スコットランドの魅力を、旅、酒、食といった様々な切り口から紹介するシリーズの第3弾。
前回、アイオナ島ならではの心温まるもてなしとアーガイルホテルでの快適な滞在を満喫した。しかし、アイオナ島の魅力はそれだけではない。
アイオナ島は、英国北部にキリスト教が伝播する起点となった地として有名であり、現在でも巡礼地としてたくさんの人々が訪れる。島の人口は約200人、全長5キロメートル程度の細長く小さな島でありながら、立派なアイオナ修道院(Iona Abbey / Monastery of Iona / Iona Abbey and Nunnery)やケルト十字を含めた史跡が美しい自然の中に数多く残されている。
また、付近にはメンデルスゾーンがその景観に感銘を受け、曲名のタイトルにもなった『フィンガルの洞窟』を擁するスタファ島(Staffa)もある。
● アイオナ島の史跡散策~アイオナ修道院~
● ダブリン トリニティ・カレッジの『ケルズの書』
● スタファ島の『フィンガルの洞窟』へ
● アイラ島への渡島準備をターバート(Tarbert)にて
● アイオナ島の史跡散策~アイオナ修道院~
アイオナ島はヘブリディーズ諸島でもっとも大きな島であるマル島がお隣にある。その一方でアイオナ島自身は長さ6km弱で人口も200人に満たない小さな島である。しかしながら、世界各地から多くの人が訪れる、その理由は島の中ほどにアイオナ修道院があるからである。
このアイオナ修道院は、アイルランドを追われ同地にたどり着いた聖コロンバが563 年に設立した由緒ある修道院である。そして、この小さな島の修道院が起点となり、スコットランドでのケルト系キリスト教布教が始まった。今では、この修道院はスコットランドの歴史的遺産になっており、アイオナ島のシンボルとなっている。
現在の修道院建物は19世紀に修復されたもので、そもそも聖コロンバが建てたものは木造であった。これは相次ぐバイキングの襲撃で消失している。その後、ベネディクト派の修道院として再建され、今に至った。
しかし、修道院建物に比べ、周囲にあるハイクロス(ケルト十字)は古くからのものが残っており、8世紀のものとされている。修道院に向かって手前にあるハイクロスは聖マーティンの十字架(St. Martin’s Cross) である。この聖マーティンの十字架は英国内でも特に保存状態が良いと言われている。一方、修道院前のハイクロスは、聖ヨハネの十字架(St. John’s Cross)で、こちらは精巧なレプリカである。こちらのハイクロスのオリジナルは修復されて博物館内に展示されている。
修道院の内部には回廊もあり、建物に施された装飾も美しい。
そして、この修道院にはマクベスなどスコットランドの初期の王たちの多くが眠っている。
また、付近には12世紀に建てられた聖オラン礼拝堂(St Oran’s Chapel)があり、周囲は墓地となっており、初期のスコットランド王や地元の方が眠っている。尚、古い墓標の多くは修道院の博物館に移設し展示されている。
また、その更に先には同じく12世紀に建てられた女子修道院の廃墟(Iona Nunnery)もある。こうした島の平原に点在する数々の史跡は島自体に荘厳な雰囲気を与えている。
● ダブリン トリニティ・カレッジの『ケルズの書』
アイオナ島を訪ねた数年後に、アイルランドの旅をした。そのアイルランドのダブリン大学 トリニティ・カレッジ博物館が所蔵している『ケルズの書』は、このアイオナ修道院で書かれたと言われている。
『ケルズの書』とは8世紀に羊の革に手で書かれた聖書の写本で「世界で最も美しい本」と呼ばれている。この至宝をダブリンを訪ねた際についに見ることができた。今回のアイオナ修道院訪問体験があったので、数年後にアイルランドを訪れた際の一番の関心事はこの『ケルズの書』であった。
少々薄暗い部屋で見る『ケルズの書』の見事な絵柄と色鮮やかさに目を奪われた。この写本を見た直後に目の前に現れるトリニティカレッジの図書館もこれまた見事で、厳かに並ぶ古い書籍とともに驚かされた。
この美しい写本を見る為には、トリニティカレッジの図書館の見学ツァーに参加する必要がある。当然ながら大人気であるが、驚いたことに朝8時30分開始のツアーがある。美術館は10時オープンのところが多いので異例の早さであり、この朝一の見学ツアーに申し込んだ。おかげで、参加者も少ないツアーとなり、写本も図書館もゆっくり眺めることができた。
この『ケルズの書』やアイオナ島に関心をお持ちの方には、アニメ映画『ブレンダンとケルズの秘密』がお薦めである。この時代のケルトを取り巻く雰囲気や当時のバイキングが如何に恐ろしい存在であったかを、雄弁なビジュアルかつ詩的な語り口で知ることができる冒険譚である。
● スタファ島の『フィンガルの洞窟』へ
アイオナ島を散策した翌日は念願のスタファ島に行けることになった。宿泊したアーガイルホテルに相談をしてみたところ、その場で電話をしてくださりスタファ島への遊覧ツアーの予約を入れてくれた。この島の訪問のお目当ては、岸壁にある『フィンガルの洞窟』である。
部屋の窓よりマル島から登る朝日を楽しみつつ早起きをし、アーガイルホテルのスコティッシュブレックファーストをのんびりいただいた。食材がよいだけに朝ご飯も今までの旅の中でピカ一の味わいだ。
スタファ島へは往復で3時間あまり要し、小さな船で行くことになる。乗ってみると海は凪いでいるが、船が小さいものだから相応に揺れる。船酔いは大丈夫かなと不安になるも、他の乗客も上機嫌であり、あまり船は揺れず杞憂におわった。但し、地元の方々が口々に言うには10月でこの穏やかな好天は珍しい、とのことだ。今回のスコットランドの道中、エジンバラからずっと好天に恵まれていたことは、とても珍しく幸運なようである。
スタファ島に近づくと早速岸壁の「フィンガルの洞窟」が見えてくる。海が穏やかなのでまずは船で洞窟に入ってくれた。悪天候だと島に近づくことすらできないらしいので、船での洞窟アプローチもかなり幸運だったようだ。ツアーで隣に座られた親切な老夫婦は4年ぶりにスタファ島を来訪したようで、前回は上陸できなかったと言っていた。
その後、運良く島にも上陸ができた。そして、今度は徒歩で「フィンガルの洞窟」内に入る。アプローチは、船着き場から5分ほどワイヤーをつかみながら岸壁を歩いてたどり着く、ちょっとした冒険気分になる道。
『フィンガルの洞窟』は六角柱の石で形成されている。メンデルスゾーンがこの洞窟に触発されて序曲『ヘブリディーズ諸島 (フィンガルの洞窟)』を作曲した。
洞窟は天然の造作ながら実に荘厳。そして、伝え聞いていた通り波の反響する独特のこだまは少々不気味である。その昔レコードでフルトヴェングラーの指揮する同曲を初めて聴き、あまりに深い響きに感動し、この洞窟の妄想が頭の中にできてしまい、以来ずっと気になっていただけに感無量であった。
そして、洞窟から戻り島の高台に昇ると美しい緑の平原と陽光が射す海面、カモメ、彼方にスコットランドの山々と絶景が見えた。この島は無人島なので、季節がよければ嘴の美しい鳥パフィン(Puffin)なんかも近くで見られると言う。島の岸壁は文字通り切り立っている、一方、陸地は真っ平らと日本ではあまり観ぬ島の姿も印象的だ。
全長500mほどの小さな島ながら、景色に見とれているとあっという間に時間が経ってしまい船の出発時刻となった。ツアー帰りは皆で仲良く防寒対策をして船に揺られての帰路となった。
● アイラ島への渡島準備をターバート(Tarbert)にて
スタファ島から戻ると、午後は翌日の目的地アイラ島に少しでも近づくべく出発する。マル島端のフェリーターミナル クレイグニュア(Craignure)から再びフェリーに載せてもらいスコットランド本土のオーバン(Oban)へ渡る。とにかく、この辺りの旅は船に乗らないと始まらない。
翌日のアイラ島行きのフェリーに乗る為にはケナクレイグ(Kennacraig)と言う町まで陸路で向かう必要がある。出発は早朝なので、フェリー乗り場付近に手頃な素泊まり宿が見つかればよいなぁ、と走っていると、少し手前でターバート(Tarbert)という小さな港町に行き合った。
そろりそろりと車で港を走らせると、パブにはやたら人が入っているが客室はガラガラそうな古いホテル「Frigate Hotel」が目に入る。覗いてみるとパブを切り盛りしつつの愛想のいいお兄さんが一人で客室も切り盛りしているようだ。
「一人あたり朝食なし£20でどうだい?」と提示される。安価な価格なので部屋を見せてもらうと、寂れ感が半端ない。ただ、お兄さんも親切そうなのでここに決める。部屋に入ると、案の定シャワーが故障していたので、別の部屋に交換してくれたが、トリプルの部屋にアップグレードとなった。ボロ宿だが暖かみのあるスタッフで、ちょっと昔のバックパッカー時代の旅行を思い出した。
荷物を部屋に置き、せっかくだからシーフードでも食べようとレストラン探しへ出かけると、お城の表示がある。坂を登っていくと、保存状態もまずまずのターバート城(Royal Castle of Tarbert)と、その向こうに海と絶景の夕方。周囲には野ウサギと山羊がたくさんいて、これまたのどかな景色であった。
レストランもシーフードたっぷりのチャウダーをいただき、予想外に身も心も満足な港町の夕べとなった。