ハーレーダビッドソン エレグラで走るオレゴンとカリフォルニア 6 / 日系レスラーの不敵な笑み 『悪役レスラーは笑う』森 達也著を読む

ハーレーダビッドソン エレグラで走るオレゴンとカリフォルニア 6 / 日系レスラーの不敵な笑み 『悪役レスラーは笑う』森 達也著を読む

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前回から続く)横浜にある海外移住資料館(Japanese Overseas Migration Museum)で、日系アメリカ移民の歴史を俯瞰して学び、書籍『フッドリバーの一世たち―アメリカ・オレゴン州フッドリバーに入植した日本人移民の肉声による歴史』から、アメリカに移住した日系移民1世のインタヴューから当時の厳しい暮らし向きを知ることになった。
その過酷なフッドリバーの一世たちの中で最初に生まれた2世が、後に日米でとびっきりの有名人となったことはあまり知られていない。その名を「グレート東郷」と言い、アメリカでは悪役レスラーで名を馳せ、日本においては力道山と共に日本のプロレスを窮地から救った名プロモーターでその人である。このグレート東郷については、書籍『日系レスラーの不敵な笑み 悪役レスラーは笑う』に詳しい。
ツーリングの途中で立ち寄った小さな町を調べていたら、このような驚きの展開になって自分でも驚いている。

『悪役レスラーは笑う』にみる日系プロレスラーの生い立ち
ビジネスセンスも抜群だったグレート東郷
日系アメリカ人2世の心情と不敵な笑み
現在も活躍する日系人 ~Ikeda’s~

● 『悪役レスラーは笑う』にみる日系プロレスラーの生い立ち

グレート東郷(Great Togo)の生い立ちを知る為に手に取ったが、内容には脱線が多く、グレート東郷以外のプロレス史的な要素も多い本であった。しかし、読み進めていくと、力道山らが活躍した日本のプロレスの黎明期の状況はグレート東郷の立ち位置や彼の人生を知る上で、必須の知識であった。また、フッドリバー出身者の大半がこのグレート東郷ような高名になった訳ではないが、アメリカ移民2世の境遇やフッドリバー出身者の一例として読むとたいへん興味深い。

グレート東郷はオレゴンの片田舎フッドリバーで、日系移民1世の元 ジョージ・カズオ・オカムラとして生まれた。書籍『フッドリバーの一世たち』によると、この界隈で初めて1世から生まれた日系2世であったらしい。彼は15歳(12歳とも)になるとサンフランシスコの日系移民が営むクリーニング店で下働きとして勤めるようになる。しかし、やがて日本による真珠湾攻撃があり、日系アメリカ人は強制的に収容所に送られてしまう。

リングの上のグレート東郷
リングの上のグレート東郷

戦後は収容所から解放され、日系アメリカ人であることを隠し、東京出身の日本人プロレスラーとしてリングデビュー。神風と書かれた日の丸鉢巻に派手な着物衣装、時には凶器として用いる高下駄姿でリングに登場する。戦うスタイルは、相手にお辞儀や命乞いをして油断をさせて反則技をくりだす、とても卑怯なヒール役。戦後のデリケートな時代に、このパフォーマンスは日系アメリカ人からも反発をかったらしい。
しかしながら、彼の登場する興行は大ヒットの連続。卑劣なジャップ役として集客力は抜群であり、そのおかげもあって彼は稼ぎまくった。金のためとは言え、アメリカ人からも日本人同胞からも憎まれる立ち位置に自らを投じたグレート東郷の心境は如何なるものだったのだろうか。

● ビジネスセンスも抜群だったグレート東郷

白人レスラーたちは、この憎きジャップをリング上ではとことん叩きのめした。しかし、リング外ではこぞってグレート東郷と契約を結びたがり、東郷からの依頼には”Yes, sir!”と直立不動で応じていたと言う。一方、観客からは本当に憎まれたらしく、駐車場の車は傷つけられ、時には銃で襲われたりと命がけの仕事でもあった。

こうして成功者となったグレート東郷は日本のプロレスにも大きく貢献する。力道山のパートナーとして、日本に多くの外国人レスラーを紹介し、その橋渡し役にもなり、リングに立つこともあった。
普段は尊大な力道山であったが、グレート東郷に対してだけは慕っており、とても敬って接していたようだ。力道山はビジネスパートナーとしてグレート東郷に接し、先の海外レスラーのブッキングを依頼したり、ジャイアント馬場を含めた弟子たちをアメリカに送って育成をも頼んでいる。そして、力道山自らも新婚旅行の際にはロサンゼルスにあるグレート東郷の大豪邸に泊めてもらうような仲であった。

独特のスタイルでリングに登場するグレート東郷

しかし、力道山が亡くなり、グレート東郷は日本でのプロモーター業が立ちゆかなくなる。いざこざが絶えず、その結果日本のプロレスから彼は放逐されてしまう。この時の日本のプロレス業界からのグレート東郷への評価や噂が払拭されず、彼には未だに悪いイメージがつきまとっている。

「守銭奴、情けのない人間、売国奴」とにかく金に汚く狡猾との悪評だらけである。力道山からグレート東郷の元に派遣され、アメリカで修業時代を送ったジャイアント馬場。マネージャーを東郷に担当してもらいながらも、馬場の愚痴の内容は病的なほどの倹約ぶりであったと罵倒に近い内容である。

● 日系アメリカ人2世の心情と不敵な笑み

しかし、先の『フッドリバーの一世たち』を読み、出自や日系人の生活の苦労や収容所生活を知ると、この悪評に対して疑問が生じてくる。また、仲間意識や村社会的な馴れ合いによって成立する日本のビジネススタイル、それと米国社会でたたき上げビジネス感覚を養ってきたグレート東郷との間には相剋が生じるのは理解のできる展開でもある。

日本では、ビジネスライクに徹した彼の姿が異様に映っただろうが、手間に見合った手数料をとり、コストを切り詰めてビジネスを運営していくのはたたき上げのビジネスマンとっては当然のことである。それが旧態依然とした日本のプロレス団体には、奇異かつ情けのない冷血漢にうつたのであろう。文化背景の大きな違いが垣間見え、単身で日本で活動していたグレート東郷には、業界から不利な展開に追い込まれてしまう。しかし、先のフッドリバーでの苦労などを想いを巡らせると、同情の余地が生じる。

そして、グレート東郷は本当にケチだったのか、一部の日本人はそれを否定しているし、後年のアメリカ日系人社会では顔役であり、ウケがよかったとの証言もある。実業家として成功したのだからアメリカ社会では評価されるのも頷けるし、この評価の違いは日米の文化差や彼の生い立ちによるものが大きいと、この本を読んで気がつかされた。

『フッドリバーの一世たち』とこの『悪役レスラーは笑う』を合わせて読むと、壮絶な米国移民1世2世の物語となる。選んだ職業がプロレスラーだったからこそ、グレート東郷は史実に残るような脚光を浴びることはなかった。しかし、このレスラーの孤独と強さは強烈な印象を残す。日本の風土の米国の風土の相容れない様を突きつけられ、それが今にいたるまで続いていることが思い至る。

なによりグレート東郷本人にとっては、アメリカを攻撃した日本という国は、アメリカ人でもある己には関係ないばかりか、財産を没収され収容所に投獄されるきっかけとなった国であるのだから、迷惑千万な国であっただろう。そして日系2世として親と共に米国社会の酷い差別の中で、やっと生活の場を見いだしてきたのが彼の生い立ちである。アメリカに対しても複雑な気持ちを持ち続けたに違いない。

そんな境遇であった彼にとって、日本やアメリカという国籍やその国民であることになんの意味があったのだろうか。

YouTubeなどで当時のグレート東郷のファイティングが見られる。そこで相手を油断させる為と言われる笑顔は、意外や卑屈な笑顔ではない。これらの本を読んでみると、グレート東郷の笑みは、むしろ日本人やアメリカ人や社会に対する不敵な笑みにも見えてくるのだ。

● 現在も活躍する日系人 ~Ikeda’s~

オレゴン、カリフォルニアの旅の途中、オーバーン(Auburn)郊外の宿に泊まった。その晩、周囲を散歩していると日系人が経営すると思われるお店”Ikeda’s”を見つけた。

Ikeda's @Auburn
Ikeda’s @Auburn

オーガニック野菜や近郊のワイン、山積みになっている自店ブランドのピクルスなんかを売っている。店の横には美味しそうなバーガーやパイが売られた店が併設されており、地元のお客さんで賑わっていた。

Ikeda'sの店内 @Auburn
Ikeda’sの店内 @Auburn

調べてみると、この”Ikeda’s”は1970年創業、現在はイケダ家の 3 代目が切り盛りしているらしい。そして、初代のイケダ夫妻(サムとサリー)の親は、第二次世界大戦中に敵性外国人として家を追われ、カスケード山脈にあるトゥーリー湖(Tule Lake)の収容所に収監されていた。
サムとサリーは2世であるからアメリカ国籍を持っていたはずだ。しかし、やはりアメリカ人でありながら日系人という理由だけで強制的に収容されたのであった。ちなみにトゥーリー湖の収容所(Tule Lake Segregation Center)は、全米でも最大規模であったらしく、約2万人が収容されバラックは1000棟と壮大な施設である。

Tule Lake Segregation Center (National Park Serviceのサイトより)
Tule Lake Segregation Center (National Park Serviceのサイトより)

戦後、サムとサリーが収容所から解放された時は高校生で、彼等は農場労働者として働くことになる。そして、トマト畑を手に入れ、その畑で採れた果物を顧客に直接販売したいと考え、道路脇でフルーツスタンドを始めた。そのフルーツスタンドから始まったお店を3代目のグレンやスティーブが高級食材まで扱う店舗に拡大させた。

その事業の成長過程でアップルパイがヒットし、フリーウェイ80号線のロードサイドの名店として旅行者の立ち寄るスポットにまでになった。今でも3代目たちは、初代サムとサリーの価値観「質の高い料理、清潔さ、顧客サービス」を守り続けているそうだ。

ふらりと立ち寄ったドライブインのような店にも日系移民一族の長い成功物語が背景にあった。こうして旅から戻ってきた後も、日系移民をキーワードにフッドリバー、プロレスラーのグレート東郷、そして偶然訪ねたお店 Ikeda’s が有機的につながってくるのも、旅の振り返りの面白さである。

アメリカ / オレゴン

<詳細情報>
Ikeda’s
13500 Lincoln Way, Auburn, CA 95603

トゥーリーレイク戦争移住センター(Tule Lake Relocation Center)
CA-139, Newell, CA 96134