。当時の状況を示す興味深いインタヴューが記載されている。経済観念の高い日本人は、土地を買う際に分割払いでは高くつくので、貯め込んだお金で一気に土地を買ったらしい。この現金払いがよくなかった。まとまった現金を持っていると現地のアメリカ人には勘ぐられ、日本人が土地を買い占めるのではないかと恐怖心すら与えた。

但し、日系人1世はこの法律の網をくぐる為に、土地を日系2世に買わせてしのぐ方法を編み出す。1924年に連邦議会で新たな移民割当法が制定される。これは1890年の国勢調査時にアメリカに住んでいた各国出身者数を基準にしている為、アジアや東ヨーロッパの移民を事実上排除する目的があった。特にアジア系の中で多かった日本人は締め出しの対象となり、日本では「排日移民法」と言われた。これによって日本からの新たな移民は不可能になったものの、若い既婚者の多い日本人は人口を増やし続ける。 1930年 フッドリバーには514人もの日本人がいた。

そして、このフッドリバーの日系1世から初めて生まれた子供が、後に日本とアメリカとで大旋風をおこす人物になる。(次回に続く)

アメリカ / オレゴン

<詳細情報>
海外移住資料館
神奈川県横浜市中区新港2丁目3−1 JICA横浜 2階

・書籍『フッドリバーの一世たちーアメリカ・オレゴン州フッドリバーに入植した日本人移民の肉声による歴史』 リンダ タムラ著
(The Hood River Issei: An Oral History of Japanese Settlers in Oregon’s Hood River Valley Linda Tamura)