英国の看護士フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale)がクリミア戦争の看護経験を元に設計したセント・トーマス病院(聖トーマス病院 St Thomas’ Hospital)の病棟は当時画期的であり、今もその思想は活かされている。
彼女はセント・トーマス病院の一角に看護師のための学校も開く。看護士でありながらある時は建築家、そして教育者、更には統計学者、執筆家の顔をもつ彼女の足跡をナイチンゲール博物館で追う。
ジョンソン首相が新型コロナウイルス(COVID-19)に感染した際に入院したセント・トーマス病院、この由緒ある病院の歴史、そして病院内の教会屋根裏にかつて造られた手術室(当時の手術は見世物状態で麻酔もなかった The Old Operating Theatre Museum)や調剤薬局だったハーブ・ギャレット(Herb Garret)の博物館など、ロンドンの医療の史跡を書籍『ロンドン こころの臨床ツアー』、 『ヨーロッパの病院建築(建築巡礼)』を携えて巡る、ロンドン病院巡り。
● ロンドンで病院巡りをするきっかけ『ロンドン こころの臨床ツアー』丹野 義彦 著に出会う
● 歴史上屈指の病院であるセント・トーマス病院(聖トーマス病院)
● 興味深い各国の病院建築、 『ヨーロッパの病院建築(建築巡礼)』を読む
● ナイチンゲール博物館(Florence Nightingale Museum)にみる、彼女の偉業
● 病院が建ち並んでいたロンドン橋(London Bridge)の界隈とセント・トーマス病院の旧手術室
● ロンドンで病院巡りをするきっかけ『ロンドン こころの臨床ツアー』丹野 義彦 著に出会う
ロンドンの病院巡りのきっかけとなったのは雑誌『芸術新潮』で見かけたベスレム王立病院資料館(Bethlem Gallery)の記事であった。世界最古の精神病者の保護施設であり、患者たちの描いたアートが展示されているギャラリーが併設されているらしい。ここに行ってみたいが詳細情報が少なく、しかもロンドン市内から離れており、週に一度しか開館していないようである。
そこで、更にベスレム王立病院について調べている際に出会ったのが『ロンドンこころの臨床ツアー』というロンドンの医療関係施設の紹介本である。著者は、東京大学の心理学の学者さん。この本は、ご自身の専門の臨床心理学が深すぎて、平易な説明にすべく映画の話題などを織り込むのだけれど無理が祟って、アンバランスな仕上がりになっている。そのアンバランスさ加減がなぜか面白さを倍増させつつ、読みにくくもしているという面白本であった。
ページをめくると、その序文が凄い。『地球の歩き方』などのガイドブックには、ほとんど臨床施設の記述がないから(ある訳がない笑)、私がまとめれば、きっと多くの人に参考になるだろう(そんなことに興味がある人は多くはいない笑)と序文から快調にとばしてくる。
唯我独尊な方のようで、縦横無尽かつ好き勝手にロンドンの医療施設を事細かに紹介していく。ご本人は真剣なので、読んでいて不快感はなく。偉い先生がお戯れになった調子で、心地よさすら感じ、合わせて旅心もあるお方のようにも感じる。そして、学者さんだけあって、出典や参照がしっかり明記してあるのが嬉しい。該当項目をもう少し調べてみよう、旅先に盛り込もうという時に、この細やかさがとても便利だ。
冒頭で大宣言するだけあって、これを読めばロンドンの病院事情に詳しくなることは確か。著者の情熱にほだされ、目的のベスレムだけでなく、ロンドン市内にある由緒ある病院セント・トーマス病院とその手術室、ガイ病院、フロイトの住居だったフロイト博物館まで足をのばすきっかけとなった。
● 歴史上屈指の病院であるセント・トーマス病院(聖トーマス病院)
ロンドンの病院の中でもセント・トーマス病院は興味深いことが盛り沢山の病院である。ベスレム同様に最古に近い病院で12世紀に設立され、修道院が起源。セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral)近くにある 聖バーソロミュー病院(St Bartholomew’s Hospital)が1123年設立でヨーロッパ最古の病院らしいので、1173年設立のセント・トーマス病院はそれに準じる由緒ある病院である。ジョンソン首相が新型コロナウイルス(COVID-19)に感染した際に入院したのもこちらの病院であった。
セント・トーマス病院の新館は旧館を1/3ほどを壊して建てられた。旧館は古く見事な建築である一方、新館はかなりモダンでありきたりのビルにも見える為、「ヨーロッパの病院建築 (建築巡礼)」伊藤 誠著よると、あまりに平凡なビルで、美観にこだわるフランス人がいぶかしんだとある。
現在も旧館の一部がセント・トーマス病院南ウィングに残っており、ビッグ・ベン(Big Ben)のあるウェストミンスター宮殿(Palace of Westminster)の真向かいにあたる。川沿いの木々の向こうに古い旧館建屋が垣間見ることができる。
新館の外観はフランス人の建築家が残念がるのも理解できるが、実は都心の中にありながら快適かつ機能的であり、エントランスはお洒落で、どこかのショッピングモールのようでもある。
ナイチンゲールが1859年にこの病院の一角で看護師のための学校を開き、後年、彼女は病院の建築にまで携わるようになったことでも、セント・トーマス病院は有名である。彼女の設計した病棟はナイチンゲール病棟と呼ばれ、セント・トーマス病院で採用された後、欧州ではこれを模した病棟が次々出現する。
ナイチンゲール病棟とは、大部屋に30床程度のベッド、ベッド間は広くてベッドの頭上には窓がある。よく戦争映画などの看護病棟に出てくるあの形態である。コンセプトは、看護がしやすく、見通しがよい、換気や陽光への配慮、建築コスト、と戦場での医療に携わった者ならではの発想である。医療技術の発達していない当時の状況から最善の解法であったことも想像がつく。
● 興味深い各国の病院建築、 『ヨーロッパの病院建築(建築巡礼)』を読む
ロンドンでの病院巡りがあまりに興味深く、続いて買い求めたのが『ヨーロッパの病院建築(建築巡礼)』という書籍。これはセント・トーマス病院のみならず、欧州各国の病院建築の特色が図面と共に眺められる。この本で、ナイチンゲール病棟の原型はフランスにあることを知った。なるほど、確かにナイチンゲールの活躍したクリミア戦争で、英国はフランスと同盟下にあったから、その影響を受けたのだろう。
また、ナイチンゲール病棟は開放的な一方、プライバシー保全には難があるので、昨今建てられた病院には取り入れられていない。それでも昔の病院では、この病棟デザインを変えずにそのまま使っているところも多いらしい。看護する側にとってはこちらのほうが好評のようだ。この本には、そんなことも記されている。
また、興味深いのはドイツの病院。図面は幾何学的なものが多く、効率性を高める為に斜めの導線や廊下が目立つ。しかも、日本の病院建築に慣れた身からすると違和感のあるメタルな質感や硬質感ある設計の建物が多く見受けられる。このあたりも合理性や機能性を愛するドイツ人ならではと感じ入る。
更に、面白かったのは国際会議かなにかでのフランス人たちの見解。先ほどご紹介した現在のセント・トーマス病院の新館は壮麗な旧館を1/3ほどつぶして建てたが、そのことに非常に懐疑的なのだ。フランスでは、景観を守る為に、相当な苦労をして既存の建物の外見を維持し、改装をしている。インフラや機器の進歩などが著しい時代にあって、機能の固まりのような病院建築で古い建物を活かしながらリノベーションするのは相当難儀であろう。ただ、そこまでしても古い景観や建物を守るフランス人もなかなか凄い。
病院は、いずれは自らもお世話になるところでもあるし、興味深いお話が満載である。
● ナイチンゲール博物館(Florence Nightingale Museum)にみる、彼女の偉業
ナイチンゲールが病棟設計に携わったり、病院内に看護学校を設立した縁もあり、この病院の敷地の一角に フローレンス ナイチンゲール博物館(Florence Nightingale Museum)がある。小さいながらも展示品は充実しており興味深い展示も多い。
病院建築関連の展示で、まず目につくのは、イスタンブールのバラック病院(Selimiye Barracks)の内部スケッチ。この病院はクリミア戦争の際に軍事病院として使われ、ナイチンゲールはここで多くの傷兵の看護をした。このクリミヤ戦争の教訓を発展させデザインされたのがナイチンゲール病棟である。
看護の際の日々の夜回りから「ランプの貴婦人」と呼ばれたナイチンゲール。展示されているランプの解説には、ナイチンゲールの肖像画で、映画『アラジン』にでてくるジェニーランプを描かれてしまうことがあるが、クリミア戦争時代に使っていたのはコチラのトルコのランタンである、と解説してあった。
特別にナイチンゲールが愛用したフットウォーマーも展示されていた。ブリキでできており、上部には木製のフットレストが付いている。蓋を開けて炭や焼いた石を入れて使ったようだ。当時は馬車の旅であって、この旅は見た目ほど快適でもロマンティックでもなかったとあり、馬車に乗る際にも使われていたのではないかと説明されている。
ナイチンゲールは食肉などから感染するブルセラ症にかかっており、長年体調不良に苦しんでいたと、このフットウォーマーの解説に付記されてた。
セント・トーマス病院の看護士の制服も興味深い。ベルトの色で年次がわかるようで見習いは白で卒業で青と、だんだんと色が濃くなるらしい。また、十字のストラップに赤と青のケープは英国看護婦のシンボルにもなったともある。ナイチンゲールが仕組みや下地を作った看護システムだけあって、こういった所まで体系だっている。
その他の展示品からもクリミア戦争での看護活動はもちろん、先の病院設計や統計学者としての実績なども展示されており、彼女はたいした才人であったことがわかる。
● 病院が建ち並んでいたロンドン橋(London Bridge)の界隈とセント・トーマス病院の旧手術室
バラマーケット(Borough Market)そばロンドン橋(London Bridge)の界隈はセント・トーマス病院を筆頭にかつて病院が集まる地区であった。1173年設立のセント・トーマス病院は1862年までここにあり、1721年にセント・トーマス病院の連携する形で設立されたガイ病院(Guy’s Hospital)は今もここにある。セント・トマス病院の理事のガイ氏が手狭となったセント・トーマス病院の横に新たに建てた病院がガイ病院の始まりである。ガイ病院を覗いてみたところ、中にはスーパー、カフェ、巨大なアトリウムと付随設備が充実しており、とても病院には見えなかった。
また、この付近にはかつてのセント・トーマス病院の教会建物が今も残されており、セント・トーマス病院の旧手術室とハーブ・ギャレット(The Old Operating Theatre Museum and Herb Garret)と言う博物館になっている。
ただ、この博物館の入口がわかりくい。Googlemapを片手に「WE ARE OPEN」の看板を見つけて中になんとか中に入ることができた。
そして、中に入ると待ち受けているのがとても狭い螺旋階段、屋根裏(ギャレット garret)と言うだけあって、これを何十段も登らなくてはならない。
そして、登り切るとかつての教会の屋根裏があり、そこには医薬品であるハーブを保管していたハーブ・ギャレットが目に入る。
現代で言えば調剤薬局だろうか、所狭しと各種形態のハーブとその瓶が並び幻想的ですらある。
多少ギミックめいているのかもしれないが、動物類や原料なども複数展示されており、少々おどろおどろしい。当時は独特の匂いもたちこめ、更に不気味だったのかもしれない。
ハーブ・ギャレットの先の階段を昇ると1822年につくられた手術室の上方、つまり見学者たちが詰めかけた場所に出る。
手術道具類が壁面にいくつも展示されている。手術は見世物状態で麻酔もなかった時代である。たくさん陳列してある手術道具は、手術というよりも拷問のそれのようである。フランケンシュタインとかが生まれる素地はこういう所にあるのかとも感じた。そして、個々の器具の説明書きには機能や使い方を説明するものがあり読むとゾッとする。
この手術室が作られたのはナイチンゲールの時代よりも古い1822年である。ナイチンゲールがクリミア戦争に赴いたのは1854年のことであり、一方、麻酔薬の使用は1847年頃とあり、消毒手術は1860年頃からとのことなので、ナイチンゲールの時代は医療の大きな変革の最中にあったことがわかる。(次回に続く)